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第7話
ましろがビルから出たときには、天王寺の姿はもうそこになかった。
落胆しかけたものの、まだ近くにいるかもしれないと思い直す。
天王寺の移動手段など想像もつかないので、周囲にそれらしき人影を求めて闇雲にうろついたが、当然みつからない。
慌てていたため傘も持たずに出てきたましろは、すぐにびしょ濡れになってしまった。
行き過ぎる人が、雨の中ずぶ濡れでおろおろと歩き回る姿を何事かと見ていくが、ましろは焦っていて自分の姿が奇異に見られていることになど気付かない。
「(そうだ、スマホで……)」
近くにいるなら会いたいと、連絡を取ることを閃いたものの、着の身着のまま出てきたため携帯してきたはずもなかった。
スマホを取りに戻ろうか、もう少し探してみようかと迷って立ち尽くしていると、ふっと横から影が差す。
「あの、大丈夫……ですか?」
気遣わしげにかけられた声。
見上げると、見知らぬ男性がましろに傘を差し掛けていた。
背が高く、自分と同年代くらいで、スーツ姿なので仕事帰りだろうか?
そこでようやくましろも、自分が気遣われるような風体になっていると気付いて、せめてと雨で張り付いた長い髪を耳にかけ直し、笑顔を作る。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「……誰か探してるんですか?俺でよければ」
「ましろ、こんなところにいたのか」
男性の言葉を遮るように、硬質な声が割り込んできた。
唐突に手首を強く掴まれ、引っ張られる。
驚くましろに自分の傘を押し付け歩き出したのは、探していた天王寺だった。
「来い」
「あの…っ」
気にかけてくれた男性にお礼も言えず、ましろはただ天王寺に連行されていった。
天王寺の足は早く、つんのめらないようについていくので精一杯だ。
細い手首をきつく握りしめたままの手は熱いのに、先を行く背中からは、話しかけるなとでもいうような冷たい拒絶のオーラが漂っていて、この突然の展開がどういうことなのかを聞くこともできない。
渡された傘を上手く差し掛けることもできず、手を引かれるままに歩いていると、すぐに『SHAKE THE FAKE』の入るビルの関係者用のエントランスに到着する。
ガラスのドアの前でましろを開放した天王寺は、怖い顔で詰め寄ってきた。
「お前はこんな薄着の上に傘も持たずずぶ濡れで、一体何をしてるんだ」
「あっ、ま、窓から、ち……天王寺様が見えたので、」
言葉の途中で、天王寺は更に不機嫌そうな顔になった。
危うく昔のように呼んでしまいそうになり言い直したのを聞き咎めたのか、或いは、追いかけてこられたことが不快だったのかもしれない。
嫌いな相手にそんな事をされても迷惑なばかりだろう。
無視することもできたのに声をかけてもらえたことで、少し期待してしまっていた自分に気づき、申し訳ない気持ちになる。
俯くと、ビルの中へと促すように肩を押された。
「とにかく……早く風呂にでも浸かって温まれ」
迷惑をかけてしまったというのに、天王寺は優しい。
ましろが何か言わなくてはと焦っている間に、天王寺は用は済んだとばかりに踵を返した。
行ってしまう。
思わず手を伸ばし、トレンチコートのベルトを掴んでいた。
気付き、怪訝そうな天王寺が振り返る。
ましろは震える唇を開いた。
「へ、部屋に……上がっていかれませんか?」
アクションを起こしてみろと、先程の城咲の言葉が背を押した。
だがそれも、形のいい眉が不機嫌そうに顰められたことで、すぐに萎んでしまう。
「お前」
「あっ……ごめんなさい……。少しお話しできたらと思っただけなので、お忙しければ、無理にとは」
言葉は、突然天王寺の顔が近付いて来たことで途切れた。
掠めるように一瞬だけ唇が重なり、そのままきつく抱きしめられる。
「(え……?)」
バサッ、と傘の落ちる音がどこか遠く響いた。
衣服越しに伝わる体温。
雨に打たれていたましろとくっついては、天王寺も濡れてしまう。
そんな場違いな心配がうっすらと頭の片隅に浮かんだが、それよりも驚愕の方が大きく、ただされるがままに立ち尽くした。
「ちぃ…、さま……?」
かつての呼び名が思わず口をついた瞬間。
天王寺ははっとして体を離した。
全てが突然で、ましろも驚いたが、何故か天王寺も驚いたような顔をしている。
「あ、の」
「また、店に行く。話なら、そのときに」
どういう意味なのかと問いかけられる事を遮るように早口で言って、天王寺は落ちた傘を拾うと背を向け、夜の街に消えていった。
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