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第10話

 バロック様式と呼ぶほど仰々しくはないが、西洋の装飾にアジアンな調度を配置したシノワズリの室内は、古めかしさの中に近代のサブカル的なチープさが絶妙に混在し、独特な空間を演出している。  今は商談の最中なので天井のアップライトが室内全体を明るく照らし出しているが、夜になれば照明を落とし、金の余った社会的成功者が、美しい青年との刹那の逢瀬を楽しむのだろう。  さりげなく室内を観察している千駿の目の前で豪奢なアンティークチェアに腰掛け、膝の上のノートパソコンに細く白い指を滑らせていた男は、すぐにその美しい顔を上げると、この世の全てを統べる女王のようにゆったりと微笑んだ。 「うん、悪くないかも。同じものを『SILENT BLUE』の方でも試してもらおうかな」 「ありがとうございます」  営業用の、ささやかな笑みでクライアントに頭を下げる。  クライアントの名は神導月華。  この世のものならざる美貌の青年で、自称『実業家』だが、実際は黒神会という日本最大の暴力団の幹部である。  当然、日の当たる場所でその名を耳にすることはない。  それでも、起業家や事業に携わる者で彼を知らぬものはいないだろう。  金と権力に潜む闇そのもののような人物ではあるが、コネクション作りのために潜り込んださるパーティーで声をかけられたとき、関係を持つことに躊躇いはなかった。  金と積極的に関わりを持とうとすると、いきつくところはヤクザか肥大化した物乞いだというのが千駿の持論である。  毒を喰らわば皿まで。  何より、悪の華とでもいうか、神導の言葉には抗い難い奇妙な魅力があった。 「フロアのチェックが楽になるって店長がすごく期待してたよ」 「海河様が店内の工事に協力的で助かります」  千駿は現在、『Kukuli』という小さな会社の社長だ。  住環境用IoTセンサーのシステムが主力商品で、高校の時に一人で起業し、システム作りから営業まで未だ社長自らこなしている。  この度神導から、広いフロアで席ごと、客ごとの快適さをモニターできないかという打診があり、試験的に『SHAKE THE FAKE』にセンサーを取り付けた。  データ収集のみの段階ではあるが、満足いく結果を得られたようだ。  このままセンサーと連動できる機器を取り付けることで話はまとまった。  話が一段落すると、ティーカップを置いた神導が、ところで、と探るようにこちらを見る。 「これはクライアントとしてではなく、『SHAKE THE FAKE』のオーナーとしてなんだけど」 「?はい」 「仕事を頼む上で君のことは少し調べさせてもらったけど、うちのハク……羽柴ましろとは同窓なんだって?」 「……交流があったのは、小学生の頃だけですが」  後ろ暗いところしかない神導が、近づく相手のことを調べるのは当たり前だ。  それ自体に驚きはないが、両親のことであればともかく、ましろとのことを言われるとは思っておらず、一瞬言葉に詰まった。  神導がチラリと視線を走らせると、これまで気配もなく側に控えていた土岐川という男が、懐から出した写真をテーブルの上に置いたので、確認しろということだと判断し、失礼しますと一声かけて手に取る。 「………、」  それは、先日の雨の日の夜、このビルの関係者用のエントランスの前で、千駿がましろを抱き締めたときの写真だった。 「偶然の再会なのかな?友達との再会にしては、少し熱烈だね」 「………………………」  極力驚きを表情には出さないようにしたものの、駆け引きに長けた神導には心中の動揺は伝わってしまっただろう。  だが、『SHAKE THE FAKE』でましろを指名した時、当然店にはただの客としてきちんと金を落としている。  一体何を言われるのかと身構えると、神導は微かに口元を緩めた。 「うちは原則、アフターとか同伴とか、勤務時間外の営業は禁止なんだ。ランキングもノルマもないから、する必要はないし、表沙汰になると双方困ることも多いしね」 「(アフターや同伴が禁止?まさか……)」  先日のましろの「どうして」という声が脳裏を過ったが、すぐに建前だと浮かんだ考えを打ち消した。 「(外部の人間に、スタッフに枕営業を推奨しているなどという経営者はいないだろう)」  写真を置くと、視線で話の続きを促す。  神導は長く細い指で、そっと映ったましろをなぞった。 「僕にとって、スタッフはみんな家族と同じ。悲しい目に遭ってほしくないと思うのは当然でしょ?本気じゃないならアウトって、そういう話」  神導は繊細なティーカップを掲げると、綺麗な顔でにっこりと笑った。  それは、一枚の絵のように美しいのに、どこか物騒なものを感じさせる笑みだった。

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