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第29話

「ここには来ないでくれと何度も言ったはずだ」 「千駿、どうしてそんなことを言うの?私たち、家族でしょう?」  声のする方をそっと覗いたましろは、そこにいた人物に息を呑み、再び死角へと隠れる。  こちらに背を向けた天王寺が話をしている相手は、先日声をかけてきた、天王寺の母親を名乗る人物だった。  応対する天王寺の声音は冷え切っているが、彼女の言うことを否定はしないので、親子というのは嘘ではないようだ。  しかし、彼女の口からこぼれ出た『家族』という響きには、先程真人がましろに言ってくれた温かさとは何か違う、うそ寒いものを感じた。 「金は足りているはずだ」 「足りないからここにきてるんでしょう」 「こっちもそれほど余裕があるわけじゃない。金蔓を失いたくなければ大人しく帰ってくれ」 「……また来るわ」  親子のものにしては冷え冷えとした会話が終わり、天王寺の母親がこちらへ歩いて来る気配に、ましろは咄嗟に、階段のマークの書かれた扉へと滑り込んだ。  エレベーターではなく階段の方に来るとしても、上には行かないだろうと算段して、半分ほど上がったところにしゃがんで身を隠す。  緊張しながら次の展開を待っていると、エレベーターが到着した音が壁一枚向こうから聞こえ、階段の方には来なかったようで胸を撫で下ろした。 「(見つからなくて、よかった……)」  天王寺のいる前で彼女に話しかけられたら、どうしていいかわからなくなるところだった。  ホッと息を吐き出し立ち上がったその瞬間。  自分が入ってきた扉が突然開き、出した息を再び飲み込むことになった。 「おい、お前」  天王寺だ。  天王寺は背を向けていたから分からないだろうと思ったが、やはり気付かれていたのだ。  彼から隠れようと思ったわけではないので、慌てて階段を降り、頭を下げた。 「も、申し訳ありません!その、立ち聞きをするつもりではなかったのですが、声をかけるタイミングが……」 「ましろ……?」 「え……」  誰かに聞かれていたことは気配で察しても、ましろだとは気付いていなかったのか。  驚愕と困惑の表情を浮かべた天王寺だったが、すぐに眉を寄せ、怒った表情になる。 「なんでこんなところにいる」 「あ、あの……っ、」  会えない、と言われていたのに、連絡もなしに来てしまったのだ。歓迎されるとは思っていなかったし、怒られる覚悟はしていたが、実際に詰問されると狼狽えてしまった。  何か言わなくてはと口を開く。 「あ、………………………会いたくて……」  取り繕う言葉も、聞くべきことも咄嗟に出て来ず、思わず本音が出てしまった。  こんな子供のようなことを言われても、天王寺も困るに違いない。  それだけではなく、と言葉を重ねようと顔を上げると、天王寺と視線がぶつかった。  天王寺は何故かはっとして、こちらに向かって伸ばしかけていた手はましろに触れることなく、引っ込められる。 「ちー様……?」  どうしたのだろうと首を傾げたましろを振り切るように、そらされる瞳。 「とにかく、用がそれだけなら、もう済んだだろう。今日のところは帰れ。……いや、少し待っていろ。送っていく」  にべもなく送り返されそうになって、慌てて取り縋る。 「ま、待ってください。今一緒にいた方が、お母様、なのですよね?実は昨日も『SHAKE THE FAKE』の近くでお会いして……」 「……何を言われた」 「あ……すぐに友人が来てくれて、私が困っている気配を察して連れ出してくれたので何もお話はしていないです」 「………………そうか」 「どうして、あの方と話をしてはいけないのでしょうか?できれば理由をお聞かせいただきたくて……」 「悪いが、今それは話したくない」 「…………………………」  話したくないというのは、まだ話せないということなのか、ましろに言う必要はないということなのか。  そうはっきり拒絶されると、それ以上何も聞けない。 「送っていく」 「あっ……大丈夫です。知り合いの方に、車で連れてきていただいているので。お仕事中にお邪魔してしまって、すみませんでした」  ひとまず、彼女が現れたことを伝え、彼女と話をしたらいけないのが何故なのかは聞いた。  これ以上は迷惑になるかもしれないので、一旦帰るべきだろう。 「……そうか。なら、無事車に乗るところを見届けたら戻る」  天王寺が階段を下り始めたので、ましろもそれに続いた。  二人分の足音が響く。  それは急いたものではない。 「お預かりしているテーブルヤシ、ほんの小さなものですけど、新しい葉が出てきたんですよ」 「そうか」 「きっとすぐに、元気になります」 「……ああ」  天王寺の表情は見えなかったが、声音は先ほどよりも穏やかになっている。  ましろはここがもう少し上の階だったらよかったのにと思いながら、その背中を見つめていた。

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