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第74話

 にゃおん、と猫の声が聞こえた気がする。  しばしふわふわと心地よい眠りと覚醒の境目をさまよってから、ましろは自分が寝ていたことと、起きていることに気がついて目を開けた。  ぼんやりした視界に映るのは、いつもの自分の部屋ではない。  まだまだ寝ぼけたままの頭では何が何だかわからず、ぽかんと天井を見上げた。 「(あ……そうだ昨夜は……)」  何故自分がここで眠っていたのか、一晩の間に起こった様々な事を次々に思い出し、最終的に赤面した。  もっと天王寺を感じていたくて、限度を超えて求めたり応じたりしてしまったため、最後の方の記憶はあやふやだ。  一緒に眠りについたような気もするが、隣に天王寺はいない。 「(……ちー様……?)」  もしかして夢だったのでは……と不安になるには、疲労感や酷使された箇所の鈍痛など、リアルな体感が色濃く残りすぎているものの、しかしどこに行ってしまったのだろう。  ……と、すぐに隣の部屋で物音がして、耳を澄ますと、天王寺はどうやらシロに餌をやっているようだとわかって、ホッとした。  もう起きる時間なのかと、窓の方に目を向ける。  カーテンの隙間から差し込む光は、晴天というほどの強さはないが既に明るく、そういえば昨日の雪はどうなったのだろうと、もそもそベッドから降りてみた。  若干よろめきながら窓際に立ち、カーテンを少し持ち上げると、思ったより隣のビルとの距離が近い。  服を着ていないということに思い至り、少し見るだけだからとベッドの上のブランケットを羽織る。  のぞくと、もう止んでしまっているが、ついさっきまで降っていたのか、辺りにはまだ雪が残っていた。  窓の外側に少しだけ乗っかっている雪に触ってみたくて、開けて手を伸ばしたところで、背後のドアが開く。 「ましろ。……お前、そんな格好で」  大好きな人の声に、ましろは笑顔で振り返った。 「おはようございます、ちー様。雪……少しだけですけど、積もりましたね」 「昨日の帰り道にはまだ積もってなくてよかったな。……じゃなくて、風邪ひくぞ。窓開けたいなら服着てからにしろ」  やはり、ブランケットを羽織っただけの姿で窓際に立つのは、お行儀が悪かったようだ。  窓を閉めた天王寺にベッドに連れ戻され、念入りに上掛けで封印されてしまった。  そんなにしなくてもと思いながらそっと見上げると、宥めるように額に優しいキスが降って、頬が熱くなる。 「昨夜…というか既に今朝になってはいたが…寝たのが遅かったから、もっと寝ていていいぞ」 「ちー様が起きるのなら、私も起きます」  一緒にいたいと主張すると、笑われてしまった。  いささか子供じみていただろうか。真剣に言ったのに笑うなんて酷い、と思うけれど、穏やかに笑う天王寺を見ると、ドキドキして何も言えなくなってしまう。  シロにするように頭を撫でられて、ましろは心地よさに目を細めた。 「あの…ちー様、昔、雪が積もった時のこと、覚えていますか?」 「……ああ、覚えてる。お前は随分とはしゃいでいたな」  子供の頃、珍しく東京に積もるほどの雪が降り、休み時間に校庭で雪遊びができた日があった。  ましろは雪兎を作りたくて、だが、どんな風に雪を集めて固めてみても、不恰好な半円にしかならなくて。自分の不器用さにしょんぼりしていると、天王寺がどこからか小ぶりなボウルを調達してきてくれて、一緒にかわいい雪兎を作ってくれた。  些細なことではあるが、そんな風に、ましろのしたいことをきちんと聞いてくれて、しかも綺麗に形にしてくれる天王寺は、ましろにとって、稀有な存在だった。  それを伝え、改めて礼を言うと、天王寺は大袈裟だなと笑う。 「俺にとっては、あの場所で純粋さを失わないお前の方が、ずっと奇跡的だった」  優しい眼差しは、気遣いなどではなく、ましろのことを大切に想ってくれているからだと感じられて、胸が熱くなる。  今なら聞けるような気がした。  あの時から……ずっと忘れることのできなかった言葉の意味を。

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