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第10話 猫の迷い-前編-(3/20)
時間も忘れるほど長いこと楽しんだあと、肘をついてひと休みするアルの横で、ベッドに座ったジーンが煙草に火をつける。
「アンタさ」
「ん?」
「好きなやつ出来ただろ」
「えー、どうしてそうなった」
肯定も否定もせずにアルが答えると、煙草の煙を長く吐き出したジーンがアルを見て笑った。
「馬鹿だなお前。わっかりやすいって。キスしなかったろ、今日」
「…そうだっけ」
「そうだよ。自分で気付いてなかったの?」
アルは、言われてみればそんな気がしていた。
いただきますの段階で首元にキスするのを躊躇ったのは、流石に覚えてるが。
「まぁ、それでもアタシんとこに来たってことは、片思いか…」
「違ぇよ」
「いいって見栄張らなくても! フラれたら慰めてやるからなぁー」
そう言ってジーンがアルの頭をわしわしと撫で回す。
「……」
まさか相手が男だとは言えず、勘違いさせたままにしておくか…とアルは彼女の好意を甘んじて受け入れた。
それから時計を見て、そろそろ戻っておこうとベッドを降りる。
「お帰り?」
「おう、朝早いからな」
「なんだって司教の道なんか選んだんだ、お前」
「ふふん…才能が黙ってなかったんだよ」
「うわー嫌味ったらしいー」
軽口を叩きあって笑いながら、ジーンがタオルを投げてよこした。
「シャワー浴びて行きなよ。煙草の匂い、ついてるだろ」
「あ、助かる。サンキュー」
「あいよ」
実際の年齢は互いに知らないが、世話を焼いてくれる姉といった存在のジーンに、アルは感謝していた。
身体を繋ぐことで情が湧くこともあるだろうに、そういった素振りを一切見せないことにも。
「じゃあなジーン、元気でやれよー」
「おー、アンタもね。ていうか出来ればもう来んなよー」
最後まで冗談混じりに手を振って別れる。
ジーンが元々さっぱりした性質で、他の誰にも頼めないことを引き受けてくれることで、アルは文字通り身も心も助けられていた。
アルが大聖堂に戻った頃には、その一帯はすっかり寝静まっていた。
見上げるユーベルの部屋も明かりがついておらず、自分のために窓が少し開けられているのが見える。
「寒いだろうに…」
はは、と照れ臭さを誤魔化すように一人で笑って、窓枠伝いに大聖堂の外壁を登る。
ユーベルの部屋に帰り着くと、彼の匂いがした。
洗濯された服、紅茶の葉、歯磨き粉のミント、なんとも清潔感のあるものばかりで、すっかりそれに慣れた自分の鼻に安心感を齎す。
起こさないように、なるべく音を立てずに窓を閉めたつもりが、タイミングよくユーベルが寝返りを打った。
ドキンと心臓が跳ねる。
心臓が跳ねた、ということは、アルに罪悪感があることを知らしめた。
それはそうだ。
複雑な事情があるとはいえ、想い人が居ながらにして別の人と姦通したのだ。
つまり、一般的には浮気と呼べる行為なわけで。
後ろめたくて当然だった。
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