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第10話 猫の迷い-前編-(8/20)

ふわりと包み込むようなハーブの香りが、ティーカップから漂う。 立ち上る湯気が温かさを伴って、気持ちを落ち着けてくれる。 二人はテーブルを挟んで、煎れたてのハーブティーを手に向かい合っていた。 「…どうしてほしい?」 ユーベルが話の口火を切る。 「虫のいいこと言うとな。…俺は、今まで通りで居たい」 「うん…。それは、いいんだけど。別に、怒ってるわけじゃないし。そうじゃなくて…」 続きを言い淀んだユーベルが、カップの中にティースプーンを突っ込んで、カチャカチャと掻き回す。 暫くそうして、くるくると渦を巻く金色の水面を眺めながら、ぼそぼそと続けた。 「その、せ…性欲の、ことだけど」 「あぁ、なんだ…そんなの躊躇ってたのか」 あまりに溜めてから言うもんだから、てっきり別れ話にでもなるのかとアルは身構えていた。 そうならずにほっとして、肩から力が抜けていく。 「言われなきゃ気付かないのに、なんで自己申告なんてしたの?」 「…お前に隠し事したまま触れられないと思ったら、罪悪感で眠れなくて…」 「何それ…。朝から変だったから、今日一日ものすごく不安だったんだよ」 「…ごめん」 再びカップの中をくるくるとかき混ぜるユーベルが続ける。 「…その、次から言わなくていいから。こっそり済ませる分にはまぁ…仕方ないこと…だし。ただ、あんまり知りたくない…かな、と…」 何かしていないと落ち着いて話せないユーベルの手が、アルに握られて止まった。 顔を上げたユーベルの視線とぶつかった琥珀色の瞳は、気まずそうにしながらも熱を持って見つめていた。 「あのさ…本当は、お前に相手してもらいたいんだ」 手から渦に攫われたスプーンが、チリチリと音を立てて離れて行く。 「それは…」 ユーベルが俯き加減で答える。 「全部合わせなくていい。無理はしなくていいんだ。だから、時々…相手してほしい」 アルが握った手を撫でながら伝えると、ユーベルは困ったように頭を掻いた。 「っ…そんなこと。お願いされると、ハードルが上がるんですけど…」 「あ…た、確かに、そうだな」 「それに猫さんが期待するような」 そこまで言って、言葉が止まる。 なんだ?とアルが見つめて待っていると、徐々にユーベルの顔が赤くなっていく。 「…な、なんでもない」 「いやすっごい気になる! 何? 何言おうとしたの!?」 「うるさいなー。もう寝よ、遅くなったし」 「えぇー、なんだよ最後の…気になって眠れねーよ」 ぶつぶつと文句を零すアルの頭を、先に立ち上がったユーベルが、幾分か軽くなった面持ちで撫でた。 「明日からまた、よろしくね」 「…うん、俺の方こそ、よろしくな」 今日の最後に仲直りをして、アルにとって非常に長い一日がやっと終わりを告げたのだった。

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