84 / 109
第10話 猫の迷い-前編-(8/20)
ふわりと包み込むようなハーブの香りが、ティーカップから漂う。
立ち上る湯気が温かさを伴って、気持ちを落ち着けてくれる。
二人はテーブルを挟んで、煎れたてのハーブティーを手に向かい合っていた。
「…どうしてほしい?」
ユーベルが話の口火を切る。
「虫のいいこと言うとな。…俺は、今まで通りで居たい」
「うん…。それは、いいんだけど。別に、怒ってるわけじゃないし。そうじゃなくて…」
続きを言い淀んだユーベルが、カップの中にティースプーンを突っ込んで、カチャカチャと掻き回す。
暫くそうして、くるくると渦を巻く金色の水面を眺めながら、ぼそぼそと続けた。
「その、せ…性欲の、ことだけど」
「あぁ、なんだ…そんなの躊躇ってたのか」
あまりに溜めてから言うもんだから、てっきり別れ話にでもなるのかとアルは身構えていた。
そうならずにほっとして、肩から力が抜けていく。
「言われなきゃ気付かないのに、なんで自己申告なんてしたの?」
「…お前に隠し事したまま触れられないと思ったら、罪悪感で眠れなくて…」
「何それ…。朝から変だったから、今日一日ものすごく不安だったんだよ」
「…ごめん」
再びカップの中をくるくるとかき混ぜるユーベルが続ける。
「…その、次から言わなくていいから。こっそり済ませる分にはまぁ…仕方ないこと…だし。ただ、あんまり知りたくない…かな、と…」
何かしていないと落ち着いて話せないユーベルの手が、アルに握られて止まった。
顔を上げたユーベルの視線とぶつかった琥珀色の瞳は、気まずそうにしながらも熱を持って見つめていた。
「あのさ…本当は、お前に相手してもらいたいんだ」
手から渦に攫われたスプーンが、チリチリと音を立てて離れて行く。
「それは…」
ユーベルが俯き加減で答える。
「全部合わせなくていい。無理はしなくていいんだ。だから、時々…相手してほしい」
アルが握った手を撫でながら伝えると、ユーベルは困ったように頭を掻いた。
「っ…そんなこと。お願いされると、ハードルが上がるんですけど…」
「あ…た、確かに、そうだな」
「それに猫さんが期待するような」
そこまで言って、言葉が止まる。
なんだ?とアルが見つめて待っていると、徐々にユーベルの顔が赤くなっていく。
「…な、なんでもない」
「いやすっごい気になる! 何? 何言おうとしたの!?」
「うるさいなー。もう寝よ、遅くなったし」
「えぇー、なんだよ最後の…気になって眠れねーよ」
ぶつぶつと文句を零すアルの頭を、先に立ち上がったユーベルが、幾分か軽くなった面持ちで撫でた。
「明日からまた、よろしくね」
「…うん、俺の方こそ、よろしくな」
今日の最後に仲直りをして、アルにとって非常に長い一日がやっと終わりを告げたのだった。
ともだちにシェアしよう!