83 / 109

第10話 猫の迷い-前編-(7/20)

作り慣れた微笑みが痛々しくて、アルは衝動的にユーベルを抱き締めていた。 申し訳ないとか、罪悪感とか言ってる場合じゃない。 今そうしないと、取り返しが付かないことになりそうだった。 「違う、そうじゃない。そうじゃないんだ、ユーベル…ごめん。俺が悪かった」 「……、無理して私に合わせなくても」 無理してるのはどっちだ、と、抱き締めるアルの腕に力が篭る。 別に、ユーベルが女だったならなんて思ったことは一度もない。 ただ、安易に受け入れられるようになっていない身体の作りが、踏み込むのを躊躇わせていただけなのだ。 だけ、と言えるほど、簡単なことでもないのだが。 「いいんだよ、猫さんは自由にしてくれて。それが君のいい所でもあるんだから」 そう言って、ユーベルはアルの背を撫でた。 まるで、子供を宥めるように。 「自由にってなんだよ…好きにさせてくれる女のとこに行けばいいって、そういう意味か?」 「…そうなる、かな…」 密着していて互いに顔は見えないが、途切れる声が震えていて、いくら冷静じゃないアルでも、ユーベルの言葉が心とは裏腹であることくらいわかった。 「自由にしろってんなら…」 「っ…!?」 下手な虚勢が腹立たしい。 理不尽な怒りを込めて、襟元を掴んで強引に立ち上がらせる。 「俺は、お前と居たいんだ」 ふらつく肩を強く押して、アルはそのままユーベルをベッドに押し倒した。 見上げる青い瞳が、留まっている涙の奥で揺れる。 「男である、お前の側に居たいんだよ。ユーベル」 「っ…、あぁ…。だめだ、……くそ」 くしゃりと表情を歪ませて吐息を震わせたユーベルは、腕で目元を覆って顔を隠した。 それから、はぁ、ともう一つ息を吐く。 「勝手なことばっかり言って。…なんなの」 「…ごめん」 素直に謝ることしか出来ないアルが、髪をそろりと撫でて顔を隠す腕に触れると、静かに言葉が続けられる。 「勝手に浮気して、勝手に打ち明けて、勝手に頭を下げて、馬鹿じゃないの。…それでも嬉しく思えるなんて、…馬鹿じゃないの、私」 アルがそっと腕を除けると、現れた目元は赤く染まっていて、涙で濡れた瞳でキッと睨まれた。 こんな表情をさせてしまった情けなさで、胸が痛いほど締め付けられて、息が詰まる。 「ごめんな…もう、泣かせたりしないから。だから、また隣に置いてほしい。隣に、お前に居てほしいんだ」 精一杯、自分勝手な想いを伝えたアルが唇を寄せると、拒まれることなく触れ合って、ユーベルの目尻から涙がひとつ転がった。 それから、なんだか久々に力なく笑ってくれた。 「何を言われても泣かないつもりだったのに…惚れた弱みって、こういうことかな」 言い終えると、ふぅとひと息ついて、再び腕で顔を隠されてしまった。 あんまり見ないで、と付け足して。 「…ねぇ、ちゃんと話したいな」 「ん…わかった。落ち着いて、また話そう」 離れる前に頭を撫でて、アルは食器を片付けに水場に立った。 ユーベルが顔を洗いにのそのそと起き上がって、お互いに冷静になれるまでしばらくの間、それぞれ別のことをして過ごした。

ともだちにシェアしよう!