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第5話

「ブラックムーン……ブラックムーン貴様ァ……!」  巨大なドラゴンと化したアコールの声がブラックムーンの頭の中に直接響く、まるで耳鳴りのようなそれに感じる頭痛で眉をしかめた。 「アコール……貴方の求める心臓はここ、俺が持ってる」  まるで誘うようにアコールの爪を交わし王宮から離れていくと、途中の物見櫓の上に立つルードに目配せして彼の隣に降り立った。 「ブラック、よく生きててくれた……まだ行けるな?」 「任せて、ルード……お前と一緒なら何でも出来る」  背後からは見えなかったが、ブラックムーンの、顔や腹には何度も傷付けられ治ったのであろう跡が残っている。純白のコートにもベッタリと付着した血痕は既にどす黒い塊になってペリペリと剥がれ落ちていた。 「そんな顔しないでルード。俺はこの心臓がある限り死なないしお前を独りになんてしないよ」  ルードが言わんとしている事の意味を理解しながらブラックムーンは敢えて微笑んで見せる。せめてルードが罪の意識を持たずに戦える様彼なりに気を利かせたつもりなのだろう。  苦虫をかみ潰したような顔で舌打ちをしながらルードは愛剣を携え一気に己の力を開放する、徐々に変化していくルードの体は鎧のように見えていた物が本来の意味を取り戻す。全身が黄金色の鱗に覆われた美しい翼竜、大きく開いた口から漲る力の象徴の様に吐き出される火炎が熱波となり辺りを焼いた。  巨人族ですら一撃で葬るルードの全力を王宮で出させるわけには行かない、とロズブロークが予め人払いをしてあった平野目掛けて彼は飛び立った。  まるで火球の如く灼熱の波動を纏い空を焼くルードの姿は太陽のようで、ブラックムーンは感嘆にため息を漏らす。  神々しささえ感じて空を見上げた誰もがルードを太陽の化身と崇めるのではないかと、そう考えるだけでブラックムーンは自然と微笑んでしまう。名声などは国が壊れれば残らないが、信仰はいつまでも残るモノと彼は認識していた。  故にこの戦いを多くの者に見せてルードへの信仰心を芽生えさせたいと、ブラックムーンは考えている。本人にそんな事を言えばすぐさま戦うことを辞めて自害さえしかねないとも解っていた。 「ルード……」  ブラックムーンと同じ様に空を見上げて壮麗なる炎の翼を見上げる者がある。ロズブローク達と行動していたミスティだ。 「犠牲が…もう、僕の命程度では贖えない……」  ブラックムーンが誘導していたとはいえ崩れた王宮の下敷きになって死んだものもいれば、逃げ遅れて竜帝に踏み潰された者もいる。そんな絶望さえ漂う王都上空に現れた太陽の如き眩さを放つ存在を、民がどんな想いで見上げるか。  ミスティはブラックムーンやロズブローク達が成そうとしている事に気付いて、泣き出しそうな顔で目をすがめた。 「ミスティ、イグニット。ルードの後を追うぞ」  言うよりも早くロズブロークもまた竜へと姿を変えて大空へと舞い上がっている、壮麗なる黄金の翼にどこまでも長く伸びる長い胴。稲妻のように天を翔けるその姿を追いかけるイグニットはまるで天から差す光の帯のように真っ白な翼を持つ竜に変わった。  隣に並ぶミスティは頭上に茨の後輪を背負った竜となるが、彼の羽根は6枚に分かれた精霊のようでもあった。  それぞれが見せる竜の姿はバイカル帝国を覆う暗雲の様なアコールに立ち向かう希望のように見られる事だろう。本来であればアコールが担うであろうその崇拝を受けて、最も偉大な王を殺しに行くのだとミスティは一人嘆くのだった。  竜帝アコールと7人の騎士による戦いは長時間に渡った。  兵士たちは紙くずの様に蹴散らされ、設置された兵器や魔法陣による援護も虚しく大地を獄炎が焦がしていった。  だが、それでも人々は諦めることがなかった。  空より星を降らせるかの如く矢を射るマリンホークが、愛猫に魔力を注いで猛獣として操るミスティが絶望的な場面で彼らを救う。アコールの吐き出した炎が迫る中、それを切り裂いて刃を突き立てるルードの後ろ姿。幾万もの空より来る盲目の使者を従えアコールの巨躯を食い破るロズブローク、そして多数のゴーレムを配置し彼らの体力面でのサポートから魔具の配置により一般兵の増強を成すジュードターナー。 「ジュード!3時の方角、攻撃予備動作から左爪の攻撃が来る!正面は6時方向から火炎だ!」  ロズブロークの言葉にジュードターナーは軽く頷いた瞬間にはゴーレムが兵士たちに向けて魔法障壁を貼り、キューブ型の魔具に込めた魔力を右足側に投げた。  体勢を崩されながらも火を吹くアコールの大きく開いた口めがけて、マリンホークの矢が容赦無く降り注ぎ火の勢いは弱まる。司令塔であるロズブロークの的確な行動予測と即座に対応する騎士たちの動きは、正しくバイカル帝国を大陸最強の国へと統一したのだと彼らよりずっと寿命の短い人間は伝説を目の当たりにしたかのように喜んでいた。  上がる士気とは逆にロズブロークやルード達の心は重く沈んでいく、アコールという生涯をかけて仕えるべき相手を殺すという重責と彼らを苛む良心と言う足枷があった。 「ルード……無理はしないで。お前が命令さえしてくれれば俺が」 「駄目だ、ブラック。これはオレたちが始めた戦争だ。オレ達の手で終わらせるぞ……」  身の丈ほどもある槍にも見える剣を片手で軽々持ち上げて構えるルードに、ブラックムーンは柔らかく微笑んで短剣を構えると二人はバランスを崩して倒れかけているアコールへと踊りかかった。  ルードの振り下ろした斬撃は的確にアコールの鱗の隙間から皮膚を切り裂き、内部を露出させる。そこへ更に臓腑を切り取る様にブラックムーンが滑り込んだ。  まるで噴水のように血飛沫が上がり二人の体は赤く染まる、と同時に二人は散会する様にアコールの体から離れるとロズブロークの指示でトーテムからの爆撃が相次いだ。  横っ腹を切られた上に傷口に魔法による砲撃を何度も打ち込まれたアコールの巨躯がゆっくりと倒れていく。 「退避!退避ーーーっ!!」  早馬による伝令が走りアコールの倒れる側面に張り付いていた軍が引いていく、それでも間に合わなそうな者たちにはマリンホークとイグニットがドラゴンスケールと呼称されるバリアの様な魔防壁を作り張っていた。  ズゥンと地響きを轟かせて倒れたアコールの傷口を眺めるルードの視線は未だに鋭く、勝利を確信した関の声を上げる兵士たちの上を飛び越え首元へと着地した。 「ミスティ!」  上空から支援していたミスティは呼ばれて人間態を採りながらルードの側に降り立つ。 「あの傷口が一番心臓に近い。お前なら出来る……いいな?俺ごと撃て」 「ル、ルード……?」  ミスティが言葉の意味を測りかねていると分かっていながらもルードは飛び立つ、傷口から見える心臓は魔法陣で覆われ守らている。傷つけることが出来るだけの魔力を斬撃に込めながら傷ついた肉が魔力を吸って再生し始めている事にルードは気付いた。  アコールほどの高位の魔法生物であれば再生能力があるのは当然として、それを阻害する闇の魔力がある事もルードは知っている。問題はそれを行使する相手だがちらりと振り返った先に映るミスティの隣にはブラックムーンが立っていた。  ルードの言葉にのみ忠実たろうとするブラックムーンの性質を今だけはありがたく思いながら、握りしめた剣の柄で魔力伝導の振動を感じた。 「アコ丨丨丨ル!」  それは咆哮にも近い声だった。  上空に響き渡るルードの声をその戦場に居た誰もが聞く、勝利の雄叫びではない事を知りながらルードと言う騎士団最強の男がついに引導を渡すのだと魔力に寄って作り出される火炎の波動を翼のように拡げて跳躍する影を見つめた。 「今だミスティ!魔法陣を展開しろ」  ルードの神々しささえ感じる姿に魅入ってしまっていたミスティの肩を掴んでブラックムーンが指示を出すと、我に返ったミスティが言われるままに魔法陣を眼前に描き始める。出来得る限り巨大に、アコールの心臓を包み込むような光の柱をイメージして自らの魔力を込めていった。 「本当に︙︙このまま撃てって言うの?ルードごと?」  未だに迷いを見せるミスティにブラックムーンはいつになく不満を表情に乗せて眉間にシワを寄せた。 「迷うな、ルードの意志は絶対だ︙︙それに、これはルード自身が望んだこと。ミスティにしか出来ないと言っていた」  同じ騎士団に所属しているというのにミスティは隣に立つブラックムーンの事をよく知らない、お互いに社交的ではないのもあったがブラックムーン自身がルードの傍にいる以外は姿を見せる男ではなかったのが拍車を掛けた。  幼い頃からルードと共に育ってきたミスティにとってブラックムーンは突然現れルードの隣という自分の居場所を奪ったに等しい男だ。  敵視をする性格では無かったにしろ少なからず憎々しく思う事もあったのだが、ここにきてミスティはブラックムーンを羨ましく思ってしまう。例え彼が現れず自分がルードの隣に並び立ったとして、今のようにルードの意志を汲んで強固な意志で実行できただろうかと考えてしまうのだ。  今のように悩んで困惑して、決断できずにルードの行動を無駄にしていた可能性さえあった。 「もう少しだミスティ、ルードがアコールの心臓に掛けられた魔法障壁を破った瞬間を狙え」  巨人族すら一撃のもとに葬り去るルードの全力を耐えるほどの魔力は残されていないと誰もが踏んでいる、まだ表情には迷いが晴れているようには見えないミスティの肩をブラックムーンは強く掴んだ。  ルードの炎をまとった剣が振り下ろされる瞬間、その一瞬を狙ってブラックムーンがミスティの肩を掴んでいた手に力を込めるとそれが合図になって極大の光の柱がアコールの心臓目掛けて放たれた。 「グアアアアアアアアア!」  心臓を守っていた結界が破られ噴出する大量の血液と魔力、大気中に噴霧されるそれを浴びながらルードは自分の背後に迫る魔力の波動を感じていた。  自分に残されていた最大の魔力でドラゴンスケールを発動させると、あとはミスティの魔力に押される様にしてアコールの心臓を寸断していく。ブチブチと切れた血管が血を吐き出しながら暴れ回る中を突き進み、遂にはルードはアコールの体を横断して外に飛び出した。  それはまさに勝利の瞬間だった。 「ルゥドォォォォォ!」  心臓を断たれても魔力で動くアコールの鋭い爪がルードの身体を掴み食い込む、容易く鎧を砕き腕がひしゃげる。 「が、ああああああっ!ア……コール!」 「貴様も道連れに……!」  逃がすまいと握り込んだルードの身体をアコールの爪が押し潰していく、骨がミシミシとそこかしこから悲鳴を上げてルードは血を吐く。痛みに絶叫しながら抵抗する腕を折られて、魔力を放出しきった今の状態では無力にも死を待つしかなかった。 「やらせないんだからぁ!」  どこからともなく聞こえた叫びは一条の流星の如き矢となり、アコールの目を貫く。その速さに匹敵する程の動きでアコールの指を切り刻むのは黄金色の閃光にしか思えぬブラックムーンだ。  最後の足掻きを見せるアコールの身体を取り押さえているのは、ロズブロークの召喚した目を持たぬ天の使い。露出した内臓に向けて核熱による誘爆を引き起こす魔力キューブを投げつけるのはジュードターナーだ。 「ごめんなさい、アコール……もう静かに眠って……」  最期に見たのはイグニットの聖母の微笑みだったのだろうか、強大な魔力の柱がアコールの身体を地面から貫き一部が灰燼と化した。  ブラックムーンがルードを抱えて地面に着地する頃には、全員がこの場に集っていた。  ただ一人、ミスティを除いては。 「ルード、ルード!」  真っ先に駆け寄ったのはジュードターナーだ。  続いてイグニットが少しでも癒やそうと手を伸ばす、マリンホークとロズブロークは俯いてルードを見下ろしていた。 「イグニット、無理だよイグニット……」  ブラックムーンが何度止めても彼女は効かない回復魔法をかけ続ける。 「だって、駄目よ………今、ルードが死んじゃったら!ミスティが自分のせいだって」  彼女の言葉に違和感を覚えたマリンホークは眉を寄せてまさか、と呟いた。 「ブラックムーン……教えて、ルードは最初からこのつもりで戦ってたんじゃないの⁉」 「あ、まり……ブラックを責めないでくれ……おれ、が殉死すると決めたんだ」  ブラックムーンに詰め寄るマリンホークに言葉を返したのはルードだ。  時折咳き込むと血を吐き出して苦しげに眉をひそめるルードの言葉に、マリンホークは唇を噛んでそれ以上は何も言えなくなってしまった。 「ロズ、後のことは頼む……マリン、ミスティには……自分を、責めるなと……ぐっ……うぅ……」  苦しげにしながらも体を起こしてロズブロークを呼んだルードは自身の愛用していた大剣を手渡し小さく頷く、ロズブロークもまたそれに答えるように任せて欲しいとだけ伝えた。  ブラックムーンもまた、同じように武器を預けると受け取りに寄ってきたロズブロークに何かを耳打ちする、その言葉に驚きを隠せないロズブロークはじっとブラックムーンの顔を真剣に見つめた。 「ブラックムーンお前……いや、何も言うまい……お前たちの決めたことに口出しはせんよ」  滅多に見せない微笑みを見せたブラックムーンの背後に一匹の黒竜が有り立つ、遠くで鳴り止まない地響きのようにアコールを倒した騎士団を称える勝利の声と愛しい者たちを失ってしまった騎士団の悲しみ。二つの感情が入り混じったその場所からブラックムーンはルードを大切に抱きかかえて飛び立つ。残された者たちはいつまでもブラックムーンとルードの背中を見守っていた。 「寒くはない?もうじき聖地だよ、ルード」  黒竜の上でブラックムーンは徐々に呼吸音が弱くなるルードに、穏やかに話しかける。既に限界は超えているのだろうと知っているが、そうやって話しかけていないと正気を保って聖地を目指せない気がしてブラックムーンは平静を装った。 「そう、か……もう、よく目が見えないんだ……ブラック、手を……」 「ああ、ルード……俺はここだよ。ずっと傍にいるよ」  握りしめた手から伝わる弱々しい反応とそれでも握り返してくる温もり、ブラックムーンは堪えていたものがポツポツと自分の瞳から溢れ出ていくのを感じる。暖かな雫は下を向けばルードの頬や手を濡らして、彼の顔にこびり付いていた血液を筋となって流していった。 「泣いてるのか、ブラック……ああ、こんなとき、に……見えないなんて……泣いてる顔、もっと、近くで……」 「駄目だよ、ルードが涙で汚れてしまう……ッ……ルード……」  もうほとんど動けないとブラックムーンは思っていたが、ルードは最後の力を振り絞ってブラックムーンの頬に口づけその涙を吸った。 「はは、お前の、涙も……しょっぱいんだ、な……」  そう言って微笑みを見せるルードにブラックムーンは自分の目元を乱暴に拭いて、泣いてないよと強がった。 「……なあ、ブラック……いつか、うまれ、かわるな……ら……こんどは、ちゃんと……好きって……」 「……分かってるよ、ルード……お前の望みなら俺が何でも叶えてあげるから……ルード……独りにはしないよ……ルード……ルード……ルードォ……ッ!」  遠い目をしながら来世を語るルードの言葉尻はもう掠れて聞こえない、ブラックムーンは彼の弱くなる心音を聞きながら途切れるまで手を握り名前を呼び続けた。  まるで産まれたばかりの赤子が呼吸をするかの様に自然に、純粋な涙が堰を切って溢れ出すとそれは咆哮となり空間を揺るがせた。  この悲しき竜の鳴き声は大陸全土に聞こえただろう。  後に竜の聖地で自らの心臓をえぐりだしたブラックムーンの遺体がルードを埋葬したのであろう石棺の近くで発見された。  見つけたのはミスティである。  側で棺と遺体を護る様に眠るポーンドラゴンを撫でながら、彼は冬空に輝く太陽を見上げた。 「君がこの地を護るなら、僕はここに国を建てよう……僕ら竜族の記憶と記録を、残す為に……そして、僕もまたルードを見守らせて欲しいんだ」  キューン、とポーンドラゴンは悲しげに鳴いた。  それから崩壊したバイカル帝国の後見を巡って竜族と他種族との争いは激化していった。  最後の竜帝アコールにかけられた呪いが竜族全体に広まる事を懸念した人間の貴族たちによる反乱だった。  ミスティは自らの血を杖に封じて極寒のノース・ボン・フロスティの地でその生涯を終えたという。彼が書き残した書物に他の騎士団であったメンバーの名前が出てくることは無かった。  そして、エグゾス大陸で竜と言う生き物その物が忌まわしいモノとして扱われる。竜族の種族としての冬の時代が到来するのであった……。

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