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グアンの苦悩
「俺は『こんどうむ』というものを買いに、葵がいた世界に行ってこようと思う」
「は?」
グアン自らシィンに星見の指導をしているところに呼び出され来てみれば、執務室に着いた途端フェイロンがおかしな事を言い始めた。
「『こんどうむ』?何ですかそれは?」
グアンは首を傾げる。何か法具のようなものか、もしくは葵の好物な食べ物かーー。
軽いとはいえ、多少つわりが始まった葵様は一時期食事を残す事が多くなった。
それを酷く心配したフェイロンが、自ら匙をとって雛に与えるように葵に食事を与える光景は、すでにこの宮殿の日常風景になりつつある。
その成果か分からないが、最近では葵の体調も大分安定してきたようだ。
「うむ。それがあれば性交出来るらしい」
「待ってください。何のお話ですか?」
「俺が性交したいという話だ」
「違います。そうではなく……」
グアンは深いため息をつく。
葵と結ばれてからというもの、フェイロンの言動がおかしくなる事が増えた。
元々執務ばかりの仕事人間だったので、周りの人間はその変貌に戸惑いを隠せない。
先日も青龍と呼ばれるのは恥ずかしいから、葵と呼んで欲しいと本人からお願いされた。
勿論それに従ったところ、一日中フェイロンから嫌がらせを受けたのだった。その後すぐに葵に見つかり、フェイロンがこっぴどく叱られた形でその場は収まったが、見つからなければ呼び名を改めるまで嫌がらせは続いただろう。
グアンにとってはフェイロンよりも青龍の言うことの方が大事なので従う気はさらさらないがーー。
「はじめから説明してください。何がどうして、そんな話になるのですか?」
呆れつつも、葵に関わる事なので無下には出来ない。
フェイロンはよくぞ聞いてくれたとでも言うように身を乗り出して事の経緯を説明し始めた。
「いやな、ずっと葵の体調が悪そうだったので、暫く夜の営みは控えていたのだ。だが、最近は調子も良さそうだろ?なので誘ってみたのだ。そうしたら、手でもいいかと言ってくるのだ!葵が、あの可愛い顔で、恥じらいながら、手でもいいかと、聞いてきたのだぞ!!」
「ーー良かったですね」
バンっと机を叩きながら、フェイロンが鼻息荒く語る。グアンは薄く溜め息を吐き相づちを打った。
「そう、良かった。いや、良くない。違うのだ。可愛かったのだが、俺が言いたいのは、なぜ性交が出来ないのかと言うことだ。俺は、正直に言えばいつ何時(なんどき)でも挿入したい」
(この話、私が聞かなくてはいけないのだろうか)
口調に熱がこもり、煩いほどの熱量を持ったフェイロンを薄目で眺める。
「俺達は愛し合っているのだ。そんな二人が性交出来ないなんて、おかしいだろう」
「葵様は妊娠していらっしゃいます。そのような気分にならない事だっておありでしょう」
「いや、グアン。俺もそう思ったのだが、きちんと理由があったのだ。葵が言うには俺が葵の中で『気』をやると、陽の気が高まり過ぎて赤子に悪い影響がある事を心配しているらしい」
「……」
「お前が思っていることは分かるぞ。では、外に、と思ったのだろう」
(思っていないのだがーー)
間違った事をしたり顔で指摘した上に、そのままフェイロンの熱弁は続く。
「俺もそれを提案したが、それでも不安なのだという。そこで葵が『こんどうむ』があればな、と、そう呟いたのだ」
「はぁ……」
「葵から聞き出したところによると、その『こんどうむ』を俺が使えば、葵に挿入してもいいらしい」
「それは大丈夫なのですか?恐ろしい魔具のような物ではなく?」
「なに、薬売りで普通に売っているらしい」
もう、売っている場所まで聞き出していた。相当な勢いで問い詰めたのだと思うと、葵に同情を禁じ得ない。
「と言うことで、ちょっと俺はあちらの世界に行ってくる」
「お待ちください!!」
今すぐにでも立ち上がって行ってしまいそうなフェイロンを必死で食い止めた。
「どうやって行かれるつもりです!?」
「前回と一緒だ。紫龍草を食べる」
「何かあったらどうなさるんですか!?」
「何とかなる」
(駄目だ。もう葵様と性交する事しか頭にない)
「分かりました。その『こんどうむ』なる物はこちらの方で手配します」
「本当か?すぐに欲しい」
「あちらに安全に行ける朱雀様にお願いしなくては行けません。流石に直ぐにというわけには行きませんが、なるべく急いで頂くように文(ふみ)に書きますよ」
「……やっぱり俺が」
「いいんですか。向こうで迷子にでもなったり、体調を崩されたらそれこそ葵様にご迷惑をお掛けしますよ。ハッキリ申し上げて、非常に格好悪いですよ」
「うぅ……」
フェイロンは大いに不満がありそうだったが、仕方なさそうに渋々頷く。
その代わり今すぐ文を出せと、侍従に硯を持って来させた。
早く早くとせっつく王様の横で『こんどうむ』のお願いを文にしたため、使役鳥の脚に括り付ける。
「うちの王が迷惑をかけて申し訳ありませんが、急ぎで頼みます」
分かっていると言うようにチュンと一鳴きすると、小鳥とは思えない速さで遠くの空に消えていった。
朱雀の使役鳥は見た目は可愛らしい小鳥そのものだが、急ぎの返事を頼むと2日もあれば帰ってくる。常人には知り得ない朱雀の法力が効いているのだろう。
(やれやれ……)
小鳥に向かって拝むようにしているフェイロンを見ると、一国の王というより思春期の少年そのものだ。
子供の頃から時期国王として立ち振る舞い、大人びたところがあったフェイロン。
今になって我儘を言えるようになったのは、きっと喜ばしい事なのだろう。
(まぁ、葵様が本当に嫌がった時は容赦しませんが)
葵は葵で、フェイロンに甘えられるのを心底幸せに思っているのがこちらにも伝わってくるので、似あいの夫婦なのかもしれない。
「なんだ?」
視線に気付いたのか、フェイロンがこちらを向いた。若干バツが悪そうな顔をしているので自分が恥ずかしい事をしている自覚はあるらしい。
「いいえ、陛下が幸せですと葵様もお幸せそうで何よりです」
「……」
「なんですか、その顔は。本当に心からそう思ってますよ」
「……まぁ、いい。そうだな。俺は幸せだ。葵のおかげだ。それに、お前もな」
「え?」
「お前がいなければ、葵と結ばれる事は無かっただろう。葵を助けてくれた事、他にも、まぁ色々感謝している」
「陛下……」
驚いて言葉を飲んだ。フェイロンからこのような言葉を貰うことは今まで一度も無かった。
勿論、王が臣下に礼を言うことなど滅多にないことなのだがーー。
「……陛下、変わられましたね」
「なんだ急に、まぁ……そうだろうな。俺は満たされているから、人にも優しくなれるのだ」
悪戯そうに笑いながらそう言ったフェイロンだったが、それは間違いではないのだろう。
(これが本来の陛下なのか)
以前のフェイロンは、見るもの全てに畏怖を抱かせ平伏せずにはいられない雰囲気があった。
だが、寛いだ様子で窓の外を眺めるフェイロンは、以前より柔らかで話しかけやすい空気を持っている。
だが寧ろ今の方が王として付いていきたいと思わせる余裕と貫禄があり、龍王としての器が垣間見えた。
「あちらも、元気にしているかな……」
グアンにだけ僅かに聞こえる声で、独り言のようにフェイロンがつぶやいた。
名前は出さないがグアンにはホンの事を指しているのがすぐに分かった。
万が一にも他の者に聞こえない配慮だろう。王が罪人を心配するわけにはいかないのだ。
「そうですね。朱雀様と喧嘩ばかりしているようですが、元気そうですよ」
「そうか、ならいい……」
暫し二人で窓の外を眺める。
幸せなら幸せな程、失ったものを思う気持ちはグアンにも理解できた。
「また、元気を知らせる便りがすぐに来ますよ」
窓の外では、木の上に小鳥が3羽戯れあっているのが見える。その光景は遠く過ぎ去った幼き日々と重なり合うのだった。
その数日後、元気の便りどころが宮殿に火でもつきそうな程怒り狂った文が朱雀から届いた。
しかし、きちんと『こんどうむ』なる小箱も同封されている所が朱雀の律儀さが現れている。
フェイロンは大喜びで早速使い、次の日の公務はこちらが恥ずかしくなるほど上機嫌だった。
(多少の我儘は聞いてあげましょう。貴方も私の大事な幼なじみなのですから)
葵の事で他の者に相談されるのも癪に触るし、とグアンはフェイロンの我儘を温かく見守る事に決めた。
だが、それから数ヶ月後ーー今度は葵から「フェイロンが母乳を吸いたがって、ほとほと困っている」と訴えられる事はこの時のグアンは知る由もない。
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