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孤独な黒蛇は、赤くなる。

「クロ様、申し訳ありません。ただいま葵様は体調を崩しておりまして……陛下から客人は全て断るようにと仰せつかっております」 「え……」  勝手知ったる王宮で、後宮に入ろうとしたところを、控えていた侍従に止められた。  今日は白虎が海の民に会いに行く日なので、堂々と葵に会いに来れる!と意気揚々とやってきたのに。  クロが下を向いて途方に暮れていると、気の毒に思ったのか侍従の声が若干和らいだ。 「若君達はただいま剣の稽古の最中ですが、もう少したてば休憩時間です。客室でどうぞお待ちください」 「……はい。いえ、いいです……」  クロは肩を下ろしながら踵を返す。侍従が後ろで引き留めていたが、あえて無視してその場を去った。  中庭を通ると陽の光がジリジリと照りつける。日中だというのに、この熱さで見張りくらいしか人影がいない。白いタイルに反射して眩しいくらいに照りつける光が、逆にクロの孤独の影を色濃くする。  クロは息苦しさに耐えながら紫龍園へと向かった。煉瓦に囲まれた細い道を抜けると、そこには横一列に木が生い茂っている。クロが生まれ変わった時にはなかったものだが、紫龍園の様子が外から見られないように、まわり一面フェイロンが植えさせたものだ。葵がゆっくりと紫龍園で寛げるようにという配慮かららしい。  クロはその中でも一際大きな木に近づき、木陰に身を隠す。  すると少し息が楽になった。たまに吹く風が、紫龍草の爽やかな香りを運んでくる。  クロはその場で人間の姿のまま、とぐろを巻くように丸まった。自分が玄武で、黒蛇の姿になれる事は自覚しているが、クロは生まれ変わってから数える程しか黒蛇になった事はない。  侍従が昔、隠れて自分のことを妖魔と呼んでいた事をクロは知っていた。その侍従はいつのまにかいなくなっていたが、クロはそれがなんとなく良くない意味で使われていたのが分かった。  なのでなるべく葵達と同じように、人間の姿をとって暮らすようになった。  葵や葵の家族と同じでいたい。クロだけ異質になるのが嫌なのだ。  白虎もそんなクロの気持ちを察してか、クロの前では殆ど白虎の姿をとらない。  月に一度なじみの海の民に会いに行くときは白虎の姿をとっているらしいがーー。  白虎が出かけている事を思い出すと、必然的に今日は葵に会えないことも思い出した。  クロは暗い気持ちで、そこから見える紫龍園を眺める。  ここにくれば、葵の好きな香りを感じられて気が紛れるかと思ったが、寧ろ寂しさが募る一方だ。 (寂しいよーー葵。抱っこして欲しいよ)  クロが生まれ変わってから九年たつ。その前の記憶は殆どない。  そんなクロを、葵は大丈夫だよ、と言って抱っこをして育ててくれた。抱っこをすることで「法力」をクロに分けてくれるのだ。  他の皆はご飯を食べて成長するが、クロは「法力」によって育つ。白虎も毎日のように分けてくれるが、クロは葵に抱っこされるのが大好きだった。 (もう九つになって、抱っこなんておかしいって知ってるけどーーー)  本当はもう大分大きくなったので、手が触れるだけでも「法力」は分けて貰えるのだ。  葵もそれが分かっている。でも、クロが言い出さない限り、葵はずっと抱っこして「法力」を分けてくれる。 (こんなんじゃ、またルーフェイに虐められる)  ルーフェイは、クロが生まれ変わって暫くしてから産まれた葵とフェイロンの長男だ。  小さな時から双子のように育ったのに、最近ではみるみる育ってクロより頭一つ大きい。  クロがいつまでたっても葵に抱っこされているのを馬鹿にして、いつも意地悪を言ってくるのだ。  葵の子は4人いるが、いつの間にか上の三人は皆抱っこして貰わなくても平気になっていた。  なので、今クロは一番下の三歳のテンチェンと順番待ちをして、葵に抱っこされるといった具合だ。  そんな事だから、ルーフェイは「いい加減、葵から卒業しろ」と会う度に口煩く言ってくるのだが。 (俺だって分かってるよ、そんな事ーー)  だが、どうしてもダメだ。  クロは、常に誰かと触れあっていないと不安定になる。  白虎に抱っこされるのも嫌いではないが、葵に抱っこされていると、不安な心が一気に満たされ、お腹の奥からぽかぽかとあたたまるような心地がするのだ。  逆に誰かのぬくもりを感じていないと、どうしようもない寂しさに襲われる。  今もぽっかりと胸に穴が開いて、こんなに暑い日なのに冷たい風が吹き込んでくるようだ。 (寂しいーー)  こうなってしまうともうダメだ。  この世で自分一人しかいないような気さえしてくる。  実際、自分が人間ではないという事実が、クロの頭には常にあった。  白虎は何を考えているのか良く分からないし、朱雀には数える程しかあった事がない。  葵だけが、クロの不安を取り除いてくれる。自分は葵から産まれたのではないかと思うことさえあるが、実際は葵には他に四人の子供がちゃんといるのだ。  クロだけ、葵の子供じゃないーー。 (あ、ダメだ)  ジワリと視界が歪む。  これを考えてしまうと、とことん沈んでしまうのが分かっているので普段は考えないようにしているのにーー。  クロは寒くて仕方ないように、ますます身体をギュッと縮こませた。  と、突如、木影が濃くなったのを感じる。 「やっぱりここにいた」  顔をあげると、上から碧色の瞳が覗き込んできた。 「ルーフェイ……」  額に汗をなじませ、勝ち気そうな顔を覗かせたのは、葵とフェイロンの長男。来年皇太子として正式に立太子する予定のルーフェイだ。  紫の髪を肩まで伸ばし、顔つきも最近ますますフェイロンに似てきた。異なるのは、光に透かした木の葉をそのまま移し込んだような碧の瞳だけ。 「なんだ、またメソメソ泣いていたのか。葵に会えないくらいで……お前は赤ん坊のようだな」 「……」  クロはせめてもの抵抗で返事をしない事にした。  ルーフェイに言われなくたって、そんな事自分が一番思っている。 「テンチェンだって、大人しく昼寝して待っているのに。お前はいつまでそうやってイジケているつもりだ。今回の葵の『つわり』は酷いそうだから、これから暫く会えない日が続くぞ。ずっとそうやって泣いて過ごすつもりか?」 「……い」 「だいだい、お前は普段からどうして俺を……」 「煩い!!」 「な……」  ルーフェイがびっくりした顔でクロを凝視する。  まさか言い返されると思っていなかったのだろう。  ルーフェイの言うことはいつも正しくて、クロは不満に思いつつも、いつも大人しく聞いていた。  だがーー 「だって!葵がいない時は、いつもルーフェイ達がいてくれたのに!!お前達が剣の稽古なんて始めるから、俺は一人になっちゃうんだ!!」  我慢していたものが一気に噴き出す。溜まっていたものが、涙となってどんどん溢れ出した。  今までは、葵が会えない時は葵の子供達が必ずクロと遊んでくれていた。  勉強の時間には一緒に勉強をした。  だが、剣術の授業だけはクロは一緒に受けられないのだ。  霊獣は剣を持ってはいけない。  そういう決まりなんだそうだ。  だから、子供達の剣術の時間はクロは客室でお菓子を食べながら待つ。  クロは部外者だから、いつも、皆がいる後宮でもない。  綺麗に整って、誰の気配もない客室で、美しく何の味も感じないお菓子を食べながら待つ。 「俺だって!泣くのは嫌だし!一人になるのも嫌だ!ルーフェイが俺を一人にしたんじゃないかっ」  とんでもない八つ当たりだ。  剣術の稽古はルーフェイの義務だ。ルーフェイがわざとクロを一人にしているわけではないのに。  頭では分かっていても、寂しさが怒りにすり替わって感情が溢れ出すのが止まらない。 いつまでも泣き止まないクロを、ルーフェイは下から覗き込んで言った。 「なるほど。お前は葵に会えなくて泣いていたのでなくて、俺に会えなくて泣いていたのだな」 「えっ、いや、そんな……」 「では、クロ。お前、さっさと嫁に来い」 「は、はぁ……!?何言って……っ!」 「結婚は十二歳になってからと決まっているらしいのだがーー。まあ、俺が立太子するとき王位継承者以外は養子に出す法も変えるのだから、ついでにその法も変えてしまおう」 「ちょ、はっ!?え?ど、どうして……?本気?」 「本気に決まっているだろう。父上にはプロポーズはもう少し待つように言われているが、葵は応援すると言っていたぞ」 「は!?なんでそんな話題になるの?そもそも、俺は女じゃないのに!」 「だが、男でもない」 「えっ!?なんで知ってるの!?」  驚いて声を上げた。確かにクロは両性体だ。玄武は陰陽を併せ持つ特性状、男であり女でもあるのだ。  葵は当然知っているが、フェイロンが知った時は凄くびっくりしていた。あえて言うことではないしと、子供達に自分から言った事はなかったのだが。 「お前と結婚するつもりだと葵に言ったら、教えて貰った。まあ、別にお前が男だろうとどちらでも俺はかまわん。ただ、女でもある方が確かに結婚の儀式がスムーズかもしれんな」 「え、待って……。お前、元々俺と結婚するつもりだったの?」 「そうだが?」  当然のような顔をしているルーフェイの肩を掴み、クロは勢いよく振った。 「いやいやいや、全然そんな素振りなかったじゃないかっ。お前、いつも俺を虐めてたよな」 「虐める?」 「自覚なしかよっ。いつも葵に抱っこされるのをやめろって」 「なんだ、そんな事。当然だろう。葵に抱っこされていては、俺がお前を抱っこ出来ないではないか」  あまりの衝撃に言葉を失った。  そう言われてみると、ルーフェイは度々クロに「俺が抱っこしてやる」と言っていたような……。完全にからかわれているだけだと思って、無視していたのだが。  まさか、それが本気だったとはーー。  クロは改めてルーフェイをまじまじと見る。ルーフェイは一般的には顔は整っているし、口煩いが面倒見もいい(言葉は圧倒的に足りないが)  これから国中の娘が一番結婚を夢見るのが、このルーフェイという事になるのだろう。だがーー 「でも……やっぱりそんなのおかしいよ。俺、霊獣だよ。この先どれくらい生きるかもよく分からないし、子供も産めないと思う。そんなのが、国の王様になる奴と結婚なんて出来ないよ」  ずっと一緒にいたからこそ分かる。  龍王であるフェイロンと、青龍の葵との間に産まれた長男であるルーフェイへの期待と重圧。  ルーフェイはいつも平気な顔をしているが、彼の一挙一動に国中が熱い視線を向けているのだ。  とても子供を産めない、ましてや黒蛇の自分が嫁にいくなど考えられない。 「子供など、別に問題ない。父上も葵と出会っていなければ子供は作らなかっただろうとおっしゃっていたぞ。幸い俺には弟と妹が沢山いるし、なんだったらまた産まれる」 「いや……そうだけど、そういう事じゃなくて……ルーフェイは……普通に可愛い人間のお嫁さんを貰うべきだよ……」  肩に置いていた手を弱々しく下げる。  すると今度は、俯いたクロの肩をルーフェイがポン叩いた。 「なるほど。クロは俺にふさわしくないと思っているのだな。随分と愛らしいことを言うもんだ。では、お前に俺の秘密を教えよう」  そう言うと、ルーフェイがクロの腰に手を回し、お姫様抱っこのように担いできた。突然不安定な格好になり、思わずルーフェイの首にしがみつく。 「え!な、なに!?」 「そうそう、しっかり掴まっていろよ」  次の瞬間、身体がガクンと落ちたような感覚に陥った。思わずギュッ目を閉じる。 「クロ、目を開けてみろ」  言われておそるおそる目を開けてみると、落ちたと思ったのは錯覚で、実際には木の上まで飛んでいた。  そう、飛んでいたのだ。 「え!?」  ルーフェイとクロのすぐ下には先程の木が生い茂っているが、足下には支えているものがなにもない。  ルーフェイが宙(ちゅう)に浮いているのだ。 「……うそ、でしょ」 「誰かに見つかるとまずいから、これで終わりな」  ルーフェイは悪戯そうに笑って、一番太い木の枝にクロを抱き上げたまま足を下ろした。  状況がまだ飲み込めないクロに向かって、ルーフェイは淡々と言って聞かせる。 「これで分かっただろう?俺も人間とは言えぬ。本当は結婚してからのサプライズにするつもりだったのだがな」 「な、なんで……」 「何故かは分からん。だが、葵の元いた世界では青龍が生まれ変わる為の家系があったそうなのだが、そこの血筋が葵で途絶えるらしい。もうあちらの世界で青龍が生まれない事に関係しているんじゃないか、と葵は言っていたな」 「でも……」 「俺は飛ぶことしか出来ないので青龍というわけでもない。だが、人間でもない。お前は正真正銘の玄武だ。むしろ相応しくないのは俺の方かもしれん。だが、俺は王になる男だ。お前を幸せにする器量はあるつもりゆえ、安心して嫁に来い」 「う……」 「なんだ、クロ。顔が真っ赤だぞ。可愛いな」 「嘘!!」  意識すると自分の顔が茹で蛸のように赤くなっているのが分かる。  見慣れているはずのルーフェイが、なんだか、とっても……。 「なんだ、俺に惚れ直したか?」 「も、元々惚れてないよ!!」 「なんだ、残念だな。だが、安心しろ。直ぐ惚れる。俺よりいい男などいないからな」  自信満々で傲慢なのは、ルーフェイのいつもの態度なのだが、何だかそれが今日はーー (ど、どうしよう。ちょっと、格好良く見える……かも……) 「俺が立太子したら、まずは婚約だな。口付けするのはそれまで待ってやろう」  それこそ口付けされそうな程顔を近づけて囁くルーフェイに、煩いほど心臓の鼓動が脈打つ。 「早くお前と口付けしたいな……」 「~~~~~~!!」  蕩けそうな笑顔でそう囁かれ、思わずルーフェイにしがみついていた手にギュッと力を込めた。 (こいつ……大人になったらどうなっちゃうんだろう)  それが怖いような楽しみなような、そんな気持ちでクロはルーフェイの身体から微かに漂う紫龍草の香りに身を任せた。

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