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オレ(XX才)
オレは自身の欲望を満たすために尺り、男たちはそれぞれの理由からオレに尺らせる。
それらが折り合うところで取引が成り立ち、オレは竿を見繕う手間をかけずに尺ることができている。
ただ尺られるだけならオレでなくてはならない理由はない。
すべての竿に愛想を尽かされたとき、オレの欲望は死ぬのだろう。
依頼を受けたら出向いて尺る。
でかい竿も小さい竿も、早いヤツも遅いヤツも、多いヤツも少ないヤツも。
オレに尺らせて精を放つ男たち。
望みは発射か尺りによる自分自身の慰めか。
委細構わずオレは尺る。
もう何人の男の竿を尺っただろうか。
初めて尺ってからずいぶんと経ってしまった。
中坊のころのあの衝動はとっくに失せてしまった。
それでも、まだオレは尺り続けている。
なぜオレはこんなに尺ることに捕らわれてしまったのか。
舌先で感じる体温か。
クチいっぱいに頬張った時の圧迫感か。
吸い込み啜り上げるときの窒息感か。
絞りおろすときの唇の抵抗感か。
どれもそうだしどれが条件でもない。
すべてが尺八にまつわるピースであり欠けることなくオレには必要だ。
オレは尺ることで相手からの信頼感も愛情も感じ取ることはない。
オレが尺りたいから尺っているだけで、そんな見返りが得られることなど最初から期待していない。
逆にオレに尺られることでオレからの何かを求めたり受けとったりしているか。
そんなことはどうでもいい。
相手に竿があってオレはそれを尺りたい。
それだけだ。
いつか、オレは尺ることに飽きて誰の竿も尺ることはなくなるかもしれない。
それは今ではない。
ただ尺る。
オレは抱かれることもなく、誰も抱くことはない。
ただ、尺るのみ。
男の股ぐらにそそり立つ竿だけが必要なだけ。
いつかこの飢えが満たされて尺らなくなるとして、そのときにオレが感じているのは満足感か達成感か、ただの嫌気か。
相手の竿がいきり勃つ。
ぱんぱんに血が巡りびんびんにヒクつく。
亀頭の先から透明な先汁が噴き出す。
それをオレはおもむろに咥える。
それだけのことにどうしてここまで込み入った思いを持たなくてはいけないのか。
ずっと分からないし、この先に分かるときがくるとも思えない。
それでも尺ることはやめない。
今は。
たまに思う。
女の股ぐらにも竿がおっ勃っていたら、オレはそれを嬉々として尺っただろうか。
オレが求めているのは竿を尺ることでしかなくて、相手が誰とか性別がどうとかそういうことはまったく不要な条件なのか、と。
分からない。
女には竿はない。
たまにクリが大きな女もいるが、とても尺れるほどの大きさではない。
オレは尺りたいのだ。
尺れるだけの大きさのクリ竿を持った女と出会えたら、土下座してでも尺ってみよう。
いまだ、尺るだけで絶頂を迎えることはない。
この先に迎えることができるという保証などない。
ここまでダラダラと言いつのった何かが動いたとき、オレはオレの尺りで絶頂を迎えることはあるのだろうか。
そんなもの、尺ってみるまでわからない。
たまに尺りながら絶頂を迎える女の話を聞く。
オレが求める絶頂とは違うものであるはずだから参考にはしない。
なにより、オレが尺ることで絶頂に達したのならば、オレは同時に精を放っていることだろう。
あいつらは精を放てない。
オレの気持ちなど誰にも分かってもらえないとは思うが、少なくとも精を放つことをしないヤツには到底わかることなどないだろう。
精を放つだけならしごけばいくらでも放てる。
たまに自分で自分の竿をしごいては発射させてはいるが、それで精を放つ快感とまったく違う感慨を得られるに違いないと思っているからこそ、オレは尺り続けているのだから。
オレが求める絶頂は精を放つことのみに終始するものではない。
それがそこらの男とは相いれない理由なのだろう。
だからこそ、こんな商売ができるというものだ。
オレは尺る。
オレの喜びのために。
たがそれは、尺られたい男たちの喜びに昇華する。
誰が呼んだか、尺八屋の物悲しい夜伽話。
いつの日か、尺ることで絶頂を得られたら、またオレの話を聞かせてやることもあるだろう。
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