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第10話 Side:M
あの日から二週間ほど過ぎた。寝るか外を眺めるかしかない日常の中、城から抜け出す術を考える時間はいくらでもあった。城の中のことも、城の外の近辺のことも俺は知っている。あれから何も変化していなかったら、考えた方法で城から抜け出せるはずである。今日はあの日以来のフィンの外出の日だった。前回のように二日開けるわけではなく、いないのは一晩だけで、翌朝早くに帰ってくる予定だった。だから、決行できるのはこの一晩だけである。
あらかじめフィンに城に残していくのをノインにするように頼んでおく。それに対して特に疑いも持たなかったフィンは頼んだ通り俺の世話役をノインに任せて城を出て行った。その晩、ノインが夕食を持って来てくれた時に話を切り出す。
「ノイン、俺の頼み聞いてくれるか?」
「え、……内容によるけど……、俺ができることなら」
珍しく俺の方から切り出すから、ノインは一瞬戸惑った顔をするけど、匙を置いてこちらを見てくれた。他のみんなではなくてノインを選んだ理由。それはちゃんとある。
「イオに、会いたいんだ。……フィンには頼めない。だから、お前に頼む」
その願いにノインはしばらく難しい顔をしていた。フィンには故意に部屋から連れ出すなと言われているのだろう。それを勝手に連れ出していいものか悩んでいる。しかし、俺がフィンに頼んでも叶わないだろうことはノインも分かっている。フィンにバレないためにためには今日のようなフィンのいない日にしか出来ない。アイハは前回のことを知っているから確実に外には連れ出してくれない。ではノインか他の近衛の誰かとなるが、あんなことがあった矢先、闇雲に誰かに頼ることなんて出来なかった。フィンに対して謀反を企てているものが近衛の中に含まれていないとも限られない。
だから、アイハの他に心から信頼出来て、俺の外出を認めてくれるであろうノインを選んだ。元とはいえ、大切にしていた部下たち。疑ってしまったことは、悪いとは思っている。
でも、これきりだから。
ノインはしばらく悩んだ後に、数分だけなら、とやっと首を縦に振ってくれた。初めての外に出たいという要望、それを棒に振ることは出来なかったのだろう。出来るだけ城の人目につかないように深夜に部屋を抜け出すという話に黙って頷く。ノインは本当にイオに会いたいだけと思っているだろう。罪悪感に心が軋むが、このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
灯りが落とされ、暗くなった廊下をノインは俺を抱えて駆けていく。見回りの兵がいないことを確認しながら階段を次々に降りて下へ下へと向かう。見つからないようにとノインは俺に黒いマントを羽織らせてくれていた。それにしてもいつのまにか本当に抱えられるようになった。俺が寝ている間も鍛えているのだから、昔よりも筋力は上がっているだろうけど、こんなに成長するものなんだなと思う。俺が痩せただけかもしれないけど。
……頼もしい背中になった。ノインが、みんながいるならきっと大丈夫だ。俺がいなくなっても、兵を執り仕切れていることくらい知っている。もう俺がいなくても大丈夫だ。いるだけ、仕事の邪魔になる。
「よ、っと……ここで大丈夫?」
「あぁ、ありがとな」
外から見えない馬小屋の中、イオの目の前に俺を降ろしてくれた。顔をあげると嬉しそうに鼻を寄せて来た白馬が一匹そこにはいた。ちゃんと俺のことは覚えていてくれたらしい。長い舌で顔を舐められるのが擽ったい。ノインは外の様子を見張るために馬小屋の入り口に立っている。向けられた背中、こちらには警戒していない。そっとイオに手を伸ばすとイオはマントを噛んで俺を引き上げてくれる。賢い子だ。ちゃんと目的を分かってくれている。小屋の柵に手を置いて、少し持ち上がった体を支える。閉じられていたイオの小屋の柵を開いて、全開にしておく。それから柵を伝って、隣の小屋の柵に手を伸ばす。腕力だけでその柵を開き、今度は開いていると分からないように表面上は閉じておく。イオに視線をやると、イオは咥えていた体をさらに上にあげて開いた柵から自分の小屋に俺を引き入れてくれる。曲げられない足があちこちにぶつかったが、何も感じない。痛覚が死んでいることが初めて役に立った。それからイオに指示を出して、隣の馬小屋に敷居を越えて移ってもらう。そこはたった今柵を開けた場所。イオの背中に隠してもらい、そこで眠る別の白馬に手を伸ばした。その手には、部屋にあったフィンの本が一冊ある。
「……ごめんな」
その本を開いて勢いよく閉じると大きな音が出る。耳元のその音に驚いた馬は暴れるようにして起き上がり、パニックになって開いた柵から飛び出して行った。それから素早くイオに柵を閉じてもらい、俺は身を隠す。
「うわっ! え、馬……隊長!」
驚いたノインが馬小屋の中に飛び込んでくる。しかし馬小屋の中の状況は、一見するとイオの小屋が全開でイオがいなくなり、俺の姿もないように見える。本当は飛び出して行ったのは別の馬で誰も乗ってはいないのだけど、この暗闇ではそこまでわからない。焦った状態では馬の上に人がいたかなんて見る余裕はない。慌てたノインが小屋を飛び出していく。この城は、馬を毛色別に分けている。自分の馬を取りにいったのだろう。その隙に、足を折って座っていてくれたイオの背中によじ登る。腰を据えられないから、手綱を握る腕の力でバランスを取るしかない。イオはゆっくり揺れ無く立ち上がり、俺がしっかりしがみついていることを確認しながら小屋を出た。
「大丈夫だよ、お前の速さで走っていい」
騎手に気を使って、ちらちらこちらを確認してくるイオに声をかける。するとイオはしっかり前を向いて走り出した。気を抜けば落馬してしまいそうだが、しっかりイオにしがみついて揺れに身を委ねる。真っ直ぐ城門から出るわけにはいかない。だからイオを城の外れの訓練所の方に誘導する。訓練所に見張りはいない。当然塀があるが、イオならばその手前の少し小高い砂の丘から飛び越えられる。イオが速度を上げて、飛び越えようとするのに合わせて体重を移動させて、なんとか着地の衝撃を受けきる。重力が直接腰にくるが、気にしている場合ではない。
そのままイオは速度を緩めず、城から離れていく。なんとか城から出たことに一息つくのも束の間、急にまたイオが速度を上げた。何事かとあげた体に、背後からの音が届いた。しがみついたまま振り返ってみると、そこには馬を駆る数人の兵士の姿があった。ノインにしては早すぎる。それはまるで城から出るのを見計らっていたかのようだった。ここから出るだろうことを読まれていたような。
「……イオ、西だ」
森に向かって逃げるように、手綱を引いて西を示すとイオはそちらに向かって足を進めた。その間追ってくる馬を振り返って見る。追ってくるのは三人らしく中央の一人が松明を掲げていた。その明かりで見えた馬についている鞍は間違いなく王国のものだった。残りの二人は矢を引き、こちらを狙ってそれを射っていた。王国の人間がイオを見て矢を射るだろうか。そんなはずはなかった。奴らは間違いなく俺と確信して追って来ている。
「そういうことかよ……」
そこでようやく自分が謀られたことに気付く。あの話を聞いた俺が城から飛び出さないはずがないと、動かないはずがないと、読まれていた。王子を狙い、俺を使おうとしている謀反者はアイツら自身の方だったのだろう。俺にわざと情報を流して、城から出て一人になる瞬間を狙っていた。イオは指示通り森に逃げ込み木々の間を縫って追っ手の目を晦まそうとしていた。昔の俺だったら、その動きにも耐えられただろう。しかし、遠心力で揺れる体重を両腕だけで支えるのは限界だった。
「っ! ぅぐ、っ……」
曲がろうとしたイオの体が傾いた時、それについていけず体が反対側に投げ出され、背中が木にぶつかる。俺が落馬したことにすぐ気付いたイオが戻ってきて、また乗るように足を折るが両手は震えるだけでもう力は入らなかった。手綱を強く握っていたからか、手のひらには血が滲んでいる。これはしばらく動かないと、悟ってしまう。そうしている間にも、俺を探している足音が森の中から聞こえ出す。あまり距離は離せなかった。見つかるのも時間の問題だろう。
「ごめんな、せっかく久し振りに会えたのに」
イオは悲しそうに俺に顔を擦り寄せてくる。イオだけなら、まだ走れる。出来損ないの騎手がいなければ、有能なイオはしっかり逃げ切れるだろう。震えて痺れる手をあげて、イオに触れる。それからそっと笑った。
「逃げろ」
イオは静かに俺の顔を舐めた後、その場から立ち上がり走り出した。本当に、人の言葉を分かっているかのような賢い子だった。俺にはもったいない。イオの去る足音で気づかれたのか、別の蹄の音がこちらに近づいてくる。もう迷惑をかけたくないから逃げ出したのに、結局迷惑をかけてしまうらしい。懐に入れていたフィンの本を取り出す。本当はこれが理解できるようになりたかった。誰もいない時に何度か読み返していた。せめて頭がもう少し使えたら、何か役に立てるかなって思ったから。でも結局俺は馬鹿のままだった。簡単な策略一つにも気づけない。本を木の後ろに置く。本当は放り投げたかったけど、そんな力はなかった。近づいてくる蹄の音が止まり、今度は足音が近づいてくる。照らされる松明の火が、閉じた目の先を明るくした。
「さて、王子のお気に入り。一緒に来てもらおうか」
「……、勝手にしろよ」
一人の兵士が近づいてくる。震えて力の入らない手を合わせ、親指と親指が指錠で拘束される。豪勢なしっかりとした錠で、もう手は動かせなくなる。手さえ拘束すれば何も出来ないということは共有されているのだろう。結び目のついた白い布が口に宛てがわれ、後頭部で結び付けられる。結び目がちょうど口に来て、声は出せなくなり、舌を噛むことも出来なくなる。その上から頭に麻袋を被せられ、視界は遮られることとなる。それから体を担ぎ上げられる。力のない体で、もう抵抗することは出来なかった。
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