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第11話 Side:F

 城に戻った僕を出迎えたノインが放った最初の一言は謝罪の言葉だった。昨晩しっかり寝ていないのか、ノインの顔色は悪くて疲弊しきった表情をしていた。それから消えたイオの馬小屋に案内され、昨晩のことを打ち明けられる。その話が信じ難くて、しばらく言葉がでなかった。  ミューが何も言わずに逃げた? 誰にも何も言わず、歩けもしないのに、たった一人で? そんなの無謀すぎるし、危険すぎる。例えミューが元軍人だったとしても、今の体で城の外に単独で飛び出すなんて自殺行為だった。それなのに一人で出ていった。それは、やっぱり城に縛りつけていることが不満だったからなのだろうか。外に出してもらえないから、自分から出ていった。そんなこと思いたくない。城に不満があるなんて、ミューは一言も伝えてくれなかった。  だとしても、ミューがノインを騙すような真似をするだろうか。ノインはミューに外に連れ出して欲しいと頼んで、ノインはそれに応えた。その時点でノインにはちゃんと外に出す気はあると伝わるはずだ。頼めば出してもらえる。僕だって、外に出たいと言われたら、不安はあるけど出来る限りのことはするつもりでいた。その上で、ノインを騙し無謀にも城から出るなんて。ミューにもノインがこれだけ心配することくらい分かっているはずだった。彼らに心配をかけるような真似をするとは到底思えなかった。思いたくなかった。でもいなくなったことは事実である。  ただ外に出たかったから。本当に理由はそれだけだろうか。それだけのために、ミューはこんなことをするだろうか。 「……王子」  例えイオの背中にいたとしてもミューはあの体である。まだ遠くまでは行っていないはず。みんなで探しに行こうと言い出そうとする直前、アイハがポツリと僕を呼んだ。アイハを振り返ってみると、アイハはノインよりも青い顔をしていた。それから震える目を僕に向けた。 「この前の、遠征の時に……、隊長には、言うなって言われたんですけど……」  アイハはポツポツと、飲み込んでいたものを吐き出すように二週間前の話をしてくれた。僕がいない隙に、ミューが何者かに襲われたこと。そんな話、ミューは一言も伝えてくれなかった。戻った時も、何も変わらない様子で、それからも特に何も言わなかった。あの日城に帰ったとき、確かに違和感を感じた。掃除の日ではなかったはずなのにシーツも取り替えられていて、ミューの寝着も変わっていた。そのときは気分転換に替えてもらったのかなと思って何も言わなかった。あのとき聞いておくべきだったと今さら思わされる。  他人に触れられることを怖がるミューが、そんな目に遭った。恐ろしかったに決まっている。怯えるに決まっている。それなのに、ミューはその素振りを少しも見せなかった。恐怖を一人で抱え込んだ。それは何故か。それだけ怖い目に遭ったのに、また一人を選んだのは。 「あの時、やっぱり何かあったんじゃ……、ごめんなさい、すぐに言えば……」 「ううん、ミューが言うなって言ったんでしょ?」  アイハを口止めしてまで、事実を隠そうとした。それは僕に知られると不都合があるから。ミューが知られたくなかったのは、レイプされたということか、それとも他に何かあるのか。どちらにせよ、ミューを一人にしておく訳にはいかない。  今、この国には訝しい空気がある。国に反旗を翻そうとする謀反の気配。国内に敵がいるのではという疑念が広がっていた。ただ、ミューにはその話はしなかった。言えば余計な心配をかけてしまうと思ったから。ミューが僕にとって大切な人であるというのは周知の事実である。王子と親密な関係にある者。ミューが狙われる危険性は十分あった。だから、せめてその問題が解決して、国に安寧が戻ったら。その時こそ、ミューを外に連れだそうと考えていた。今はまだ危険だから、部屋から出さないようにしていた。それなのに。 「失礼します! ご報告が!」 「……君この間の新入りくんだよね、基本なんかすっ飛ばしてくるよね」  馬小屋の中で頭を回転させていると一人の伝令兵が飛び込んできた。彼の顔は知っている。いつか僕の部屋に飛び込んできた兵だ。彼には彼の上司がいるだろう。それらをすっ飛ばして得た情報を直接僕に伝えようとするのは、良いことではあるが、時と場合による。 「イオと見られる白馬が城に!」 「……今日のは正解だね」  呟いて、馬小屋を飛び出す。その後をみんなもついてきた。城門の方へ走って向かうと、そこには数人の兵士が集まっており、その中央に一匹の白馬がいた。イオの鞍は隊長だったミューの立場に合わせて特別なものにしてある。間違えることはまずない。イオの真っ白い体はところどころに土に汚れていた。兵士を退けて、その姿に走り寄る。  イオは一人で帰ってきた。その背中に主の姿はない。体を見渡してみると、背中の手綱に少し血が滲んでいることが分かった。酷く胸騒ぎがする。 「……イオ、だけってことは」  もしミューが昨晩城を抜け出して、最寄りの村に逃げ込んだとした場合、イオだけ帰ってくるなんてことがあるだろうか。イオはミューの唯一の移動手段だったはず。イオは賢い馬だ。ミュー一人を残して勝手に帰ってくるなんてことはない。イオなしで、ミューが一人で移動することはできない。イオが僕を見つめている。何かを伝えようとしているのだ。鐙に足をかけて、イオの背中に乗る。 「イオ、ミューとどこで別れたか、案内してくれる?」  そう声をかけると、イオは疲れているだろう体を翻して城門を出ていく。手綱についた血。これはきっとミューのものだろう。ミューに何があったのか。どうか無事でいてくれたら。 「王子! ちょ、ちょっと待って!」 「よく分からないけど、何かあったのかな?」 「うーん、ひとまず王子がいないと話も進まない。俺たちも追おうか」  先に飛び出してしまった僕とイオをすぐ後ろを追いかけてくる蹄の音。振り返ると、そこには後ろにノインとアイハを乗せてついて来ている二人の姿があった。今日まで僕が外出していたのは、この二人を迎えに行くためだった。  国の中に潜む異端者。それを探し出す手段として、異端審査官という役職を作ることになった。その異端審査官が今ついてきている二人である。これまで外交官として任務についていた二人を召集するため、僕らが迎えに行っていた。たった今その帰りだったのだけど、生憎それどころではなくなってしまった。  イオは城門の裏に回り込み、その先にある森に向かって駆けて行く。そちらの方角に村はない。ミューが森を目指した理由。それは城から一旦身を隠すためだったのだろうか。それとも。イオは木々の間をすり抜けて、一本の木の前で止まった。その木に向かって顔を伸ばし、鼻を動かしている。イオの背中から降りて、辺りを見渡す。木には少量の血がこびりついていた。その近くの地面にもうっすら血の染みがある。 「……これは、」  その木の裏を覗き込んでみると、一冊の本が落ちていた。それは僕の部屋に置いていた本だった。確か、ミューが届く二段目くらいに置いていたもの。一度読んでみたミューが「難しい」と頬を膨らませていた。なぜ本を持ち出したのかは分からない。しかしそれは、ここに確かにミューがいたという証明だった。 「王子」  みんなも同じようにこの場で降りて、辺りを見渡していた。そのうちの異端審査官の一人がふと僕を呼んだ。地面に残された複数の足跡を見ながら手招いていて、素直にそちらに向かってみる。 「この蹄だけ、他より沈んでいる。……恐らく」  続けられる言葉は言われなくても分かった。馬にかかる体重がここから変わったのだろう。ミューはここで誘拐された。 「……いけるか」 「うん、これだけ痕跡があるなら十分だね」 「王子、すぐに割り出すから時間をもらえるか」  それだけ言って、もう一人の異端審査官と共に蹄の跡を探しに走り回る。彼らは情報収集においては特別長けている。だからこそ異端審査官を頼んだのだ。ちょうど二人がいたのは幸運だった。  ミューは恐らく、アイハの言っていた前回僕が城を開けていた時、何者かに至らぬことを吹き込まれたのだろう。それで、思い詰めさせてしまった。ミューを拐った連中は、恐らく城の中にいた謀反者。僕にとって必要不可欠なミューを、取引条件にでもするつもりだったのだろうか。当初は突き止めたら国外追放にするつもりだったが、もしもミューに何かしていたら。それだけでは済ませない。  ……ミュー、大丈夫。すぐに助けるから。どうか、待っていてくれ。

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