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最終話 Side:F

「フィン? ふぃーん、おーい、朝だぞー」  幸せな微睡みの中、僕を覚醒させたのはミューの声だった。どうやら抱きしめながら眠ってしまったようで、ミューはぺしぺしと僕の肩を叩いていた。重い瞼を開くと、目の前にあるミューの深い群青色がジッと僕を見つめていた。僕と目が合うとミューは柔らかく微笑んだ。 「お? 起きたかー?」 「最高に可愛い」 「うぉっ、おい寝るなー」  小首を傾げる仕草にキュンとして、起こした頭をまた落とす。すると困った声をあげながらも、少し嬉しそうに撫でてくれる暖かさが頭に触れる。久しぶりにミューに起こしてもらう朝だ。でも今日はこれまでとは違う。いつもはいはいと受け流していたけど、今日は応えてくれる。今日からは応えてくれる。そうそう、こうやって起き渋ってミューに引っ付いていると。 「おーい王子ー、朝飯持ってきたよー」  ノインが起こしに来てくれる。部屋に入ってきたノインは布団の中にいる僕を見て「あれ?」と声を出した。 「お、ノイン。おはよーさん」 「……隊長? へ? お、起きて……王子! 言ってよ!」 「起きたよー」 「遅い! あー、あー! アイハ……、アイハ!」 「慌ただしいなぁ」  ノインは慌てて僕の執務机に持っていた朝食を半分放るようにして置いてから部屋を飛び出していく。みんなミューが起きるのを待ち望んでいた。これから騒がしくなるだろう。みんなにも心配をかけてしまったし、ちゃんと事の顛末を伝える必要がある。それと、ミューが望んでいることを伝えないといけない。 「みんなにもちゃんと謝らないとな」 「うん。ちゃんともう大丈夫だって伝えないと」  ノインが飛び出して行った扉を見つめているミューが呟く。その目尻にもう一度キスをして体を起こす。ミューはもう引き止めることはなかった。直接側にいなくても、心はずっと隣にいると分かったから。掛け布団を退けて、ミューの体を起こしてあげていると部屋の外からドタバタと騒がしい音が聞こえてきた。  さぁ、新しい朝が来た。  ミューにもらって欲しいものがある。全て話し終えた後、二人はそう言って一旦部屋を出て行った。待っている間、ベッドからミューを抱え上げて、執務机の前の椅子に座らせる。ミューは適当な資料を一枚手に取った後、つと首を傾げた。 「異端審査官?」 「あぁそれは終わったヤツ……だけどまだいるかな……」  今回の謀反に加担していたものは一人残らず捕らえたつもりだが残党もいるとも限らない。また別の勢力が生まれてミューを狙う可能性もある。今回招集した二人にはまた別の仕事を与えて異端審査官という立場は残した方がいいだろう。ミューにもまた今度紹介しなければいけない。ミューはあまり書類仕事は得意ではないと話していたけど、いざやらせてもらえるとなると俄然やる気になってくれたらしく大量の書類を一枚一枚手にとって眺め出した。 「うへぇー……、ブランクは大きいかもなぁ」 「ふふ、ゆっくりでいいよ」  一枚の文字たっぷりの書類と睨めっこしていたと思うと、ミューは机に書類を置いて腕を伸ばした。しばらくずっと何もしていなかったんだ。急に理解するのは難しいものがあるだろう。焦って学ぶ必要はない。時間はあるんだ。ミューがやりたいことをやってくれたらいい。剣術指南の方がいいというなら訓練所まで運ぶ。 「王子の資料難しいですもんね」 「俺ならやれって言われてもやらないかな」 「お、脳筋かな。俺とおそろ〜」 「え……、あ、隊長とおそろ~、やったー!」  部屋に戻ってきたノインとアイハが机を覗き込んだ。ノインは机上に散らばる資料を眺めた後そっぽを向こうとするが、ミューに笑いかけられ少し驚いた顔をした後、慌てて明るく笑い返した。アイハに「ノインとお揃いは隊長に失礼だよ」とからかわれながら、三人で楽しそうに笑っている。こんなふざけたやり取り、昔は毎日のことだったのにこんなに懐かしいなと思うとはあの頃は思っても見なかった。ミューが心から笑っているところを見るのなんて、いつぶりだろう。昔のミューは、いつもこうやって柔らかくて温かく笑っていた。だから多くの部下に慕われていた。少しずつ、止まった時間が動き出している。  そういえばもらって欲しいものは何だったのかと声をかけようとした時、他の近衛に呼ばれてノインが一度部屋から出ていく。それからノインは椅子のようなものを押しながら部屋に戻ってきて、首を傾げる。ノインが背部についた持ち手を押すと大きな車輪が回り前に進む。 「これ、時間かかっちゃったけど、みんなで作ったんだ」 「えっと、見ての通りこれは車輪がついた椅子になんですけどね? ここを手で押すと車輪が回って進めるんです。隣国では車椅子って呼ばれているそうですよ。……隊長と一緒に、おでかけがしたくてみんなで作ったんです」 「この国にはこういう技術はないから、この前王子にもらった本でようやく完成したんだよ」  ノインのその言葉にミューはチラと本棚の方を見た。それは、この間ミューに指摘された本のことである。ノインに「隣国の本を取り寄せて欲しい」と言われて手に入れたものだった。あれは、これを作るためだったのか。こんなものを作っていたなんて僕も知らなかった。みんななりに考えてくれたのだろう。どうすればまたミューが笑ってくれるのか。それで、時間の合間を縫って作ってくれた。 「……俺に」 「はい。まだ誰かが押さなきゃいけないんですけどいつかは誰も押さなくても自分で車輪を回せるようにしようって今模索してるところなので、まだ試作の段階ではあるんですけど……」 「お散歩にもピクニックにも、隊長が行きたいところがあったら、どこでも……」 「じゃあ、行こうか」 「へ?」 「ピクニック、行こうか」 「え、これから!?」  ミューが外に出たいというのなら連れて行く。それは以前から決めていたことだ。外は快晴。ピクニックには最適だ。頭を悩ましていた問題も解決した。行かない理由はどこにもない。 「あ、あ、俺、お弁当作ってきます!」  アイハが慌てて飛び出して行く。アイハのお弁当。それは楽しみだなぁ。この晴れやかな空の下だ。いつもよりも美味しく楽しく味わえるだろう。 「……王子、本当にいいの?」 「もちろん。あ、ノイン、お弁当はサンドイッチにしてって伝えてきて?」 「わかった!」  今度はノインがアイハを追いかけて部屋を飛び出していく。ノインのきらきらした顔も久しぶりに見る。みんなそれだけミューのことを心配していたんだ。ポカンとしていたミューを見ると、ミューは目を白黒させながら僕と目を合わせた。 「……フィン」 「ミューはピクニックならおにぎりよりサンドイッチ派なんだよね?」 「ふ、あはは、よく覚えてたな」 「当然でしょ?」  以前に聞いた話。アイハが聞いておいて欲しいと言ったのはこのためだったのか。あの時は僕もいつか行けたらいいなという願望も込めて聞いただけだった。まさかこんな形で叶うものとは思っていなかった。ミューは嬉しそうに笑っている。窓から射し込む太陽の光が、その笑顔を明るく照らしていた。まぶしくて、まっすぐで、屈託のない笑顔。ミューが笑っている。それがこんなに嬉しいことだったとは。 「わっ、と……フィン?」 「ミュー、愛してるからね」  思わずミューの身体を引き寄せて正面からミューを抱き締めると、ミューは驚いた声をあげた。それでも離せなくて、さらに強く抱き締めるミューは優しく笑って肩に頭を乗せてくれる。その耳元で何度目かの愛を囁き吐息を吹きかけると、ミューはくすぐったそうに身を捩った。 「知ってるって、もう、お前にそんなこと言われたら俺も言わなきゃなんだからほどほどにしろよな……」 「言わせたいんだよ」 「ぅ……愛してるよ、ばか」 「あれ一言余計じゃない?」 「ばーかバカバカバーカ、今日はもう言ってやらない」 「なんで拗ねるのー?」  こんな何気ない一時が堪らなく愛おしい。僕らはきっと大丈夫だ。僕には君が必要だから。これが僕たちの選んだ愛の形。ちょっぴり遠回りをしてしまったけど。  だから、ミュー。君が二度と生きていたくないと思わないように。二度と、生きることを恐れないでいいように。いつか本当の終わりが来るまで、一緒に生きよう。

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