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後日談・終
「・・・・・・・・・・・・」
彼はてっくりてっくりと馬の手綱を引きながら歩いていたが、ふと、いつかの日に蟲にまみれた男の中に埋め込まれていた紙を懐から取り出し、それをじっくりと眺めることにした。
その紙の表面には焦げたような墨字の跡がうっすらと残されているものの、どのような事が書かれていたのかを読み取ることは難しい。
『・・・教主の座を奪おうとしている者がいる』
「・・・・・・・・・・・」
『一体、何のために・・?』
ぐしゃりとその紙を握り潰しながら、遠雷の思案はまだ続く。
『・・・これを利用して、貴方をその場所から引きずり降ろそうと企む者がいる』
優しい声が、懐かしいその肌が、鮮明に映し出される。
細く小さなその肩も、少し気弱そうなその足音も、全てが懐かしく、また温かい。
「・・・・・・させない・・・・・」
『・・地位を奪えると本当に思っているのか?・・愚かなことを』
握りしめた紙をジッと凝視しているうちに、彼の赤い瞳が轟々 と燃えはじめた。
青い炎へと変わった瞬間、拳の中に埋もれていた紙にその炎が移り、淡い光を放ちながらハラハラと紙が溶けていく。
『あの人に・・触れていいのは俺だけだ・・・俺だけのものだ・・』
その紙を見つめる彼の瞳は、凍り付く程に冷たいものだった。
肌寒い風が、ゆっくりと髪を梳 いていく。
「行こうか」
馬は何も答えない。ただ、気遣うような視線を向けてくるだけだ。
遠雷は何も言わずに手綱を引くと、またゆっくりと歩きはじめた。
「・・・相変わらず、高い」
ふとそんな言葉が突いて出てしまう程に、そびえ立つ岩山が見えてくる。
断崖絶壁の岩をくり抜いた通路を通れば、門番が待つ入口へと辿り着く。
彼はそこで馬を預けると、黒い袍に身を包んだ門番に向かって拝礼し、教主に会うための理由を話すことにした。
「えっ!」
丸い帽子を被った門番が慌てた様子で駆けていき、代わりに案内役の信者が歩いてくる。
「・・・・・・・・・・・」
共に拝礼した彼らは、何も話すことなく視線のみを交わすと門を進み、広い通路を案内役の信者と共に歩いて行った。
相変わらず周囲はひっそりとしていて物音ひとつ聞こえて来ない。
二十分ほど歩いて広い通路を抜ければ、城の入り口が見えてくる。
煌びやかな装飾の施されていないその扉は簡素ではあるが重厚で、どんな武器をもってしても貫くことは不可能なほどの圧が感じられる。
その扉がゆっくりと開かれ、その奥からは洞窟が見えた。
「・・・・・・」
遠雷は何も言わず、城の中へと足を踏み入れることにした。
ひんやりとした空気が足の先から伝わってくる。
くり抜いた側面の壁にもロウソクが設置されており、遥か先までよく見える。
「・・・・・」
一本の細く長い廊下を進むうちに、右上に何処までも続く螺旋 階段がある事に気が付いた。
「どうかなさいましたか?」
遠雷の足が止まったことを知り、案内役の信者が足を止める。そうして彼の視線を辿ると「嗚呼」と呟いた。
「・・・・・・・・・」
何処まで続いているのか分からないほど、上へ上へと続くその階段は暗く、不気味な雰囲気に包まれている。遠雷はジッとその階段に視線を向けていたが、フッと視線を逸らしまた歩き始めた。
「ご無沙汰いたしております。叭吟 様。今日は目がお見えになるのですね」
袖で顔を隠しながら、別の部屋へと続く廊下の前に立っていた信者が、深く頭を垂れている。
どこか皮肉めいたその声に「ん?」と、微妙な違和感を得た彼は敢えて何も言葉を返すことなく、ただ拝礼の姿勢を取りながら頭を下げた。
「この廊下の先の部屋で教主がお待ちです」
案内役の者と別れて、一匹廊下を進む。
彼が歩くその先を照らすようにロウソクの火が一斉に点き、周囲はぼんやりと明るくなった。
「・・・・・・・・・」
やがて教主の待つ部屋の門へと近づけば、自動的に扉が開き赤茶色の床が見えてくる。
柑橘系の香が匂うその室内を見渡せば、四隅に点るロウソクの火がジジジと揺れた。
叭吟 は迷うことなく絨毯が敷かれた道を進むと、段差のある場所の前で立ち止まり、袖で顔を覆いながら拝礼し、ゆっくりと目を閉じた。
「叭吟 。教主に拝謁いたします」
三度叩頭し、跪 いた姿勢のまま控えている彼の真横を、何者かがゆっくりと通り過ぎて行く。
どこかぎこちないその足音を聞きながら、叭吟 は閉じていた瞼を持ち上げた。
『嗚呼。貴方だ。やっと、やっと会うことが出来た。変わらない。俺が貴方と共にいた時と、何ひとつ変わっていない』
彼の全身が歓喜に震え、感情が溢れだしそうになるのをグッと押さえながら、きつく唇を噛みしめた。
こうでもしなければ、たちまち自分は彼の元へと駆けだしてしまうだろう。
涙の滲む眼をそのままに、ゴクリと唾を飲み込もうとするが、喉が渇きすぎていて上手く飲み込むことが出来ない。
彼の全てが、懐かしさと愛おしさでいっぱいになっていく。
「ああ、ありがとう。顔を上げて」
『嗚呼。その声、纏 う風』
よく通るその声は女性のように高く、やや幼さが感じられる。
『事情を知らなければ違和感を覚えるだろうが、知っているからこそ、余計に愛おしい』
「久しぶりだね。会えて嬉しいよ。叭吟 」
懐かしい姿を前にして、教主と呼ばれたその者の声が段々と近づいて来た。
その纏 う風は何処までも優しく、温かい。
『嗚呼。貴方だ。ずっと、会いたくてたまらなかった。やっと、やっとだ。
もし、あなたがあの日の全てを許してくれなくても、俺は・・』
「・・・おかえり」
『・・・ずっと離れず、今度こそ貴方のお側で・・・』
名を呼ばれた彼が、ゆっくりと顔を上げる。
その顔にはうっすらと笑みが浮かび、妖しい光を宿しているように見えた。
終。
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