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二人で過ごす平穏
ルナが言うには魂に性別はないので、どちらが夫でどちらが妻だとかいう区別はないらしい。
もし万が一、無何有郷 の人達と会う事があれば、俺は『月の和子 の伴侶殿』と呼ばれ、ルナは変わらず和子と呼ばれるだろうとの事だ。
“様”は要らないのだけど、と言うと困ったように
「んーでも多分そうなっちゃうと思う」
と眉を寄せた。
俺には良く解らない無何有郷のしきたりにとりあえず頷いて、昼食にルナが焼いてくれた目玉焼きを口に入れた。
ここ数日でルナはずいぶんできる事が増えた。
コーヒーメーカーでコーヒーを淹れる事や掃除に洗濯。俺が側にいる時は料理……目玉焼きかスクランブルエッグ……もできるようになった。俺が側にいない時に火なんか使って火傷なんてしたらと思うだけで胃が痛くなるので、いつもはコッソリ元栓を閉めている。当然開け閉めはルナには見せていない。
「少し遅くなるけど……」
「大丈夫。てれびを見て待ってる」
テレビの操作もできるようになったので、少しは寂しくないかなと思う。
ルナはアニメと野生動物の生態を扱ったドキュメンタリー番組が好きだ。あと落語も好きだ。見た目十六歳くらいなのに。
「今日は何が見れるかな?」
「解んないけど、パチパチが教えてくれる」
リモコンをパチパチと呼ぶルナはどこか寂しそうだ。俺が遅くなる日は特に。それが嬉しいとも思う。
何故リモコンがパチパチと呼ばれているかというと、押す度に画面がパチパチ切り替わるから、だと言う。
「ありがとう……いただきました」
いつも食べ終わるとルナは手を合わせてそう言う。
そして目玉焼き以外を作った俺に
「ごちそうさまでした」
と言って笑う。
それが不思議でならない。
「ね? 無何有郷では食べ終わったら、いただきましたって言うの?」
ごちそうさま、じゃダメなのかな。
「いただきます、いただきました、は糧となってくれた生命 への感謝。ごちそうさまは作って振舞ってくれた人への感謝の意だよ。この世とは少し違うみたい……てれびでも言わないし……変かなぁ」
直した方が良い? と首を傾げるルナに慌てて手を振る。
「変じゃない! 俺もこれからそう言う! そっちの方が良い! 絶対そっちの方が良いよ! 俺、なんか感動した!」
「え、えぇえ? そんなに?」
いただきます、ごちそうさま。
それを俺は幼い頃に言うように躾られた。
感謝して食べるのよ。それは誰に? 何に? いつの間にか言うのが当たり前になっていて肝心の感謝の気持ちってヤツが曖昧になっていた。
糧となってくれた生命に……迷いもせずに言い切ったルナの言葉に雷に撃たれたような気がした。
俺は今まで何に感謝して食事をしていたのだろう?
ただの食事スタートの合図にしていなかったか?
惰性で何度心のこもっていない言葉を口にしたのだろう。
ルナといると自分の浅はかさみたいなものが見えて嫌になると同時に変わろうと思える。色んな事に気付かせてくれるルナがたまらなく好きだ。
「ルナはすごい。俺にたくさん教えてくれる」
食べ終わった食器をシンクに運んでいるとルナが相変わらず真剣な顔をして慎重にコーヒーメーカー本体からソーサーを外してカップに注いでくれていた。
「深海の方がいっぱい教えてくれるよ?」
ルナにとっては普通の事過ぎて気付いていない。
大切な事。ルナがいなかったら気付けなかった事がたくさんある。
「ルナの方がすごいの。解った? 伴侶殿?」
「う、うーん……そうかなぁ……うぁ!?」
後ろから羽交い締め。
「こぉひぃ飲まないの?」
「ん。飲むよ。ルナのコーヒー美味しいから楽しみ」
「上手になった?」
「なったなった! ルナは天才」
えへへ〜とニヤけるルナの頬に後ろからキスをして俺も最高級にニヤけている。
「お腹減ったら……」
「深海が用意してくれたおにぎりをいただく」
でも絶対ルナは食べずに俺の帰りを待っている。お腹をぐぅぐぅ鳴らしながらも、空腹をお茶でごまかして俺を待つ。
いじらしくて、愛おしい。涙が出そう。
最近明るくなったな、と友達に言われる。
離れていても胸の奥があったかくなる度にルナを思い出して、何か楽しい発見があったのかと想像する日々だからだと思う。ぽわっと温かくなって、ルナを想うとしばらくしてもっと温かくなって想いが返って来る。そんな事の繰り返しだ。
恋人ができたと正直に答えると
「どんな子だ?」
「良い子か? 良い子だろうな?」
「可愛い?」
「会わせろ! ダメなら写メは? 写メ!」
「祝賀会! 祝賀会!」
「絶対幸せになれよ」
と大騒ぎになって、どんな顔をしたら良いのか解らなくなった。
とりあえず答えられる事には全て答えた。と言っても三島さんに告げたのとあまり変わらないけど。
こんなに喜んでくれる奴等をどこか疑っていた自分に落ち込んだ。
「ありがとう」
人の色恋でお祭騒ぎの友人達に素直に言えた事に驚いて、胸の奥のぽかぽかにルナが応援してくれているのが解って、つい頬が緩んだ。
そんな俺を見て亮平は笑って
「お前さ、イケメンの自覚ある? キレーな顔した男がさ? いつまでも陰背負ってちゃ女共の母性本能だかなんだか刺激して大変なんだぞ? 合コンじゃねぇのに女子殺到するし、なのにお前は誰にも興味示さないし。サクっと帰るし。それがどれだけ女を煽るか……はぁ……陰のある色男から花背負った色男になっちゃって……そっちんが良いよ。絶対! デレデレニヤニヤしとけよ」
と言いつつスマホを弄っている。
その亮平の顔もニヤけている。
「亮平、何してんの?」
「茉奈に知らせなきゃだろ! 茉奈の学校にもお前狙ってる子がたくさんいるんだから、ここは女子ネットワークを駆使してだな、お前が幸せを掴んだって知らしめて……」
俺の恋愛事情を亮平の彼女に知らしめて、どうするんだか。
ものすごく心配してくれて、喜んでくれているっていうのは伝わったから、俺はそっと、そっとその場から逃げ出した。
「藤城くん!」
お祭騒ぎから逃げ出したのにあっさりとまた誰かに捕まる。
俺を呼び止めた女の子に見覚えはない。
「あの、最近すごく雰囲気変わって……あの彼女できたって本当?」
最近こういう事も増えた。その度にルナと出会うまでの自分がいかに周囲に目を向けずにいたかを痛感する。
本当だよ、と簡潔に答えて向かう先は週に二回の家庭教師のバイト。生徒は今年中学二年生のマジメな男の子。有名私立の進学校を受験すると決めていて、中一の時から俺が教えている。
「先生」
「何? 質問? まだ休憩時間だけど」
「最近母が先生が夕飯をご一緒してくれないので寂しがっています。父もお話ができなくてつまらないようです」
ああ、猫のルナを拾ってからは心配で今までお世話になっていた夕飯もお断りしていたんだっけ。
「……雰囲気変わりましたね? 恋人でもできましたか?」
「……正樹くんも聞くワケ?」
そんなに俺は変わったのか? 今までの俺ってどんなだったんだろう?
失恋を引きずっているくせに忘れたフリをして、どうせ俺なんかって無意識に卑屈になって、自分の殻に閉じ籠って?
その殻を壊してくれたのは間違いなくルナだ。
「いるよ、恋人……ふふ、すっごく可愛くて、無邪気で、もう一分一秒が貴重……」
「そこまで聞いてないです」
俺も言う気はなかったんだけどさ。ぽわんってあったかくなったから、ルナが何か喜んでんだなぁって思ったら、つい。
「先生がノロケるタイプだとは思いませんでした」
「俺も。自分がノロケるとは思ってなかったけどさ、正樹くんにも本当に好きな人ができたら解るかもよ? 言いたくなるって。はい、休憩終わり」
「今の方が良いですよ? ちょっとニヤけ過ぎかなとも思うけど、笑顔が自然な気がします」
口下手の年下の男の子にまで言われて、俺は溜め息混じりに頭を掻いた。
「深海! おかえり!」
「ただいま! お腹減ったろ?」
正樹くんの家庭教師を終えて急いで帰ればルナがタタタッと玄関まで駆けて来る。
今日は子猫になっていた。抱き上げるとゴロゴロ喉が鳴って、ついでに腹も鳴って色々と催促されている。
抱き上げたまま靴を脱ぐのも、手を洗うのも冷蔵庫を引っ掻き回すのも慣れたものだ。
「疲れた? 今日はいっぱい何かしたろ?」
「てれび。今日はあにめを見たよ。あと掃除。洗濯もしたから失敗してないか見て欲しい」
「ありがとう。ヒトのカタチになれそう?」
ルナは俺がいない時にたまに猫になる。いくら俺の部屋が外より過ごし易いとは言っても小さい方が楽なのだろうと思う。そういう時ルナはしばらく子猫の姿のまま俺の腕の中でゴロゴロ言っている。気を補充しているのだそうだ。
「ん」
短い返事の後、腕の中には全裸のルナがいる。すっかり慣れた俺は華奢な身体を抱きしめて、離れていた時間がどれだけ寂しかったか伝わるように願いながらゆっくりとキスをする。
ルナの舌。柔らかくて甘い。
「あんまがんばんなくていいのに」
「でも、明日と明後日は深海はお休みだから……げえむしよぉ?」
何もしなくて良い、と言うとルナは嫌がる。
何もできないのは嫌だと可愛い駄々をこねて、ルナなりに俺を甘やかそうとしてくれる。
そんなルナとの穏やかな日々がずっと続いていく。
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