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月が綺麗ですね
影響が怖いのは俺も一緒で、いくらルナが言うように間違いじゃなかったとしても、神と人が愛し合う……っていうか、俺の欲望でルナが穢れるんじゃないかと思うと怖かった。
神様を穢したら、どうなってしまうんだろう? 俺の浅い知恵じゃ堕天使って単語を思い浮かべるのが精一杯で気が重くなる。
「深海 ?」
ソーサーに貯まるコーヒーを見つめていたルナが不安そうに振り返った。
咄嗟の事で何も言えない俺との間を素早くつめて、ちゅ、とルナは唇を重ねた。
「伴侶ならするでしょ?」
と平然と言ってのけたルナの顔が真っ赤で、つい吹き出してしまった俺をルナが睨む。
「するけど、それでルナが穢れちゃったらどうしようって思って」
抱き寄せるのと、コーヒーメーカーが出来上がりを告げるのが同時で、ルナは
「こぉひぃが……」
と言いながらも素直に体重を預けてくれた。
「大丈夫だよ、深海。だってさっき直接気をもらって治ったんだよ?」
「そっか! じゃあキスは大丈夫なんだな!? キスしてルナが穢れたり具合が悪くなるって事は……」
「ないっ……と思うよ。だからね、しよ? えと、きす?」
そんな甘い言葉を上目遣いで囁かれて断れる程俺の理性は強靭じゃないし、何よりこれは一方通行じゃない完璧に両想いのキスだ。
幸せで、泣きそうになる。
俺の表情に気付いたのかルナも照れ臭そうに笑った。
最初は怖々と重ねるだけ。啄むように何度か繰り返して、額をつけて見つめ合うと
「心地良い。すごく嬉しい」
とルナが微笑んだ。それを合図に少しだけ深いキスをする。ルナの咥内は夢と同じくすこぶる甘い。ガツガツしてしまいそうな自分を必死で抑えてルナを抱きしめた。
こんなに心が満たされるなんて信じられない。
「ありがとルナ。俺死んじゃいそう」
そのくらい幸せだよ、と続けたかったのに……。
「それはならん! 早くこぉひぃを飲んで落ち着かなきゃ! せっかく見つけた伴侶殿に死なれては困る!」
と慌てて身体を離したルナが身を翻して、コーヒーメーカーの前で固まった。
「深海、コレはどうやったら良いの?」
八の字に下がった眉の困った顔も可愛くてたまらない。
「ぷっ……あははっ死なないよ! 嬉しくて幸せって事! 貸して。この取っ手を持ってズラして、ゆっくり持ち上げて……ほら外れたろ? んでカップ……湯呑み? に注ぐ。簡単だろ?」
「やってみたい! お願い!」
そうキラキラの笑顔で言われれば否もなく。もう一度ソーサーを戻してルナに任せる事にする。
んしょ、と取っ手を持って、そぅっとそぅっと持ち上げて外す事に成功したルナはそれだけで満足そうに笑って、ふふふん、と鼻歌を歌いながらカップに注いだ。
「深海……俺まだ言ってない事がある……」
隣に座ってコーヒーカップを眺めつつ、打って変わってマジメな顔をしたルナに頷いて話の先を促した。
ちゃんと聞いてちゃんと考えなくては。
本当の名前はルナじゃない、と言われて、そうだろうね、と答える。
無何有郷 の人々はルナの事を「月の和子 」と呼ぶという。たまに“様”を付ける人もいるという。
「和子って子供って意味で、俺は新月の日に産まれたから」
だそうだ。
本当の名前は伴侶にしか教えないのだと言う。その本名を伴侶とはいえ住む世界の違う俺に教えて良いのか、何か影響が出てしまうのではないか? せっかくの今が壊れてしまうのではないかと思うと名を教えるのが怖いとルナは言った。
「でもルナは深海の付けてくれた名前だから、深海しか呼ばない名前だから、これからもルナと呼ばれたい」
特別な名前なのだと真っ直ぐに訴えてくるルナに解ったよと伝えた。
俺も今更「和子様」なんて呼べないしな、と言うとルナはムッとして
「伴侶は呼ばない!」
と唇を尖らせた。
「ルナって意味があるの?」
「ある」
「どんな?」
「ルナと出会った晩は綺麗な真ん丸お月様が出てた。ルナの目がすごく綺麗で……」
「うん?」
「月だよ。外国の言葉でお月様って意味」
ここでもか!? ここでも月か!? と目を丸くしたルナを俺は爆笑して抱きしめた。
「愛してるって、昔の日本人はなかなか口にできなかったらしいの、知ってる?」
「ん? 知らない。奥ゆかしい? ね」
「でね、昔の文豪がね、外国の言葉の愛してるの“I love you”ってのを訳したんだけど、なんて訳したと思う? ……『月がきれいですね』って訳したんだよ。だからね、ルナ」
月がきれいですね、と瞼にキスをするとまた唇と頬をムズムズさせて
「深海大好き! 月がきれいです!」
と苦しい程に俺を抱きしめて、ついには泣き出した。
そこは『死んでも良い』だろうと思わなくもないが、きっとルナは知らないし、絶対に死ぬなんてとんでもない! せっかく見つけたのに! と言い出すだろう。
泣くルナの背中をさすりながら少し心配になるけど、胸の奥があったかいから嬉し泣きなんだろうと思う。
気付いたら俺も泣いて、二人で唇をムズムズさせて、その顔がおかしくて笑った。
そのうちルナの腹が鳴って、恥ずかしそうに瞬きをする。
ああ、これが幸せなんだと確信した。
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