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誤算
ガランとしたキッチンで、小さな声でルナを呼ぶ。
声の大小はきっと関係ないだろう、言霊さえ飛べば。
ルナを呼びながら両親と弟へのメールを打つ。
今までどうも、なんて書いたらさすがに怪しまれると思って、元気にしてるから心配しないで。そっちも元気で程度の愛想のない簡単な文章。
それでも送らないよりはマシだと思いたい。
「深海 さん? すみません、寝入ってしまいました……」
「あ、おはよ白虎! 朱雀も起きた?」
「はい。今、寝乱れを直しています。起こしてくだされば良かったのに」
申し訳なさそうな白虎は、ハッと目を見開いて
「毛布! ありがとうございました! また逆になってしまった……ゲンコツされる……」
と慌てて頭を下げた。
「帰って来たの遅かったろ? しかも俺より早起きだったし。ゆっくり寝れて良かったよ。なに? 朱雀って鉄拳制裁なの? 暴力亭主?」
「……俺は優しいって!」
白虎が答えるより先に現れた朱雀に肩を抱かれた白虎はものすごくマジメな顔で
「スゴク、スゴクヤサシイデス」
と何故かカタコトになって、それがワザとだと解って俺は腹を抱えて笑った。
「夫婦漫才っていうんですか? こういうの。バカしてた方が深海さんも気が楽かなぁって。あ、でも昨日深海さんを郷 に誘った時のはかなり痛いゲンコツでした。あれは私の言う順番が悪かったので、深海さんを動揺させてしまったし……はい」
あれは仕方ないです、と呟いた白虎の頭を朱雀の大きな掌がヨシヨシと撫でる。
悪かったな、も言わないけれど白虎には伝わっているようで幸せそうに目を細めている。
ちゃんと伝わっている。
俺もルナとこんな風になりたいと思う。
「あれ? こぉひぃは?」
「まだ。五時半に届くようにお願いしてきた」
「たくさんですか?」
「すっごいたくさん! デッカい店二つ行ったもん! 買い占めた」
その道中の電話を思い出して、ほんの少し胸が痛んだ。
「じいさんと話したか?」
「うん……えっ?」
「深海さん、あっちへ行きましょう?」
話がある、という事だ。三人でマットの上に座り込んで、俺は二人の顔を見る。
「昨日、氏神を探しに行ったろ? この辺にいなかった。神社や古い祠はあるけど、主人 不在が多かったな。それでお前の気を溜めた水と、その水の中に映る景色なんかを頼りにして、お前と一番繋がりの強いこの世の神と呼ばれる存在を探した」
「おじい様とおばあ様の所にいらっしゃいました」
「はぁ!? 行ったの!? あんな遠くまで?」
すっごい田舎だぞ!?
陸路なら新幹線乗って、在来線に乗り換えて、更に乗り換えて、そこから今度はバスに乗って……。
「人間は通らない路を使ったので……まぁ遠かったですけど、良い所でしたよね?」
「あぁ、また行きてぇな! ここよりずっと気が良いしな。で、お前のじいさんばあさんの家の近くに小せえ神社があってな……知ってるか? そこに毎日毎日手を合わせに来るんだとよ」
「……ぇ……」
小さな神社……覚えてる。
うちは代々この神社の神様にお参りしちょるってじいちゃんが言っていた。狭い境内だったけどじいちゃんとキャッチボールして遊んだ。
「一人でがんばっている孫がいて、どうかあの子に禍 が起きませんように、守ってくださいって。この世の神様って呼ばれている存在はお願い事は基本聞かないらしいんですが、毎日来て感謝の意は示してくれるし、毎日深海さんの名前を聞いて、余程の禍からはまぁ守ってやるか、と思っておいででしたので、貴方と一番繋がりが深い神様なんです」
「だから深海の気を溜めた水を渡して、生まれる場所を間違えた魂が郷の者と結ばれたので介入する許可を願い出た。ほら、人一人の存在を消すんだ、協力は必要だし、スジ通さないとマズいだろ? 会いに行って良かったよな? 離れてても深海の事を守護してたワケだから勝手に連れて行ったら、俺達、人攫 いになっちまう」
でもねぇ、と白虎が少しむくれた。
「燐 ったらその神様と意気投合してしまって」
「しょうがねぇだろ? 神様、ずっとずっと何百年も一人であの小さな神社で深海のじいさんばあさんが来るのだけを今の楽しみに過ごしてんだぜ? 話し相手になるくらい……」
「そうですけど……」
不安か? と伸ばされた朱雀の手を白虎が頷いて指を絡める。
「朱雀が口説かれて、白虎怒ってんの?」
からかうつもりはなかったんだけど、すねて不安そうな白虎の態度から、そんな事があったのかなぁって思っただけ。
「違いますっ。朱雀の魂は離れません。そんな事じゃないんです。不安なのは……」
「じいさんになんて言われた?」
「え……自分の幸せだけ考えろって……」
「ばあさんは?」
「……俺が幸せになるのが一番嬉しいって……」
「そうか。で、深海の決心は変わったか?」
朱雀の言葉に大きく首を振ると、朱雀は白虎に大丈夫そうだ、と微笑んだ。白虎は目を伏せて唇を噛んだ。
「どうしたの、白虎……俺、解んないんだけど……」
「毎日毎日毎日遠く離れた貴方の事を願いに来る程強く愛している存在がこの世にいても良いのではないか、と神様に言われて……私は反対したんです。全て捨てて消える覚悟を決めた深海さんの心が揺らぐのではないか、せっかく郷に連れて行っても、おじい様おばあ様を思い後悔する深海さんを見たら和子 が哀しむのではないか、と」
「でも深海の存在が消えたら、じいさんとばあさんは今みたいに毎日来てくれなくなるかも知れねぇし、自分にも守ってきた深海のその後を知る権利はあるだろうと神様がゴネ始めて……権利を主張されると強く出れねぇっつーか……」
「あれは権利の主張というより我儘です! 寂しいからって、この世に深海さんの事を覚えている人を二人も残すなんて……でもお参りしてくれる人がいなくなると神様って消えちゃうんですよね、深海さん知ってましたか?」
神様が消えるなんて初耳で、いや、そもそも神様が願い事を聞いてくれないっていうのも初耳だ。
初詣とか、入試の前とか……そういうのも無視?
「人が参拝する神社には神様はいるだろうな。崇められているんだから。神様ってのは、認識されて崇められて初めて存在する事ができる。お前だって氏神を知らなかっただろう? 知らないってのは“いない”のと一緒だ。昔は八百万の神がいたんだろ? 山の神、海の神、川の神、地の神、風の神……厄病神まで。今それらを崇め感謝の念を抱いている人間がどれ程いる? 俺が言う崇めるってのは、アレだぞ? 困った時の神頼みじゃなく、捧げ物をするんでもなくて、日々そういう目に見えぬモノに感謝するって事だぞ?」
答えられなかった。
何せ俺は初詣すら面倒で家でゴロゴロするタイプ。ルナのおかげで食事の際に生命 への感謝は忘れる事はなくなったけど。
少なくとも俺は、困った時の神頼みをする人間だ。
「忘れられるという事は、もうこの世には必要がないという事。必要がなければ、緩 やかに緩 やかに消えるのみ、です」
「消えるって、痛い?」
「さぁ……どうでしょうか。ただ寂しくはあるでしょうね。ですからね、そんな話を聞かされたら、私も断固反対! だったのにちょっと反対、になって……結局、朱雀と二人がかりで説得されてしまいまして、おじい様とおばあ様二人だけが貴方の事を覚えているという当初の予定とは違う内容で手打ちにしました」
「それって、俺が郷に行ってもじいちゃんとばあちゃんは俺を忘れないって事?」
はい、と俯く白虎はやはり不安そうだった。朱雀は俺を見て、すっと目を細めた。
「深海のじいちゃんって怖えな! 事の次第の説明に会いに行ったらよ、うちの深海をワケの解らん生贄なんかにゃできんって怒鳴られた! ちゃんと三人で説明したぞ? 生贄じゃないって事もあるべき場所に還るんだって事も、愛し愛される魂の元へ行くんだって事も。氏神のおかげで色々と信じてもらえたけどよ。おっかねぇ!」
「……どうしよ。知らないと思って……嘘ついた。来年、正月に行くって……二人ともすげぇ喜んでたのに……」
「行きゃ良いだろ?」
がすっと頭が掴まれて、朱雀の優しい声が聞こえた。
ぐるんぐるん俺の頭を回すのは、朱雀が俺を元気付けたい時だ。
「約束っちゅーか、契約したんだ。第三者に深海の名前はもちろん、存在を匂わせるような事をした瞬間に記憶から消すって。もし、じいさんとばあさんが契約を守ってくれたなら、和子を連れて会いに行ってやれ。その時の道は俺達が繋いでやる」
「えぇっと、里帰りって言うんですっけ? あれ? 深海さんは今から郷還りするんですよね? っていう事は?あれ? お出かけ……? 旅行……?」
悩み始めた白虎を優しい目で見つめて、安心させてやってくれって朱雀が俺に囁いた。
「ねぇ、白虎」
「はい?」
「心配してくれてありがとう。でも俺は郷に行くよ。ルナと生きたい。朱雀や白虎とコーヒー飲んで、俺が本当に産まれるはずだった場所かは解らないけど、郷を見てみたい。じいちゃんとばあちゃんの事は嬉しい誤算だけど、それでルナを哀しませたりは絶対にしないよ。だから俺を郷に連れて行ってくれ」
お願いします! と頭に乗ったままの朱雀の手を無視して頭を下げると、慌てて白虎も頭を下げる気配がした。
「すみませんっ私、こう見えて心配性なんです! でもこちらの神様の話を聞いたら無碍にもできなくて……おじい様もおばあ様も信頼できる方だとは解っていても、それでも心配で!」
こう見えて、って、白虎はここに来た時からずっと心配ばかりしてくれているから、心配性で苦労性なのは解っているんだけど。
「あーもー二人とも頭上げろや。後頭部しか見えねぇ……深海、そろそろこぉひぃが運ばれて来るだろ? 俺達はまた猫にでもなった方が良いか?」
どこか楽しそうな朱雀の声がして、俺と白虎は同時に悲鳴を上げた。
朱雀さん、握力すごいですね……。白虎の方が声が小さいって事は、手加減してますね?
俺だけガッツリ掴まれて、ぐるんぐるんされているんですね?
俺のやめて、は無視するくせに。
「燐、もうやめてあげて……」
「ん。那智 が言うならな……」
って白虎の言う事はすぐ聞くんだな!
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