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君の名を……
「ルナに会いたい」
無視し続ける帝に言い募ると、心底バカにした顔で俺を見て
「そんなふざけた名の者はこの郷 にはおらんわ、穢れ」
と言い捨てやがった。
ふざけて付けた名前じゃない。確かに満月を見て、ある意味勢いで付けた名前だけど、似合うと思って、ルナもそれを大切な名前だと言ってくれた名前。
その名前を……。
バカにしやがって。
悔しい。
でも何となくまだ動く時じゃないとは感じる。
「帝。和子 がとてと大切に思っている名前ですよ、ご存知でしょう? それにこの人は穢れではありません。失礼です」
「ふん、すっかり手懐けられおってからに。どいつもこいつも使えんわ」
「帝! 俺達はあんたの手足じゃねぇぞ。あんたに使われるつもりもねぇぞ」
「童 共が偉そうに! 郷を導いて来たのは誰でもないこの儂じゃ」
ギリッと朱雀の奥歯が鳴る音が聞こえた。チラリと横目で見れば黒い瞳が怒りで燃えていた。
「どうして貴方は変わってしまったのですか? いつから? 私と朱雀が伴侶となって四方守護の結束が強まったから? 和子の力が強大である事を知った時から? 貴方はいつの間にか誰の話も聞かず、命令を下すだけになってしまいましたね……私達は貴方にとって、一体何なのでしょう?」
「……ふん。この郷を豊かに穏やかに統治する為の…言わば歯車じゃろ? あぁ、その歯車の一つが呆けてのぅ。使い物にならん。儂の言う事も聞かず我儘ばかり……穢れが付けた名を後生大事にしおって。おかげで美しく豊かだった郷がこのザマよ。まっこと胸が悪ぅなるわ!」
「郷がこうなったのは和子のせいではありません。私達がここにこうして集まっているのは郷と和子の為です。和子をここへ」
「やめろ白虎。ムダだ。俺が行く」
拳を固めた白虎の肩を叩いて、俺には一言小さな声で
「こらえろよ」
と言って朱雀が立ち上がった。
「えーと、お前は帝付きの者だな。和子はどこだ? おい、聞いただろ? 郷の為だ。答えろ」
朱雀に詰め寄られた男はキョドキョドと朱雀と帝に何度も視線を送っているが、帝はそれに応える事なく不機嫌な顔で白虎を見つめている。
「朱雀様、和子様は西の最奥の間におられます! 出して差し上げてください」
小柄な女性が朱雀に駆け寄ってルナの居場所を伝えた。
「貴女は?」
「はい、こちらで和子様にお食事をお運びしております雪江 と申します。声も出せずに泣いておられて、最近ではお食事も満足にお摂りになりません……もう、和子様がお可哀想で耐えられません!」
「解った。ありがとう」
雪江と名乗った女性は朱雀を見送った後、俺を見て頭を下げた。頭を上げた雪江さんに尾白が近付いて何かを耳打ちすると彼女は小さく頷いて尾白の隣に腰を下ろした。
「帝? 伴侶殿の魂は間違えて人の世に産まれたんだよ? だったら和子と魂が引き合っても何の不思議もないでしょ? それにたった一日足らずで身体から穢れを抜いたんだよ? 普通は一、二週間はかかるのにさ、それをすごいとは思わないの? 僕はすごいと思った。きっとすごく苦しかったと思うよ? 帝はそれを認めもしないの?」
「間違えた? どうだかの? 郷に来たくての口から出任せかも知れんのぅ」
「じゃあさ、伴侶殿は和子に会いたくて全て捨ててここに来たんだよ? そこまで和子を想ってるって事も認めないの?」
「……いつもいつも口が回るな、青龍。郷に入る為の偽りに流されるでないわ、愚か者。もう黙れ」
「ホンットーに話聞いてくれないんだね、帝……」
「黙れ。貴様も声を奪おうか?」
背後にいる人達が騒ついた。
守護者の声を奪うって事は余程の事なのだろうと思う。
ゆっくりと立ち上がり、豪華な刺繍を施された着物を幾重にも纏い、派手な装飾品をシャラシャラ鳴らして、帝が近付いて来る。
朱雀達も綺麗な着物を着てはいる。人の世界では穢れの影響を可能な限り受けないように、穢れ避けだったり、吸収したりする装飾品もしていた。俺が亮平の所へ行く時に白虎が持たせてくれたような石がそうだ。
でも朱雀も白虎も郷に帰った途端にそういう装飾品は外していたし、青龍も玄武も煌びやかに着飾っている印象はない。
何だろう……この帝 ……。
「おお、やんちゃ坊主が戻るのぅ」
ド派手な音を立てて扉が開いて、部屋の中にいた全員がそちらを見た。
さっきから帝の言葉に怒り心頭だった朱雀が八つ当たりも兼ねて蹴り開けたようだ。蝶番が壊れていたとしても不思議はないな、と思った。いや、むしろ壊れていてください。
朱雀の腕に抱きかかえられたルナが泣き腫らした目で俺を見て、何度も目を擦った。
本物だって。思わず立ち上がって名を呼んだ。
「ルナ!」
返事はなかった。ただ滝のように涙を流して口をはくはくとさせている。
そんなルナに朱雀が
「本物の深海 だぞ、和子」
と言う。ルナは泣き笑いで俺に向かって手を伸ばした。朱雀の腕から落ちかけたルナを慌てて抱え直した朱雀が大声で帝を呼ぶ。
「封印を解いてくれ! 歩けもしないじゃないか! 声だけじゃなく脚まで! 自由を奪って、あんたは何がしてぇんだっ!」
こらえろよ、と言われたのは覚えている。それも無理だった。頭で考えるより先に身体が動いていた。背後に立つ帝に向き直って胸ぐらを掴んだ。俺より少し背の低い帝はさして気にする風でもなく、ニヤニヤと俺を見上げている。
「無礼じゃの、穢れが移るわぃ。じゃがの、儂は優しいからの、まぁ良いわ。手を離せ」
「ルナを自由にしろっ」
「ルナルナと煩いのぅ……そうじゃ、穢れ、貴様、和子の伴侶と言い張るのなら、ほれ、呼んでみよ。伴侶のみが知る和子の真名を。ならば和子に施した封印を全て解いてやろう……なぁに、儂は嘘は言わんよ」
スッとルナに向けて手を伸ばして
「真名にて解除」
と呟いて、俺にまた視線を戻して楽しそうに笑った。こいつ、俺がルナの真名を聞いていない事を知ってやがる。呼べないって、最初から解ってて、それでも郷の主だった人達の前で呼べと言う。
呼べない俺は伴侶ではなく、郷に入りたい為にルナや朱雀達を騙したとんでもない人間って事にできる。
そしたら、消し易いって? クソ爺。
「ほれ、早う」
「帝、和子は影響を恐れて教えていな」
「呼べば、変な術は本当に解けるか?」
「ふふん? 儂は嘘は言わん。だが当てずっぽうではならんぞ。和子の魂が呼びかけに応じねば術は解けん。その時は……」
「俺を消せば良い」
「深海さん!?」
「多分大丈夫だよ、白虎。ルナが教えてくれた」
あの日。泣きながら、覚えておいてねって言った言葉の意味。
――俺は新月の日に産まれたから。
――俺ね新月の月の最初の日に産まれたんだよ。
ルナが本当は伝えたかった事。
俺に言いたくても言えなかった事。
多分あってる、よな?
朱雀の腕の中で不安そうに俺を見つめるルナにハッキリと聞こえるように肺いっぱいに息を吸い込んだ。
「朔 !」
誰も話さないし、物音一つしない。その分視線が俺とルナと帝の間を忙しく彷徨 う。
「……っひっく……んっく……み、うみ、深海! 深海! ふぇえ……ぅわあぁあぁぁんっ離して! 深海んトコ行きたいっ! 朱雀、降ろしてぇ!」
ルナが泣きじゃくって、封じられた力が戻ったからか、呼吸が止まる程の想いが一気に流れ込んで来た。
寂しかった。苦しかった。悲しかった。会いたかった。愛おしい。嬉しい。触れたい。嬉しい。嬉しい。
ルナが泣けば俺も泣く。朱雀の腕から降りたルナがよたよたと歩くのを見て、帝を突き飛ばしてルナに駆け寄った。帝の短い呻き声が聞こえた気がしたけど、振り返る気もなかった。
久しぶりに抱きしめた身体はずいぶんと細くなっていた。やつれて、毎日泣いていたのか目も真っ赤で。それでも俺の首にしがみつく腕の力は強い。
「こんな痩せて……食べられなかったか? お腹減ってないか?」
「深海、会いたかったよぉ! なんで? もう会えないんだって……思って、たのに……」
「朱雀と白虎に連れて来てもらった。四人から力をもらったよ。五人目はルナだって朱雀が言ってた。六人目は尾白さんだって」
「ホント? ホントに? 力……あげる! もらって!」
しょっぱいキスで唇を塞がれて、頭の中に響いた言葉は朱雀達のとは違っていた。
『共に生きて!』
一緒に生きて、一緒に死のう……そう頭の中で応じると身体が熱くなって、逆にルナにすがる形になった。
「ルナ? 何した……? 身体熱い……」
「え? 力をあげた。あと、この人が俺の伴侶だよって郷にお知らせした。大丈夫?」
周囲の音が少しずつ耳に入ってくる。
躊躇いと歓迎と。
そんな中で誰かが俺の頭に触れた。
「和子ー! 力あり過ぎ! 伴侶殿ったら一気に僕らと同格になっちゃったよ? もう! 誰かぁ神桃持って来て〜? でも和子が幸せそうだから良いよね! うん、良いと思う。だってさぁ……ここにいるみーんな、感じたよね? 反論の余地なしってくらいに二人の御魂は一つだよね? 文句ある人、はい、挙手〜!」
この喋り方は青龍だ。
おちゃらけて聞こえるけど、彼は至ってマジメだ。
「えぇ!? そんな、どうしよ? 深海? 苦しい?」
「身体、熱いけど平気」
お互い涙でぐっしゃぐしゃの顔を指で拭い合いながら嬉しくて笑顔になるのを止められない。
泣いているルナに触れて、その涙を拭える事がこんなにも幸せとは思わなかった。
「俺、ちゃんと答えられただろう? ルナの出したクイズ」
「うんっ! すごい! 深海はくいずが得意!」
「ちょ、和子? くいずって何?」
「えっと、くいずはナゾナゾ。謎かけみたいなものだよ、青龍。ね? 深海」
「そうだな。ナゾナゾ」
ルナが新月の日に産まれたって事は聞いていた。なのにあの別れ際、わざわざもう一度言ったのは何故なのか。何故言葉が違うのか考えていた。
新月の事を“朔”という。
月の初めの日の事も“朔”という。
何故はっきりとそう言わなかったのか……言えなかったからだとしたら、それはきっとルナの真名だと思った。
「朔……」
「えへへ……照れる……」
膝に乗せて抱くと、まるで猫のように俺の肩や首に頬を擦りつけて甘えるルナ。今にも喉をゴロゴロ鳴らし始めそうだ。
愛おしい。
髪を撫でると懐かしい声で嬉しそうに笑う。
「異議なんてないわ!」
「異議はない!」
最初に響いた声は雪江さんのものだと思う。その声を皮切りに次々と異議なしの言葉と拍手が続く。
認められた嬉しさにルナと二人で周りを見渡す。
最初は俺が何者かと探るような視線を送っていた人達が今は笑顔を見せてくれている。
「伴侶殿、コレを」
ずいっと目の前に差し出された見た事もない大きな桃を持つ尾白が、顰めっ面でルナに文句を言う。
「……私が六人目のはずでしたのに……」
「尾白の出番、取っちゃった」
「私だけじゃないですよ? 雪江殿は七人目になる予定でしたのに。まぁ、私はこうして伴侶殿に神桃を渡すお役目で納得しましょう」
ズシリと重い桃からは甘い香が漂って、その芳香が部屋を満たす。
「さ。食べて、伴侶殿! 僕らと同格になった事だし、和子とやっと会えたんだよ? きっと郷からも祝福があるよ!」
にこにこと人懐こい笑顔の青龍が早く桃を食べろと急かす。
どうしたものかとルナを見るとやはり笑顔でこくこく頷く。
「食え、深海!」
話しただろ? と朱雀が言う。
神桃を食べればルナと同じ時間を生きられる……そして郷が俺を認めてくれたら彼らと同じような力を得られる。
正直なところ、力なんてどうでも良かった。
ただルナ……朔と一緒に生きたかった。
「儂は認めておらんっ! 離せ童共!」
存在自体忘れていた帝の方を見ると、俺に突き飛ばされたままの姿勢で左右から白虎と玄武に抑えられていた。
容赦なく抑えられているようで、帝は認めていないと叫ぶのがやっとのようだ。
「儂を裏切るか!? 童共めが! 月の差し金か? それとも穢れに唆 されたか?」
口角泡を飛ばし憤怒の表情っていうのはああいうのだと思う。
威厳も何もない。ただの醜い老人が騒いでいるだけに見えた。
「深海さん! 食べて、そして祈ってください! この郷でどのように生きたいか、どうありたいのか! 郷が貴方に力を与えるかどうかは解りません。でもその桃を食べれば和子と生きられます」
「儂は認めてない!」
「……はぁ……失敬」
「認めんがっごっうぅぅ!」
ウンザリしたように玄武が帝の口を塞いで、俺を見て頷く。
「深海、貸して?」
そっと両手で神桃を持ち上げたルナが俺の膝に乗ったまま、チラリと周りを見て顔を真っ赤にした。
「はい、あーん!」
「ぷっ! マジか!? ありがとルナ」
「や! 笑わないで!」
俺につられて皆が笑い始める。ルナは顔を更に赤くして周りを睨むけど、そんな表情も緊 まりがなくて少しも怖くない。
周りも微笑ましく俺達を見ているだけで茶化す者は一人もいなかった。
「いただきます」
熟しているのにズワズワしていない。ちゃんと歯応えもある。不思議な神桃を食べ進めた。
白虎に言われたように祈りながら。
願いながら。
ルナの隣にいておかしくない存在になりたい。
ルナに相応しいモノになりたい。
ルナと共に生きていきたい。
「あ」
目が霞む……身体が痛い。
郷に拒否されたんだろうか……それだけは、嫌、だ……。
「み、深海?」
ダメだ、ルナが心配している。イヤだ。心配させたくない。ずっと一緒にいたいんだ。
もう離れたくないんだよ……。
霞む目でルナを探した。
俺は床にへたばってしまったのか、ルナの顔がいつもより高い位置に見える。俺を見下ろすルナは目を真ん丸にして固まっている。
朱雀が立ち上がって叫んだ。
「見えるか!? 帝! これが郷の意志だ!」
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