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郷の意志

鼓膜から聞こえる朱雀の声とは別に頭の中に直接響く声がある。 『望みはそれだけか』 「それだけ」 『願いはそれだけか』 「そうだよ。ル……(さく)と共に生き、朔に相応しい存在になりたいんだ……」 『承知した』 『愛しい者を見るが良い』 「ウソ……深海(みうみ)……」 ルナの手がすぅっと伸びて、俺はそれを目を細めて受け入れる。 「皆も見てるよね? これが答えだよ!」 『加護を』 温かなルナの手が心地良い。 「深海、綺麗だねぇ……!」 すごく綺麗、と溜め息を洩らすルナの言葉に首をひねる。 綺麗も何も。着の身着のままで郷に来た。 「立ち上がって? 皆がもっと見たいって」 「あれ? ルナ、なんか変だ……」 バランスが取れない。頭がやたらと前に行く。支えようと床についた手に指はなかった。 「え? えぇ? 何? ルナ? 俺、どうなってんの!?」 「大丈夫。支えてあげる。ゆっくり立ち上がって?」 ほぅ……と周囲から漣のように感嘆が広がり、近寄って来た朱雀を見下ろす。 見下ろす……? 朱雀は俺よりかなり長身のはずだ。おそらく百九十センチ近いはず、なのに何故? 「生まれて初めて、こんなに美しいモノを見た……触って良いか? 深海、和子(わこ)。祝福させてくれ」 「え、どうだろ? 俺は良いと思うんだけど……」 正面に立った朱雀の黒い瞳に映る自分の姿に声も出なかった。 見た事もない獣がいた。 周囲が口々に麒麟(キリン)だ! と慶ぶ。 「麒麟が降りた!」 「麒麟の福音は初めての事だろう?」 「二本角の麒麟とは!」 「黄金に輝く毛に虹色の鱗の麒麟がいるなんて……」 「初めて見た……初めて見た……」 騒めく周囲のテンションについて行けない俺を安心させるようにルナが前脚に抱きつく。 「深海すごい! すごく綺麗!」 嬉しそうに笑ってくれるけど、この姿じゃ抱きしめる事もできず、かといってヒトの姿にどうやって戻れば良いのかも解らず一人途方に暮れる。 「なぁルナ〜どうやったら戻れるの? まさかずっとこのまんま?」 声も自分の声じゃないみたいだ。 「んな情けねぇ声出すなよ。なぁ深海、お前何を願った? 何を思って神桃を口にした?」 頬を撫でようと上がった朱雀の手に頬を寄せると、それだけでまた周りが騒つく。 「何って……ルナの隣に相応しいモノになりたいって……一緒に生きたいって……そんだけ」 それだけだったのに、どうしてこんな姿になってしまったのか。 郷の常識は俺にとっては全くもって理解不能の摩訶不思議だ。 「そうか。それだけか……欲がねぇなあ! ま、お前らしくて最高だよ!」 「伴侶殿! 僕にも祝福させて!」 両手を広げて笑う青龍にも顔を近付け、撫でてもらう。それが自分だけの思いなのか判断がつかないが、嫌な気分ではなかった。 「郷は伴侶殿を和子に相応しい者として迎えたよ! すごいね! 麒麟なんて文献でしか見た事ないよ。こんなに美しいなんて書いてなかったよ……たくさん色んな話を聞かせてね? うわぁ、ホント綺麗だぁ……」 うっとりと頬から首、胴を撫でる青龍にルナが少し唇を尖らせた。 「ちょっと青龍、触り過ぎ! あ、違うよ? ヤキモチじゃないよ?」 「そうですよ、青龍! 朱雀も! 貴方達祝福が終わったなら代わってくれませんかーっ? この人、暴れて暴れて……もうクタクタですぅー!」 背後から聞こえた白虎の声に振り返ると、暴れる帝の動きを封じたままの白虎と玄武が疲労困憊の体でこちらを見ていた。 「ルナ、あっちへ行きたい」 左右を朱雀、青龍に支えられてルナの後を歩く。四足歩行ってなかなか難しい……。 歩くだけでこんなに見られて何かを言われるとは余程珍しいモノになっているらしい。そう思うと気恥ずかしくてたまらない。 が。どうにもできないのが現状です。 「白虎、深海と心を繋げてくれてありがと。ツラかったでしょ? すごく嬉しかった。あの時はもう脚も動かせなかったから郷から出れないし深海にも二度と会えないと思ってた」 「あれは……勝手に身体が動いてしまいまして……」 「はい、代わってあげる! 和子と伴侶殿を祝福してあげて?」 「深海さん!」 白虎の満面の笑みって初めて見る。 初対面は怖い人。気心知れれば天然の可愛い人。頼らせようとしてくれる兄貴肌の朱雀に対して、頼って良いんだよ、とそっと背中に手を添えて押してくれる優しい人。 自分から顔を寄せた。白虎にも触れてもらいたい。 「貴方を連れて来る事に躊躇(ためら)いはありませんでしたが、まさかこんな素敵な事が起こるとは……これからもよろしくお願いいたします」 「こちらこそよろしくお願いします。郷のしきたりとか、解らない事だらけだと思うし」 「さすがは麒麟! 素晴らしい声ですね」 片手で俺を撫でながらもう片方の手を軽く握って口元を押さえてくすりと笑った。 そうなんだよ。 声がやっぱりおかしいままで治らないんだ。 「深海! もう一人いるぞ!」 「解ってるよ!」 ずいっと目の前に立った玄武はじぃっと自分の右手を見つめて 「……こちらは……汚い……許せ」 と呟いて、それでもゴシゴシと着物で掌を拭いていた。 帝の口を塞いでいたから汚いと本人を目の前にしてハッキリと言い切る玄武は、どんなに言葉が少なくても絶対に嘘をつく事はないだろうと思う。 ゆっくりと伸ばされた左手に頬を寄せると、一瞬指先が戦慄(わなな)いた。そして梳くように玄武の指が俺の頬や首を滑る。 「……最上級の……敬愛……誓う」 「受け入れてくれてありがとう」 「……当たり前の事……だ」 玄武の口元に柔らかな笑みが浮かんでいて、それに俺とほぼ同時に気付いたルナが今度はハッキリと唇を尖らせた。 「むぅ……みんなばっかりズルいよ! 深海! 俺にも触れさせて?」 ルナは床にへばっていた時に頭を撫でただけだった事を思い出した。 上目遣いで全身全霊でお願いを発動しているルナが愛しくてたまらず、無意識に前脚を折ってルナの前に伏せた。 周りが一際騒がしくなるし、目の前の組み敷かれた帝は目を見開いて額に血管を浮かべて大暴れしている。 「深海ありがとう。いっぱい名を呼んでくれて、郷に来てくれて、くいずに正解してくれて、本当にありがとう」 何度も繰り返し頭を撫でるルナの手はとても心地良く、思わず目を閉じた。温かく穏やかに静かな風が吹く。 「深海」 「ん?」 「深海は俺が愛する唯一の者だよ」 眉間にルナの唇が落ちた。 一瞬の静寂。そして歓声が辺りを包む。 朱雀が蹴り開けた扉を何人かが駆け込んで来る音がハッキリと耳に届いた。 どうやら今の俺は何もかもがいつもと違うらしい。 「大変だっ! 咲いたっ……! 咲きましたっ! 瑠璃の桜が! ま、満開だっ!」 「こっちも! た、大変ですっ! 湧き水が噴き出しました! 生き返ります! 郷が……郷が生き返りま……え……ぇ?」 駆け込んで来た数人が俺を見て固まる。そして同時に 「き、麒麟……」 と呟いてへたりと腰を抜かした。 「これで貴方も納得するしかありませんね? 貴方では成し得なかった事象です。どうか潔く御退位を」 麒麟は新しい世を連れて来る。 新しい王に相応しい者にのみ跪き、その後ろに従う。 そう説明する朱雀は帝に退位を迫る白虎を眺めて 「な? 素敵な事になってきたろ?」 と片目を瞑ってみせた。

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