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【番外編】元旦 下

ずっと降り続いた雪は玄関先までしっかりと積もって、見渡す限り銀世界。その幻想的な美しさに感嘆と驚喜の声を漏らしたルナは、一目散に駆け出そうとして、じいちゃんに止められた。 「ほい、ルナちゃん。コレ」 「う? 履物?」 「長靴っちゅうて、ゴムでできちょるけぇ、濡れんそ」 「へぇー」 外は寒いから、とばあちゃんからあれもこれもと着せられて、すっかり着膨れしたルナがよろけながら長靴に履き替えるのを手伝う。 着物の裾は帯に挟んだルナが 「(はかま)を持って来れば良かったねぇ」 と同じく着膨れした俺達に微笑む。ばあちゃんは俺達に着せるためにありったけの冬物を出してくれたんじゃないかと思う。 「おばあ様は寒くありませんか?」 「大丈夫ですよ。慣れちょりますけぇね」 背伸びしつつ白虎の首にストールを巻きつけて微笑むばあちゃんは鼻の頭と頬を寒さに薄っすらと赤くしながらも 本当に慣れているのか平気そうだ。 「わわわ、歩きにくいっ」 (ほうき)でならした玄関から、ならしていない新雪へと踏み出したルナが足をスッポリ覆う長靴の感覚が掴めずに、すり足のように歩き出した。 そんな歩き方では長靴の口から雪が入ってきてしまう。 「ルナー? ちゃんと足上げて歩かないと雪が入って冷たいぞ?」 「解った! 足を上げる……上げる……深海(みうみ)! 待って!」 ひょいと歩き出した俺に手を伸ばしたルナ。 いつも一緒。今年も一緒。だから。 「おいで」 すっと手を差し出せば、陽の光と雪の照り返しを受けた金眼を嬉しそうに細めてルナが駆けて来る。駆けて…… ――ぼす―― 思いっきり新雪に足を取られたルナがバンザイの姿勢で雪に埋まった。 すぐに助けてあげなきゃって思うのに、足元のその光景があまりに可愛くて……可愛くて……笑った。 「ひゃあ! ルナちゃん!? 大丈夫かねっ!?」 「和子(わこ)!?」 微動だにしないルナと、ルナを見下ろして必死で手を伸ばしたまま笑いを噛み殺す俺と、心配してあたおたする俺以外。 存外シュールな画なんじゃないだろうか? ぷわっと息継ぎついでに顔だけ上げたルナが俺を見て笑う。 「うへへへへ、ちべたい」 睫毛にも鼻の頭にも上唇にも雪を乗せたルナがギュッと雪を握って起き上がると、両手に握った雪の塊を朱雀と白虎に向けて投げた。 「わっ! ちょ! 和子、やめれ」 「ひどい! 私は心配したのに!」 「みんな雪まみれ〜!」 きゃっきゃと両手を振り回して、雪を掻き舞い上げるルナ本人が雪まみれで、着膨れしてまるまるとしていて、まるで雪だるま。 「わーこ、やり返されても文句ねぇな?」 「へ? 文句? あるよ! 三歩も置いて行った深海が悪い!」 「なるほど。深海さん、ね……貴方が和子を置いて行くから、雪まみれになったじゃないですかぁ!」 「うっそ! なんで俺っ!? つべたっ! ちょ、じいちゃん! こいつら止めて!」 「んー? わしゃ神様に命令なんぞできんし」 「ありゃま、こりゃ帰って来たらすぐにお風呂じゃね」 雪を掛け合う“神様”を被害の及ばぬ安全な場所でタバコを燻らせながら眺めるじいちゃんは俺を助ける気は更々ないようだ。参加されないだけマシとしよう。 「深海、だーっこ!」 「ごふっ」 抱っこ、なんて可愛いモノじゃなかった。タックルだろ。 雪だるまアタックを受けて立っていられる程、俺も着物に長靴って格好に慣れているワケじゃなし。 ルナを抱えたまま雪に埋もれた。 「ルナちゃん、しっかり遊んだか? ほんならじいちゃんとちょろっと散歩して、早よ帰ってあったかい雑煮でも食おうで?」 「お雑煮! 行きます! 深海、おんぶしてね?」 「ぐぇ…はい……」 腹の上でぴょんと跳ねるルナの重みを受け止めて、俺は今年もこの天真爛漫で無邪気なルナに振り回されるんだろうと覚悟した。 「まーっ白じゃけど……この辺全部、じいちゃんとばあちゃんの田んぼと畑。この裏山も。山菜もようけぇ採れる。あの端っこでばあちゃんが趣味で花を育てちょる」 「ほぅ! すごい!」 「きっとルナちゃんの郷には敵わんじゃろうけど、春になれば山にも田んぼの畦道にも花が咲く。ホーホケキョなんて聞こえたら、そりゃあ嬉しいもんよ。野菜が育って、稲が育って、秋にはこの辺は一面黄金色じゃ。綺麗じゃよ? 今度見においで?」 「来たいです」 「ルナちゃん。これがじいちゃんの……じいちゃんとばあちゃんの大事なモン。深海はルナちゃんがおって安心じゃけどな、田んぼも畑も手をかけんとすぐにダメになる。それはいけんのよ。この田んぼも畑も、じいちゃんのじいちゃんのじいちゃん……ご先祖様から譲ってもろうたモンじゃけぇの。最後までちゃんと責任持たんといけん。責任持って、最後にはこの世の神様にありがとうって返さにゃいけんのよ」 最後まで……。 おそらくこの田畑を継ぐ人間はいない。 田舎嫌いの両親が継ぐとはとても思えない。じいちゃんとばあちゃんがこの世を去る時、どういう形で終わらせるつもりなのか俺には解らないけど、もう覚悟は決めているっていうのが穏やかにルナに聞かせる口調から伝わってきた。 「おじいさん……毎年来ても良いですか?」 「ええよ」 「春も秋もお正月も来て良いですか?」 「もちろん、ええよぉ」 「おじいさん」 背中のルナが身体に力を入れたのが伝わった。 「あの。昨日……何も知らないで、おじいさんとおばあさんの大事な物を無視して、郷に来ませんか? なんて言ってごめんなさい。俺もちゃんと見たいです。花が咲くとこも、ホーホケキョも聞きたいです」 「ほうか。いつでもおいで。そんじゃ帰ろうか……紅白様も帰ろうで!」 わざと距離を置いて枯れ木の下で寄り添う二人はとても美しかったが、残念な事に着膨れだるまだった。 「お雑煮ですね!」 がぽがぽと雪を踏み込み歩を進める白虎が珍しく朱雀の手を引いている。 「あんま急ぐとお前もこけるぞ?」 嬉しそうな朱雀の声に、笑顔の白虎が振り返る。 「こけそうになったら、手を引いてくれるでしょう?」 「だな」 郷はマジで安泰だな、と呟くとルナが首筋に顔を埋めてきた。冷えた鼻の頭に一瞬ブルッとする。 「どした?」 「愛しいものがいっぱいで、それが嬉しい」 「そっか」 「ん」 背負い直したルナがくふふ、えへへとしきりに笑う。 ルナの中に増えた愛しいものは俺にとっても愛しいものだ。 気付けば俺も笑っていて、ルナが耳元でお雑煮お雑煮って呪文のよう繰り返していた。その声に急かされて雪が長靴に入るのも構わず家路を急いだ。 お雑煮に目がくらんだ俺達のあとをじいちゃんがのんびりと歩く。 「深海! ばあちゃんに、じいちゃんは餅二つって言うとってくれ!」 「了解!」 着込み過ぎてじっとりとかいた汗をザッと流すとばあちゃん特製のお雑煮の準備が進んでいた。 「みーくん、お餅何個?」 「俺三つ! じいちゃんは二つだって」 「ルナも三つです! みんな三つです! あ、お手伝う?」 「えぇよ、ルナちゃん。みーくん達とコタツであったこうしちょき。そうじゃ、ルナちゃんはみーくんとコレを見ちょって?」 背中に貼りつけれてはたまらない、とばあちゃんがルナを言いくるめてコタツに潜らせると、コタツ脇のストーブの天板を使って一気に餅を焼き始めた。 「ほほう……部屋を暖める上に調理にまで使えるとは。すとぉぶもすごいな!」 「便利だぞ? ヤカン置いときゃ沸くし、鍋置いときゃ煮込めるし」 ほぅ……とストーブをうっとりと眺めるルナはストーブが欲しそうだった。が、郷の冬は短いのでストーブの出番はない。 「あったかくて気持ち良いなぁ……寝ちまいそ」 「寝たらお雑煮食べ損ねますよ?」 「そこは起こせよ」 こっちの伴侶もコタツの一辺に狭いだろうに並んで、朱雀は寝転んで白虎の腿に頭を乗せて甘えている。赤い髪を梳く白い指が印象的だ。 ルナに二人を指差して、あれやって? とねだると 「ダメ。今はお餅を見てなきゃいけない」 とけんもほろろに断られてしまった。 俺より餅かよ、とボヤくとマジメな声で 「おばあさんのお手伝いだから。待ってね」 と言われると……そんなもん焼けるまでチラチラッと見ときゃ良いのに、なんて言えなかった。 ばあちゃんに頼まれたから、ちゃんと餅を見る。 ルナは真っ直ぐだから。 だから俺もルナのお手伝いの邪魔はしない。 コタツの上は御節料理やお雑煮が並んで、ルナは嬉しそうに自分が見つめ続けた餅を頬張っている。 餅が美味しいと誰かが言えば、それがストーブで焼いた物だと、どこか誇らし気な顔をするのも愛おしい。 一の事を十にも百にも感受して、素直に喜び素直に詫び、素直に笑って素直に泣く。 そんなルナ……(さく)……がずっと変わらぬままいられるように役に立ちたいと思う。 多分毎年変わらぬ俺の新年の抱負。 「春にまた来ます」 「うんうん。おいで〜」 「秋にもお正月にも!」 「えぇよ? 食べられそうな物をいーっぱい作っちょこうね」 逢魔刻(おうまがとき)が来るまで、時間の仕切りは関係なく、目の前のご馳走に手を伸ばし、雑談を交わし酒を酌み交わす。ルナは甘酒と、百パーセントのリンゴジュース。俺もルナに付き合ってリンゴジュース。 「あ。忘れんうちにお土産渡しちょこ!」 ご機嫌なばあちゃんが一旦消えて、すぐに抱えきれない程の着物を腕いっぱいに抱えて来た。 「ばあちゃんがまだ若うてぴちぴちじゃった頃のよ。みんな着物みたいじゃけ、着てくれん? コレなんかなかなかシャレちょるじゃろ? あ、コレはじいちゃんがイケメンじゃった頃のじゃ」 「じゃった、は余計なわい」 ぶぅ、とタバコの煙を吐き出すじいちゃん。イケメンと言われて頬が緩んでいる。 「さすがに大振袖はないけどねぇ。向こうで手直しできる人とかおらん? 着てくれる人でもええんじゃけど。帯もあるんよ」 「でも、こんな高価な物もらえないです」 「ルナちゃんがもろうてくれんかったら、このまま箪笥の肥よ。今の人は着物なんて着てくれんもん」 「ルナ、もらお。ばあちゃん、ホントにもらって良いの? じいちゃんに買ってもらった大事な一枚とかないの?」 そう言うとばあちゃんは昔を思い出したのか、うふふ、と可愛らしく笑ってルナに一番に勧めた着物を指差した。 「コ〜レ! 結婚して初めての記念日にじいちゃんが買うてくれたそ。大事なんよ。じゃけルナちゃんにもろうて欲しいそ。もろうてくれて、そのあとはルナちゃんの好きにしたらえぇよ。誰かにあげてもええし、捨て……」 「着ます! 大事に着ます!」 俺達の着物は和風であって決して和服ではない。ばあちゃんの着物を無駄にする事もないと思う。 「おばあさん、ありがとうございます。大事にします」 親から子へ、そしてその子が親になったらまた子へ。着物とはそうして受け継いでいったものだとルナに耳打ちすると、ルナは感激したのか、ばあちゃんの記念の着物を胸に抱えて涙目になった。 汚れや虫食いでダメになったら仕立て直して子供用の着物や小物にする。それもボロボロになったら人形の着物にしたり、お手玉にしたり、上等な下駄の鼻緒にしたり。そうやって着物一枚でも最大限に活用していたのだと高校の頃だったか授業で横道に逸れた先生から聞いた気がする。 ルナが断ったら、ばあちゃんの言う通り箪笥の肥で終わっただろう。でもルナが大事に着ると口にしたのだから、本当に大事にされるのだと思うと俺まで嬉しくなる。 「じいちゃんがイケメンだった頃の着物は俺がもらっても良い?」 「過去形で言うな……えぇよ。もう着んし。代わりに深海が着てくれりゃ着物も喜ぶじゃろ。着物は全部持って帰って、向こうで分けたらえぇよ。さ、紅白様、まだ時間あるじゃろ? 地酒飲んでぇね!」 別れの時間が近付くにつれて、口数が減り、なんともいたたまれない気持ちになる……のかと思っていた。 けれど実際は。 じいちゃんもばあちゃんも食べ過ぎたとお腹を摩りながらルナと俺には餅を焼き、“紅白様”と酒を飲んで相変わらず釣りの話や郷の話を聞いて笑っている。 「おいしーい!」 お雑煮、きな粉の次は砂糖醤油。抹茶塩。海苔を巻いて、ちょこっとワサビをつけて……とばあちゃんが出す餅を全部幸せそうにルナが食べる。 ルナの正月太りは確定だな、と膝の上のルナを抱きしめると、回した腕をぺちんと叩かれた。苦しかったらしい。 「もう五時じゃ。そろそろ〆にゃいけんね」 「あぅ、ホントだ……楽しい時間は早いね……」 「でも春にはまた遊びに来るんだろ?」 寂しさを打ち消すように、こくりと大きく頷いたルナの前に少し大振りの茶碗が置かれる。 全員に白米のよそわれた茶碗を配るばあちゃんが声を上げる。 「〆はこれよ! 紅白様もルナちゃんもみーくんも! 食べて、あったまって、神社に行こうね」 白ご飯の上に焼いた餅を乗せて、塩を振ってお茶漬けにする。シンプルだけど、確かに〆にはピッタリの一杯だ。おかきや梅干し、その他漬物はお好みでどうぞ。 「酒盛りの〆にゃ、こりゃ良いな! 郷でもやろうぜ」 「賛成! 私、お酒なくてもコレ食べたいですね」 「郷の区画、考え直そうね! 今より少し多く餅米が採れるようにして……えへへ、おいしー!」 田舎の真冬の、しかも元旦の陽の落ちた夜道を歩く人はいない。 俺はルナと手を繋いで、じいちゃんとばあちゃんからのお土産を二人で分けて神社へと進む。 俺達のせいで初詣がいつもより遅れたじいちゃんは神様に新年早々謝るらしい。あの神様なら気にしないと思うけど。 「おー、来たか。和子殿。紅白。深海よ、里帰りはどうじゃ? のんびりできたかの?」 「あ、神様。おかげさまで良いお正月でした」 「か、か、か、神、様っ! ご挨拶が遅れてしもうて……あの、今年……今年もどうかよろしくお願いいた、いたしますっ」 「あ、うん。解っておる。深海のおかげでより深い(えにし)ができたからの。悪いようにはせん」 やる気があるのかないのかよく解らない神様に頭を下げるじいちゃんとばあちゃんにルナが近付いて、それぞれにぎゅうっと抱きついた。 「おじいちゃん、ありがと。おばあちゃん、ありがと。すごく楽しかった」 “さん”から“ちゃん”へと変わったルナの口調に二人の頬が緩むのが解った。 「次は春じゃの?」 「ホーホケキョを聞きに来るよ! 元気でね!」 「ルナちゃん……みーくんも」 呼ばれて、荷物を朱雀に預けてルナの隣に立つとばあちゃんの手が胸に当てられた。 「ここ。大事なもんは全部ここ。ルナちゃんもみーくんもばあちゃんのここにおるけぇね? いつでもここから飛び出して遊びにおいで」 「うん……おばあちゃん元気でね!」 「ばあちゃん、(うぐいす)鳴いたら、ここの神様にすぐ教えてね? ルナと来るから」 次は俺達は留守番だなぁ、とボヤく朱雀の声にルナと顔を見合わせて笑う。 「じゃあね! また!」 春なんてすぐじゃ、と顎を撫でて笑う神様にみんなが頷いて、じいちゃんとばあちゃんを外に残して社の扉が閉まった。 元気でね。怪我も病気もしませんように。幸せで。 社の中に響くじいちゃんとばあちゃんの心の声に鼻の奥がツンとした。 (もや)の道の中、繋いだルナの手を握り直して、そっと耳に口を寄せた。 「ね? なんで井戸に水筒投げ込んだの?」 ルナは帰り支度の合間に、この家の水は井戸水かどうかを確認して、俺が教えた井戸に郷から持って来た水筒を投げ入れていた。 「ん? だって郷の物は口にできないでしょ? 深海、苦しかったでしょ? でもね〜水筒に入ってた水の量なんてたいした事ないし、人の世の水が染み出すなら薄くなってもっと大丈夫なはず。それをちょっとずつ口にするなら絶対大丈夫! 俺達みたいな身体に変えるなんて干渉はできないけど、お水を飲んで不思議と身体の調子が良くなっても、あの神様なら怒んないよ」 えへへ、と確信犯の笑顔のルナは軽やかな足取りで道を進む。繋いだ手から満足感が伝わってくる。 「不思議と、ねえ?」 「うん。不思議と。不思議な事はいーっぱいあるもんね! ね?」 「そうそう。和子と深海が会ったのだって不思議だし、そもそも森羅万象の一切が不思議だし?」 白虎が何も言わないところをみると、ルナのした事に文句はないらしい。 「あ。着いた!」 さっきまでの寒さが信じられない程に暖かい。 郷はもう春が近い。 春には鶯だって鳴く。 それでも俺とルナはじいちゃんの言うホーホケキョを聞きに道を開くだろう。 その時も俺達はきっとこうして笑って手を繋いでいる。

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