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【番外編】元旦 上

柱時計が重みのある音で零時を告げると、いの一番にルナが正座に座り直して声を張り上げた。 「新年明けましておめでとうございます! お集まりの皆様におかれましては日々の暮らしに与えられる恵みを軽んずる事なく、迎えられた新たな年を色鮮やかに穏やかに過ごされますように! また深海(みうみ)のおじい様とおばあ様がこの世の神に愛され、より一層の幸福と光に溢れた一年を送られますよう心よりお祈り申し上げる」 しゃんっと背筋を伸ばして一人一人の顔を見ながら話した後、すっと頭を下げる。 美しい所作だった。 (さと)流の新年の挨拶だろうか? 初めての俺とじいちゃんばあちゃんは三人そろって口を開けている。 「明けましておめでとうございます」 「明けましておめでとう」 朱雀と白虎の挨拶は普通だ。 ルナが、ルナが……さっきまで俺を座椅子にしてウトウトしていたルナが……! 「ル、ルナちゃん、すごいねぇ……」 「御口上、っちゅうヤツかのぅ?」 ぽかんとする俺達を見て首を傾げたルナが不安そうに 「深海? 俺、ヘンだった……?」 と言って手を伸ばしてくる。 いつものルナに戻って、甘えてくる手を掴んで思いっきり抱きしめた。 「ヘンじゃないよ! すっごくカッコ良かった! ちょっと感動した!」 頭を撫でてそう言えば、顔を上げたその頬が少し膨らんでいる。 「ちょっとぉ……?」 「ん、ちょっとじゃない。かなり。すごく。とても!」 髪を分けて額にキスをすると、あっさりと頬は元に戻った。 「深海、今年もよろしくね? ずっと一緒にいてね?」 真っ直ぐに俺を見る目は相変わらず俺を虜にする。 頬が緩むのが止められないまま、ルナの耳元に口をつけて、誰にも聞こえないように囁く。 「ずっと一緒だよ、(さく)。愛してる」 軽く耳朶を噛んで顔を上げると、それは見事に真っ赤に茹だったルナが目をウルウルさせていた。 俺と目が合うと、はぅ、と小さく吐息を洩らす。 「……みーくんが手練れじゃ……」 「成長したいうんかのぅ……タラシの才能があったんか……誰に似たんか……」 「あ、あれいつもだから」 「うふふ、今年も郷は安泰ですねぇ」 それぞれ勝手に物申す四人を赤い顔をしたまま振り返ったルナはそれでも嬉しくて楽しくて仕方がないって様子。 「今年もみんな幸せ!」 と俺の首に手をかけたまま元気いっぱいのルナの声が部屋の中に響いた。 ルナの幸せ宣言にじいちゃんは膝を叩いて、幸せ始めじゃ、とばあちゃんに手を合わせてこの日の為にと買っておいた日本酒に燗付けを頼む。 朱雀と白虎も断らず、ルナは期待を込めた目で俺を見る。 外見年齢十六、七歳。実年齢は未だに聞けていないルナに俺は一口だけな、と許可を与えて、ルナが酒乱じゃない事を密かに祈った。 「おじいしゃん、おばあしゃん……郷に……来ましぇんか?」 きゅきゅきゅっと大きめの猪口の酒を止める間もなく立て続けに用意された数杯を飲み干したルナが少々怪しい呂律で二人に提案をした。 その提案が突拍子もない事と、言い出すのにそれなりの覚悟らしきものが必要だというのは酔っても輝きの変わらない真剣なルナの目で理解できた。 「ルナ、ちゃん? 神様、ルナちゃんが酔うてしもうた」 「んー和子(わこ)は酔っ払ったところで無責任な事は言わねぇよ。さ、じい様御一献!」 朱雀に徳利を傾けられて、じいちゃんは慌てて杯を持ち直した。 「郷は良い所です。綺麗な所です。他の人達もきっと反対しない」 ぐっと身を乗り出したルナにばあちゃんが甘酒を用意する、と立ち上がった。 「おばあしゃん!」 話を聞いて! とばあちゃんを追いかけようとしたルナの頭をじいちゃんがそっと大きな掌で押さえた。 「ルナちゃん……そりゃあ、ありがた過ぎる申し出じゃ」 「じゃあ!」 「じゃがの。なぁ、ルナちゃん……深海の魂は産まれる場所を間違えてしもうたんじゃろ? なら……正しい場所に還るのは当たり前。じゃったら、じいちゃんとばあちゃんはどうかの? わしらの魂は間違えてこの世に産まれたんか? 違うじゃろ?」 「……違います。でも、でも……」 「この世に産まれるべくして産まれたんなら、この世で生きてこの世で死なにゃならん。そうじゃろ? それが(ことわり)っちゅうもんじゃろ?」 幼子に言い聞かせるようなじいちゃんの言葉にルナは返す言葉もないようだった。 「そ、だけど……」 「はい、ルナちゃん。甘酒飲みんさい。あったまるけぇね、酔わんし」 「……いたらきます……」 甘酒をふぅふぅ冷ますルナの背中がしょんぼりしている。 そんなに落ち込むなよ、ルナ。胸の中で語りかけると、俺と差し向かいに座る白虎と目が合った。 白虎が小さく頷くのと同時にルナが甘酒の入ったコップをコタツに置いて、耐え切れなかったように俺に飛び付いてきた。 「……みぃみ、俺、間違えた……? ごめんね……郷に来てもらいたかったのぉ……! みぃみの、大事っだから……」 「うん。解ってる。ほら、泣くなて」 俺達守護者には親がない、と口を開いたのは朱雀だった。 「親とか孫とか血縁とか。それに伴う想いも、正直郷で暮らす人々を見て想像するしかない。和子は実際二人に会って、感じたんだろうよ。どんなに深海を深く愛してくれているか」 「親を飛ばして、和子にはおじい様とおばあ様ができちゃいましたしね。孫っていうのはおじい様とおばあ様の事が大好きなものでしょう? 逆もまた然り、ですよね? 予想、ですけど」 「気を悪くしないで。思い付きで言ったワケじゃないんだ……俺の、大事を守ろうと思って……」 ぐずぐずと鼻を鳴らすルナは小さく頷いて、蚊の鳴くような声で俺の名を呼んだ。 そんなルナの頭をガシッと掴んだ手。 「よぉし! ルナちゃん! 朝になったら散歩に行くぞ!」 「……しゃんぽ?」 「じゃけ、酔払っとらんと早う寝んと! 雪ん中、歩くんぞ?」 「おじいしゃん、怒ってない? おばあしゃんも?」 「怒るもんか。嬉しいと思うちょるよ? おい、深海、早うルナちゃん寝かせちゃれ! 客間は神様に使うてもらうから、客間の隣使うて」 部屋は一緒に! と朱雀が慌てて、一つの部屋に固まっていた方が身体が楽なのだとばあちゃんに説明する。 「みぃみ、まだ寝ない。寝たくない。みんなと一緒がいい」 自分のせいでお開きになるのがイヤだと言う駄々っ子のルナに、とりあえず布団を敷いて来るから、お酒じゃなくて甘酒を飲むように言い聞かせてばあちゃんと二人、客間へ入った。 「みーくん、ルナちゃん大丈夫なん?」 「んー……酒飲んだの見た事なかったから、初めて飲んだのかも」 「いんや、そうじゃのうて。郷? に来んか、なんて言うて……神様に怒られんの?」 「あぁ、それは大丈夫。あ、ばあちゃんこの布団使って良い? こっちの世界からも本人が望めば郷の住人になれるんだよ。それに……信じらんないかも知んないけど、基本的にルナの意志は郷の意志なんだ。二人を誘う事自体を郷が咎めているワケじゃない……大丈夫だよ」 「……みーくん」 「ん?」 「布団、二組でええの?」 「うん……その方が都合が良いんだ。遠慮とかしてるワケじゃないから」 じいちゃんとばあちゃんの田舎は、俺が住んでいた街よりもずっと空気が澄んでいて、星も綺麗に見えて、気も清涼だった。寝る前に郷から持って来た水を飲めば問題はなさそうだけれど、それでも俺達は一つ場所にいた方が楽だ。 じいちゃんの隣で、甘酒片手にアタリメをガジガジ噛んでいるルナを見た時にはほっとしたというか、なんか力が抜けた。 「みぃみ! こぇ! 噛んでも噛んでもなくならにゃいっ」 じいちゃんは好物を奪われて目尻を下げているし、白虎は間違えてルナが酒を口にしないように遠ざけてくれている。 「和子、甘酒で、ほろ酔いです」 「ははっマジか!? ルナ? ご機嫌?」 「……うぅん? 噛み切れないけど、おいひいよ?」 ルナを抱えてコタツに入る。目の前には噛む度に揺れるルナの髪と肩。でっかい猫を膝に乗せているようで笑えてくる。 「ルーナちゃん、俺にもちょーだい?」 「あい」 細いルナの肩に顎を乗せてアタリメを噛んでいると、くすぐったいとルナが身体をよじって俺の顎を肩から外そうともがく。 アタリメを咥えてじゃれ合う俺達に向けたじいちゃんの 「最近の若いモンは顎が弱い」 ってセリフに、俺以外は全員歳上って言葉は飲み込んだ。新年早々驚かせ過ぎて、二人の寿命が縮むのは本意ではない。俺もみんなの本当の歳なんて知りたくない。 朱雀と白虎は二十代後半のお兄さん。ルナは俺より歳下の愛しい伴侶。 それで良い。 正月番組をBGMに、深夜二時を過ぎるまで宴会は続いた。 結局ルナはやっぱり俺を座椅子にしてウトウトし始めて、食べ切れなかったアタリメを口からそっと抜いた。 べちょべちょのルナの口元をティッシュで拭いてやって、歯型まみれのアタリメを自分の口に放り込む。 「深海さん自慢、すごかったですよ?」 目元を赤く染めた白虎の軽口に、何を言ったんだ? と寝入ったルナの頬をぐにぐに引っ張って遊んでいると 「みぃみは……はなまりゅ、れす……」 なんて可愛い事を言う。ルナもはなまる、と返して抱きしめると 「ふへへへへ! はなまりゅれすよ」 と返って来たので、もう迷わず寝かせる事にした。 どうか二日酔いになりませんように。 もう少し飲みたいと言う朱雀と白虎にじいちゃんが張り切って付き合うらしい。ばあちゃんは明日の準備があるとかで、俺と同時に寝室へ下がった。 「ルナ? 水飲んで?」 「うー……みぃみ飲ませてぇ……」 よく冷えた水はアルコールで上がった体温にはとても心地が良い。 口移しでゆっくりと注ぎ込むと、きゅっと俺の着物を掴むルナの指先に力がこもった。 「ん、あぃがと……」 酔いと眠気でふにゃふにゃのルナの隣に滑り込んでほんのり色付いた頬にキスをする。 「明日、楽しみだな」 郷に帰る前に、少しでも楽しい思い出が増えれば良い。 明日もルナが笑えますように。

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