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第7話 新宿二丁目の人びと

「この一帯が新宿二丁目だよ」  雄吾(ゆうご)は、雑居ビルの二階にある店のドアを開けた。がっちりした体形の男がカウンターの中から雄吾を見て、相好(そうごう)を崩した。 「あら、雄吾ちゃん。お久しぶり! あんまりご無沙汰(ぶさた)だから、他のお店に乗り換えたのかと思ってたのよお? ……あら、そちら、雄吾ちゃんのカレシ?」  どう見ても中年男性なのに、女言葉に女っぽい仕草。冬馬(とうま)はフリーズした。 「この子は知り合いの息子さん。日本人だけど、生まれ育ちはアフリカで、日本に初めて来たんだよ。だから社会見学で新宿二丁目(ここ)に連れて来たのさ。ママ、優しくしてやってよ。この子まだ二十歳だから」  座るよう促され、冬馬は丁寧にお辞儀をしてからカウンターのスツールに腰掛けた。 「ふぅーん。日本語は話せるの?」  小首を傾げ、値踏(ねぶ)みするかのように冬馬をじろじろ眺めるママに、生真面目に答えた。 「はい。会話は大体問題ないと思います。よろしくお願いします」  ママは優しく目を細めた。 「礼儀正しくて、良い子ね。お名前はなんて言うの?」 「冬馬と言います」 「あたしはケンジって言うんだけど、ママって呼んでちょうだい。あ、飲み屋のママって、意味分かる?」 「はい。昨日知りました」  渋い顔で答えた冬馬を、雄吾がからかった。 「冬馬君は、偉い人のお供で銀座に連れて行かれて、つまんなくて脱走したんだよな」  それを聞いて、ママはケラケラと笑った。 「そうよねぇ。この歳の男の子が、年増のホステスに囲まれて水割り作られてもねー」  奥の厨房(ちゅうぼう)からママより若い、と言っても三十代も半ばを過ぎた男性が出て来た。短髪で、身体にフィットした半袖Tシャツ姿だ。奥のテーブル席に料理を運んだ彼は、眉間(みけん)(しわ)を寄せながらカウンターに近寄って来た。 「ねえ、ママー。この可愛い子、誰? 雄吾ちゃんのカレシ?」 「雄吾ちゃんのお知り合いの息子さん。外国生まれで、初めて日本に来たんだって」  ママが説明すると、男は肩を竦めて舌を出した。 「なあんだ。雄吾ちゃんのカレシかと思って、メンチ切っちゃった。ごめんね? あたし、ずっと雄吾ちゃんを狙ってたからさ。また失恋したかと思っちゃった!」  男は雄吾にしなだれかかった。雄吾は、その背中を叩いて軽く抱き寄せてやる。 「チーママ。俺、今フリーだけど好きな人いるから。チーママとは付き合えないよ」 (カレシ? 付き合う? どういうこと?)  言葉を失い、信じられないものを見るような目をしている冬馬に、雄吾は種明(たねあ)かしをした。 「ここはゲイバーだよ。ママと店員は全員ゲイ。お客さんもゲイやバイが大半。たまに友達に連れられてノーマルな人も来ることもあるけどね」  雄吾の説明を聞いていたママが、瓶ビールとグラスふたつをカウンターに置いた。 「そうね。新宿二丁目に来てくれるお客さんは、普段あまり大っぴらにできない自分の性向をオープンにできるのが嬉しいのよね。出会いを求めてたりするし。共感してくれない人や、物見(ものみ)遊山(ゆさん)な人には、遠慮してほしいかな」  冬馬は、おずおずとママに質問した。 「ゲイの方は、なぜ大っぴらにできないんですか?」 「世間の目が一番大きいわね。日本では同性同士は結婚できないけど、大手企業では、同性パートナーでも法的な夫婦と同じ待遇が受けられることが多いの。性的指向で差別しちゃいけないことにもなってる。……あくまで表向きはね。でも実際は、カミングアウトして周囲に白い目で見られたり、親にすら理解してもらえないことも多いから。  新宿二丁目(ここ)ではゲイだとオープンにしてても、他所(よそ)では黙ってる人も多いわよ」  真剣な冬馬の眼差しに、ママは柔らかい口調で率直に答えた。  ゲイバーに次々出勤してきた店員たちは、常連の雄吾に連れられて来た冬馬に興味を示した。ママが優しく冬馬を紹介し、いつの間にか店員たちの世間話や身の上話に交ざる格好になった。冬馬が同性愛者を特別視していないことに彼らは敏感に気付き、冬馬を受け入れた。 「ねぇ、冬馬君。ケニアとか、他のアフリカの国では、ゲイってどんな存在なの?」  チーママが尋ねた。店員たちも興味津々の表情で冬馬の答えを待ち構えている。冬馬はどのように伝えるべきか一瞬逡巡したが、腹を括った。 「ケニアやアフリカの殆どの国では、同性同士の性行為は犯罪なんです。ケニアでは懲役(ちょうえき)十年以上です」  あまりに重い事実に、全員が固唾をのんだ。みんなの顔を見回し、自分の話をもっと聞きたがっていることを確認し、冬馬は頷いて話を続けた。 「刑罰自体も重いんですけど、それ以上に酷いのは社会の中での差別です。同性愛者だと知られると、氏名を勝手に公表されて職場から追い出されたり、時には殺されることすらあります。同性婚が合法化されている南アフリカであっても状況は同じです」 「……じゃあ、ケニアとかアフリカのゲイは、どうしてるの?」  冬馬の隣に座っている優し気な若い店員が恐る恐る小声で尋ねた。他の店員たちも、目を見開いてうんうんと頷いている。 「フランスとか、同性愛に比較的寛容で合法な国に移住する人もいるみたいですけど……。必死に隠してる人が殆どだと思います。なぜなら、アフリカで自分がゲイだと認めることは、ほぼ『社会的な死』と同義だから。僕の周りにもゲイはいません。……いないことになってる、のほうが正確でしょうか」  冬馬の話に衝撃を受けたその場は、まるでお通夜のように暗い雰囲気になったが、気の強いチーママが沈黙を破った。 「性行為が犯罪ってことは、ケニアでエッチしなきゃ良いんでしょ? てか、エッチしてもバレなきゃ良いんでしょ? だったら、エッチは合法な国でまとめてやっといて、ケニアでは我慢。それか、国内でエッチしてもバレない方法を考えるって感じ?」  全員がプッと小さく噴き出し、互いに顔を見合わせた。  事実をきちんと受け止めてくれ、みんなが自分事として真剣に考えてくれたことが冬馬は嬉しかった。チーママの発言も、決してふざけているのではない。彼なりの優しさで一緒に解決策を考えてくれたのだ。冬馬の喉に熱いものがこみ上げた。隣に座っている若い店員は冬馬の手を取り、ポンポンと優しく自分の掌で叩いた。 「冬馬君は日本国籍だもんね? ケニアが辛かったら日本に来ればいいよ。みんなが歓迎するから」  返事に困っていると、すかさずチーママが呆れ顔で突っ込んでくれた。 「何言ってんの。冬馬君はゲイじゃないってよ? あんた、まさか冬馬君に惚れたんじゃないでしょうね」 「……そう言えば、冬馬君って可愛いよね。僕のタイプかも」  手を握るだけでなく、若い店員はうっとりした表情で冬馬に身体を擦り寄せてきた。 (うわ……、また男の人に迫られちゃったよ) その男性のことは特段嫌いではない。こうして親切にしてもらっているのに強く拒絶するのも失礼だ。  その時、冬馬と若い店員の間に割り込んできた手があった。 「それ以上、冬馬に触らないでくれる?」  背後から冬馬を守るように回されたのは、雄吾の腕だった。 「えーっ、ずるいよ! 雄吾さんは冬馬君のカレシじゃないんでしょ?」  不満げに口を尖らせている若い店員に、雄吾は涼しい顔で言ってのけた。 「今はまだ、ね。これから本気で口説くから。他の男には触らせない」  冬馬の耳に、雄吾の呼吸が掛かる。背中や腕には、彼の逞しい胸や腕の筋肉が密着している。これまでで一番近くで感じた彼の肉体にドキドキした。 (うわーー、バックハグされちゃった……)  頬に一気に熱が集まったのが自分でも分かった。 (雄吾さんは、男性をうまくあしらえず絡まれている僕を助けてくれただけだ。六本木の時と一緒。これは、ただの演技だ)  しかし、演技にしては雄吾の腕は強い。気が付けば、チーママも若い店員たちも意味ありげな表情で二人を見ている。 (誤解だよ! 雄吾さんは僕を助けようとしただけで、別に、口説くとかそういうんじゃないから!)  冬馬の脳内の叫びが言葉になることはなかった。そんな余裕はなかった。冬馬はひたすら頬を真っ赤にして俯いていた。  早番の店員の退勤時間が近づいた時、すっかり上機嫌になった彼らに誘われて、雄吾と冬馬はドラッグクイーンのショーに行った。女性にしか見えないダンサーもいれば、敢えて男性らしい体型を前面に出して派手なメイクや衣装を身に(まと)うダンサーもいる。ゲイと言っても様々な指向があることに、冬馬は強い印象を受けた。  素直な冬馬は、二丁目の男たちに弟のように可愛がられた。彼らは、冬馬がキンプリの岸 優太に似ている、いやむしろSuper Juniorのドンヘだ、などと、黒目がちの瞳を持つアイドルの名前を挙げて楽しそうに笑い転げた。

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