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第11話 雄吾との別れ

 冬馬(とうま)のスマホがメールの着信で震えた。急ぎの連絡だろうか。差出人を確認すると、母だ。念のためメールを開くと、動画が添付されている。 『お父さんも冬馬もいなくて、退屈です。ルーシーと遊んでます』  母が大きなシーツを広げて愛犬ルーシーに見せる。シーツが床に落ちるまでの間に、母は姿を消す。困惑したルーシーは走り回って母を探す。彼女がクローゼットから姿を現すと、担がれたことに気付いてルーシーは憤慨する。そんなルーシーを母は笑顔で抱きしめ、機嫌を取っている。撮影してくれたのはハウスキーパーさんのようだ。聞き慣れた笑い声が入っている。  母と愛犬のお茶目な姿に、冬馬は頬をほころばせた。 「冬馬、なんか良いニュース?」  雄吾(ゆうご)に聞かれ、冬馬は彼にスマホを見せた。 「この動画、僕の母とペットです。父と僕がいないから暇だって。こんな遊びをして、わざわざ僕に送ってきたみたい。ふふふ」  目を細めて動画を眺めている冬馬を、雄吾は無表情に眺めていたが、取り繕うような笑みを顔に貼り付けた。 「優しそうな人だね。冬馬、お母さん似って言われる?」  冬馬は悪戯っぽい笑顔で声をひそめた。 「はい、よく言われます。でも、それを聞くと父が拗ねるんです。『俺の子どもでもあるのに』って。だから、うちに来るお客様には『冬馬はお母さん似』は禁句だって、予めお願いすることもあるんです」  優しい両親の愛情に包まれて、すくすくと育った冬馬の笑顔の屈託なさとは対照的に、雄吾は微妙な表情を浮かべていた。 「ご両親に愛されてるんだね。冬馬って、ひとりっ子なの?」  父やケニアの写真も雄吾に見せようと、冬馬はスマホのカメラロールを眺めながら頷いた。 「ええ。ケニアで僕を産んだ時、母はかなり苦労したらしくて。子どもは僕一人で良いって、父と話し合って決めたそうです」  雄吾の顔色は冴えなかった。ペットと家族のほのぼのした動画に、なぜ彼は神経質な反応を示したのだろうか。冬馬の考えは及ばなかった。浮かない面持ちで暫し無言になった雄吾がぽつりと呟いた。 「仲良さそうな家族だね」 「そうですね……。仲は悪くないと思います」  冬馬は、雄吾の顔色を窺いながら慎重に答えた。   「……ちょっと、トイレ行ってくる」  雄吾は目を逸らしたまま席を立った。 戻って来た後、彼は殆ど言葉を発さなかった。冬馬が話し掛けても、上の空のように生返事を返すだけだ。 (雄吾さん、心ここにあらずって感じだ。何か失礼なことを言っちゃったかな……? そう言えば、雄吾さんのご家族の話は全く聞いてない。家族の話はしないほうが良かったかな……)  二人を乗せた屋形船は終点の晴海(はるみ)に着いた。降りる時、小さな段差につまずいた冬馬を咄嗟(とっさ)に雄吾が抱きかかえた。吐息の温度が感じられるほど二人の顔が近づいた。冬馬は瞬間的に自分の身体が熱くなるのを感じた。  しかし雄吾は無造作に冬馬を突き離した。こんな冷たい態度は初めてだ。驚いて彼の顔を見ると、雄吾は背中を向けて呟いた。 「あのさ。やっぱり、ここで別れよう」  冬馬は息を呑んだ。 「……どうして?」 「俺、気付いてたんだ。君、ケニア・エナジー・カンパニーの社長の息子だろ? 恩を売って、お父さんに紹介してもらおうって下心で親切そうにしたんだけどさ。連休明けにすぐ帰国するんじゃ、そんな時間なさそうだし。ついでに食ってやろうかとも思ったけど、君まだバージンなんだろ? 大事な一人息子の初体験の相手が男だなんてバレたら、君のお父さんに殺されそうだしな」  雄吾は唇の片側を引きあげた皮肉な表情で一瞬冬馬を見たが、すぐに目線を逸らした。違う方向に一人で歩き出そうとしている。 「待って! なんで急にそんなこと言うの? 今まで、あんなに優しくしてくれたのに」  冬馬は困惑しながらも、雄吾の腕にすがりついた。 「優しいって? 俺が? 何の見返りもないのに、見ず知らずの男に親切にするわけないだろ。これだからお坊ちゃんは困るよ」  彼は嘲るような笑みを浮かべ、素っ気なく冬馬の腕を振りほどいた。 「もう帰れよ。お父さんのとこに」  彼の態度は、手のひらを返したようだった。屋形船に乗った時とは、まるで別人のようによそよそしい。冬馬の胸は衝撃で激しく波打った。何とか食い下がろうと、たどたどしく言葉を絞り出した。 「……好きだって言ってくれたのは、嘘だったんですか?」  雄吾は憮然と口を尖らせ再び目を逸らした。 「……ああ、嘘だよ。そう言えば、君がコロッと俺になびくんじゃないかと思っただけだ。まさに『甘言(かんげん)(ろう)した』ってやつだよ。  それに、ガキっぽいのは俺の好みじゃないんだ。悪いけど、冬馬が相手じゃ色気がなさすぎて勃たない」  振りほどかれた指先が冷たい。まるで氷に押し付けられたように痺れて痛くて動かない。言葉を失った冬馬が立ち尽くしていると、軽やかな足取りで近付いてきた男性がいた。 「ゆーうご。ごめん、待った?」  弾む声に甘えるような表情で、その男性は雄吾の腕に絡みついた。ほっそりした体形を、スキニーなデニムが引き立てている。冬馬より少し年上。二十代半ばだろう。成熟した色気を放っている。雄吾は彼の肩に腕を回し、顔を寄せた。 「やっぱり、お前みたいに色っぽいのが良いよな。そそられる」  彼が雄吾と意味ありげな笑みを交わしてイチャイチャし始めるのを、冬馬は居たたまれない面持ちで眺めた。 「要するに、こういうことだから。 二日間も大きい赤ちゃんのお()りで、俺も疲れたんでね。君は、パパとママのとこに帰ってミルクでも飲ませてもらえよ」  馬鹿にするかのように肩を竦め、雄吾は横目で冬馬を一瞥した。冬馬は涙を浮かべ、唇をわななかせ、訴えるような眼差しで雄吾を見つめた。 「ゲイとして生きていくことが、どんな痛みを伴うか。俺もママもチーママも、そしてこいつも。みんな親から縁を切られてるんだ。お坊ちゃんの君と俺とじゃ、しょせん、住む世界が違うんだ。ご両親を悲しませたくないなら、黙って帰れ」  雄吾の目は怒りで強い光を放っていた。彼は、今しがた現れた男性と身体を寄せ合い、冬馬に背を向けて歩き去った。

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