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第12話 セクシュアリティと向き合う

 冬馬(とうま)の目からは大粒の涙が次々こぼれ落ちた。衝撃が大きすぎて、悲しいのか悔しいのかも、よく分からなかった。  子どもっぽい冬馬は、恋愛対象として見れないと言われたこと。 「住む世界が違う」と突き放されたこと。  雄吾(ゆうご)が親切にしてくれたのは、父を紹介してもらおうという下心からだったこと。  同性愛者だと分かると親子の縁を切られるほどの偏見が、まだ日本にも残っていること。  近くのベンチに腰掛け、激しく波打つ胸の鼓動と涙が落ち着くのを待ちながら、自分の心を整理しようと試みた。彼は、この状況で最も適切な相談相手の顔を思い出し、立ち上がった。タクシーを止め、運転手に冬馬は告げた。 「新宿二丁目までお願いします」  車中でも冬馬は自問自答を繰り返した。心は千々に乱れていたが、一番知りたいことは明確だった。 (僕は、どうしたいんだろう?)  ケニアで働く夢を叶えるには、ゲイであることは隠さなければいけないと思ってきた。それだけでなく、自身の性的指向に何となく恥や罪の意識を感じていた。  アフリカほどではないにせよ、同性愛への偏見が依然残る日本。ゲイ達は、それぞれ精神的にも社会的にも折り合いを付けて生きていることを知った。その生き様をつまびらかにしてくれた雄吾やゲイバーの人達には感謝しかない。 『ゲイである自分を恥じたことを後悔した』という雄吾の言葉には強い感銘を受けた。  殆ど恋愛経験がない自分だけれど、彼の眼差しや、自分に触れた唇や指先には真心を感じた。自分の身体も『この人が好きだ』と自然と反応した。  雄吾が故障を抱える膝で全力疾走して冬馬を守ってくれたのは、損得抜きの好意に基づく行動にしか思えなかった。  それなのに、なぜ彼は自分をあんなに手酷く突き放したのだろうか。  昨日のゲイバーの扉を開けると、ママが少し驚きながらも、嬉しそうな笑顔を向けてくれた。 「冬馬君、今日も来てくれたんだ。嬉しいな。……あれ、雄吾ちゃんは一緒じゃないの?」  泣き腫らした赤い目、雄吾の名前を出された瞬間に歪んだ表情から、ママは薄々状況を察したようだ。 「……まぁ、まずは座りなさいな」  ママは冬馬にスツールを勧めた。 「瓶ビールください。良かったら、ママも一緒にどうぞ」  冬馬がママの前の席に掛けると、ママはグラスにビールを注ぎ、一つを持ち上げて悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべた。 「じゃ、いただきます。アフリカの王子様との出会いに乾杯」  二人はグラスを合わせた。ビールを一口飲むと、ママはさり気ない調子で尋ねた。 「雄吾ちゃんと、なんかあったのね?」  冬馬は素直に頷いた。あまりに分かりやすい自分が恥ずかしかったが、説明が不要なのはありがたかった。 「本当は、明日まで一緒に過ごす約束だったんですけど、追い返されちゃいました」  もう雄吾と会えない。そう思っただけで胸がズキズキ痛み、冬馬の目には涙が浮かんだ。 「それで、あなたはどうしたいの?」  ママは静かに問い掛けた。 「僕は、彼と一緒にいたいです」  思い詰めた表情を浮かべた冬馬をチラリと眺め、ママは声を低めて言った。 「立ち入ったこと聞くけど。あなた、これから自分のセクシュアリティとどう付き合っていくつもりなの?」 「僕は、自分がゲイであることを、恥じたくありません。人には言わないかもしれないけれど、僕自身は、自分がゲイだということを受け入れます」  冬馬は真っ直ぐにママの目を見つめ、ハッキリと宣言した。 「そう。気持ちは整理できたのね。良かった。で、あなた、彼と寝たいの?」  言葉を濁さず、ママはズバリと切り込んだ。冬馬は少し頬を染めながら答えた。 「……はい」  ママは意外そうな表情を浮かべた。 「そこまで彼に熱を上げてたとは、気付かなかったわ。あたしの目もまだまだね」  もじもじ落ち着かない冬馬の様子に、ママはしたり顔になった。 「もう何かあったの?」  耳まで赤くなった冬馬は蚊の鳴くような小声で呟いた。 「好きだって言われて、キスしました」  溜め息をつき、ママはグラスに残ったビールを飲み干した。 「悪いこと言わない。彼のことは忘れて、故郷に帰りなさい」 「どうしてですか?」 「それがあなたのためだから」 「僕が子どもっぽ過ぎるからでしょうか……? 雄吾さんには、『色気がないから抱く気も起きない』とか、『赤ちゃんは親のところでミルクでも飲んでろ』って言われました」  涙をこぼし、鼻をすすり始めた冬馬に、ママはティッシュを差し出した。 「冬馬君って、ちゃんとしたおうちの子でしょ。立派なお父さんと優しいお母さんがいて、ご両親の愛を一身に受けて育ったんじゃない? 親の離婚問題とかお金のことで悩んだことなんか、ないでしょ」  冬馬は驚いたようにママを見上げた。 「その通りです」  ママは何度か頷き、噛んで含めるように呟いた。 「彼は、あなたのそういう恵まれた立場や、将来の可能性を潰したくなかったのね」  冬馬はハッと息を呑んだ。 「あの子はね、軽々しく好きって言ったりキスしたりする子じゃないの。あなたの将来のことを考えて身を引いたのよ。だけど、彼がそう言ったら、あなた諦められないでしょ? だから、わざと冷たくしたんだと思う。分かってあげて」  雄吾をよく知っているママの言葉には、説得力があった。故郷で不利益を受けないようにと冬馬を(おもんばか)り、わざと冷たく突き放したと考えると、この二日間の彼の言動が全て繋がる。昨夜は優しく情熱的に自分を抱き寄せたのに、別れ際は自分を見ようともしなかった。怒ったような冷たい言い方をしながらも、どこか彼が寂しそうに見えた理由が、分かった気がした。彼に対する愛おしさで冬馬の胸は詰まった。喉に熱いものがこみ上げるのを感じながら、冬馬は訴えた。 「彼と一緒にいられるのは、あと一日しかない。だけど、彼が好きなんです。今だけでも彼の傍にいたい……。こんな気持ちは、雄吾さんには迷惑でしょうか」  冬馬の目に宿る熱意を感じ取ったのか、ママの表情が和らいだ。 「……これは、あたし個人の考えだけどね」  彼は冬馬のグラスにビールを注ぎながら、優しく語り掛けた。 「恋愛のゴールって、ひとつじゃないと思うの。一生一緒にいる約束じゃなくてもいい。一瞬でも心が通う相手と巡り合えるのは人生のプレゼントよ。長く生きてても、滅多にないもん。冬馬君が彼に特別な何かを感じるなら、素直にぶつかってみたら?」 ママに勇気づけられた冬馬は頬を紅潮させ、頷いた。 「ママ。相談に乗ってくださり、ありがとうございました。ビールご馳走様でした」  冬馬がグラスを飲み干し、代金を置いて席を立とうとすると、ママが意味深な表情で、くいくいと冬馬を呼び寄せた。口元に耳を寄せると、彼は小声で男同士のセックスについてアドバイスしてくれた。純情な冬馬は顔を真っ赤にしたが、ママは男らしい力で冬馬の背中を数回叩いた。 「大丈夫よ! みんなやってることだから。しかも相手は雄吾ちゃんでしょ? 彼に任せとけば、悪いようにはされないから。男だったら逃げるんじゃないわよ!」  冬馬は頬のみならず、耳まで赤くなった。

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