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『嘔吐』第1話

とても酔っぱらっていた。 というより態と酔っぱらったのだから、当然の事だ。 テキーラのショットばかりを連続して飲んでも至って普通です、なんてザルを通り越してブラックホールか何かになれていると思う。 ぶっちゃけるとザルでも何でもなくて、逆に超がつく程酒が弱く、ドがつく程下戸なんだから我を失うどころの話じゃない。 正直目の前がさっきから明滅を繰り返してるし、立ち上がれば目の前が水彩で描いた砂嵐の様に気が狂った世界を映しだした。 そう、酔っぱらっているのだ。とても、とても。俺は。 なのに記憶だけはしっかりと繋ぎ止めている脳みそが全力で憎い。酒を飲む前の情景から、今現在までの色も音も途切れる事なく記憶の糸は繋がっている。 皮肉にもここは、セオさんの行き付けのバーで、セオさんが仕事帰りにこっそり立ち寄る場所で、セオさんのお仲間が沢山集まるゲイバーだ。 数ヶ月前の超ノンケな俺には到底縁遠い場所。 嗚呼、すっかりセオさんに絆されてセオさんの色に染まって、セオさんのペースに飲み込まれて俺ってば変わったと物凄くゆっくり思考を巡らすとバーカウンターに突っ伏した。 喧嘩したのは何でだっけ、既に原因さえ思い出せない、なんて漫画やドラマみたいにあっさりとした感情で忘れちゃったてへぺろって出来たならどんなに楽だっただろう。 当然の様に俺はすべて覚えているし、酒を飲むことで禍々しい感情と別れを告げられるかと思いきやそんな事は一切許されず、逆に増幅させただけだったと気づいたのは、たった今。 店の扉を乱暴に開けて、バーカウンターに滑り込んだ時にはぎゃいぎゃいととても煩かった背後の騒ぎ声が今はとても遠く感じられる。 もしかして本当にやばいかもしれない。帰れなくなったらどうしよう、あ、でも、帰る場所とかもうないんだった。 自分でも気味が悪いと分かる程のへらへらとした笑みが零れた時、小気味いい音を立てながらシェイカーを振っていたマスターが盛大に溜息を吐いた。 事の発端であって喧嘩の原因で、別れの原因を思い返す。 休みだったセオさんが仕事が終わった俺の事を迎えに来てくれて、お互い無言で飯食って、風呂入って。そんでセオさんが「今日は早めに寝るから」って寝室に消えたのを見送って、俺もくたくたの体をリビングのソファに埋めた。 その三十分後にセオさんがリビングに戻ってきて、「そこで寝るの」と尋ねてきたから「はい」と答えた。でかい溜息の後、どうしてかと理由を聞かれたから、ここで寝るのが定着しましたと苦笑を返して、そこから大喧嘩。 「意味がわからない」 「わからなくねーですよ、別に。考えたらわかる事じゃねーですか」 「それは君が僕の事を嫌いだと捉えてもいいって事」 「そう思うなら、そうなんじゃねーですかね」 「やっぱり意味がわからない」 「わかんねーならわかんねーでいいんで」 「別れますか」 「何なんすか、いきなり」 「いきなりじゃないよ。一緒に住み始めてすぐからここで君は寝てる。それが答えなんじゃない」 「は、」 「今まで散々聞いてきたけど。いつもはぐらかしてばっかでしょ、」 「っるせーな。わかりました、出ていきます」 それまで普通だったのに、一つ言葉を返す度に互いにヒートアップして最後に罵倒して飛び出してきた。 一緒に寝りゃ翌朝どっちかが寝不足ってそりゃ一緒に寝れなくもなんだろ、碌に喋りもしねーしコミュニケーションとかねーし、大体男と一緒に暮らすのなんて無理だった、女よりもマシかと思ったけどそんな事なかった、大雑把に纏めるとそんな感じ。 セオさんが熟睡した日の翌朝は俺が寝不足で、俺が熟睡した日の翌朝はセオさんの目の下に隈が出来ていたりした。狭いシングルベッドで男二人なんて無茶苦茶だったのかもしれない。 数ヶ月一緒に居たからと言って、事に至った訳でもない。 大切にされてんのかって最初は期待してたけど一向に手を出してこないセオさんに苛立ったのもあって別々に寝始めたら、コミュニケーションも減ってって。 何度も何度も「何でソファで寝るのか」と問われる度に苛立っていたのがついに爆発した。 飛び出したって追い掛けてくる訳でもないセオさんに失望して、やっぱり途中からお情けの付き合いだったのかもしれないと考え出したら急に苦しくなった。 お互い、気を遣いあって神経すり減らし合ってた事に今更気づいてももう遅い。 軌道修正しなかった自分が悪いのかと妙に冷静になったけど、それも一時的なもんに過ぎなくて、無性に寂しくなって。 何でだよ、って涙が出る前に駆け込んだ先がセオさんの居場所だったとかもう救えねー奴だなって自嘲して自棄んなって酒煽って、潰れて。余計辛くなって、悲しくなった。すっげー寂しい。

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