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その3 ストレス緩和の午後

 夜警明けに仕事の処理が長引いて、帰宅できたのは昼過ぎだった。 「ただいま」  部屋に入ると、食卓テーブルの上に冷めかけのハムエッグが二皿並べられているのが見えた。切り分けたパンも二人分並べられている。俺がいない間にシオが昼食の準備をしておいてくれたようだ。  今日は休日で、シオも仕事が休みのはずだ。休みの日には一緒にお昼ご飯を作ろう、と先日約束したばかりである。  遅くなってしまったことを詫びなければならない。  だが、肝心のシオの姿が見あたらない。いつもならば帰宅するとすぐに、「おかえり」と言って顔を見せてくれるのだが。  部屋の中のどこかにいることは確かなようだ。気配で分かる。寝ているのだろうか? ソファの辺りが怪しいようだが。というか、どうして俺のTシャツがソファに山のように積んであるのだ。  その時、もぞり、とソファの上のTシャツの山が動いた。 「......おかえり」  そうして中から、寝癖頭のシオが眠たげに姿をあらわしたのだった。    夜警が2晩続いてしまったことを申し訳なく思う。  本来ならば昨夜は家で眠れるはずだったのだ。だが、西の村の方に魔物が出ているとの情報を受け、駆除に出動していたらそのまま夜を迎えてしまった。  作業がスムーズに終わればよかったのだが、目的の魔物はしぶとく動き回る個体だった。  しかも追い詰めていざ仕留めるという段階になり、突然仲間の発弾器が暴発をした。咄嗟に防御魔術を駆使し仲間を爆炎から守ったが、すべてを庇いきれたわけはなく、受傷者が数人出てしまった。結果的に駆除に時間が掛かってしまった。  俺が夜警に出た夜は、どうやらシオはあまりよく眠れていないようだ。  ということに気付いたのは最近のことだ。目の下にクマを作っていたり、眠そうにしていたりする。  今日のシオも、「寝不足です!」と全身で言っているような姿だったが、俺を見るとたちまちいつもの笑顔になった。 「ラグ、帰って来たんだ。遅かったね」  そうして慌てたように、ソファの上の俺のTシャツをたたみ始める。 「これはっ、ちょっと借りちゃったけど、ちゃんと仕舞うからっ」  シオの謎行動の一つに、「俺のTシャツをやたら欲しがる」というものがある。  綺麗な洗濯後のシャツよりも、脱いだあとのシャツを欲しがる。しかし本当に欲しいわけではないようで、翌日には返却してくる。  匂いの愛着行動のようなものだろうかと分析している。  波長の似通う番い同士。しかも分類上ではαとΩという関係性上、無意識のうちに行動に影響があらわれるのは当然の理だ。  特段これを不愉快だとは思わない。というか、むしろ全力で歓迎する。  今日はクローゼットの中にあった他のTシャツも引っ張り出して、毛布がわりにしていたようだ。何をしていても猛烈に可愛いから全部許せる。  本人には常々「他の服も好きなだけ使ってくれ」と伝えてある。しかしパンツやくつ下が引っ張り出される形跡はない。その辺は好みがあるのかもしれない。  シャワーを済ませたあと、二人で遅めの昼食を摂った。  最近少しずつ料理を覚え始めているシオの手作りだ。  たまごが割れるのを嫌がって、ベーコンがフライパンにくっ付いて、などと恥ずかしげに説明をしてくれるが、好感度はマックスを振り切っている。焦げかけて不格好なハムエッグも、切り口がぎざぎざになっているパンも、シオの頑張りがよく分かる。 「全部旨い」  感想を言うと、シオの頬がほんのり薔薇色を帯びた。 「絶品だ。最高に美味しい。頬が蕩けそうだな」  もっと薔薇色に染めたくて、思いの丈を口にしたのだが、 「褒め過ぎだよ!」  逆に怒らせてしまったようだ。  食事作りのお礼に、食事のお茶は俺が淹れることにした。  茶葉に沸したての湯を注ぎ、ゆっくりと蒸らしてカップに注ぐ。  夜警明けに飲むお茶には、いつも蒸留酒を垂らすことにしている。そうすると緊張していた神経がほぐれ、良く眠れるのだ。  普段、酒を垂らすのは自分のカップだけにしているのだが、今の寝不足の様子を見ると、シオにも少々アルコールを摂るのが良いかもしれない。シオもアルコールは飲める口だ。軽く一匙だけ、香り付けの気持ちで加えることにする。    お茶の良い香りが部屋の中にたゆたうようだ。  ゆらゆらと立ち昇る湯気をふぅふぅしながら、シオはお茶をゆっくり啜る。  窓の外は穏やかに晴れ、綿菓子のような雲が二つ三つ浮かんでいる。  このあとは特に何も用事がなく、のんびり休める。  ベッドでしっかり寝ても良いし、ソファでシオとおしゃべりしながらウトウト過ごすのも良いかもしれない。  さすがに二日連続の夜警は疲れた。  魔力を少々使いすぎたことも疲労の一因だ。  絶対的な安全や安心などありえない世界にいる。誤認や誤作動は常に想定しておくべきだ。  昨夜は被害を最小限に抑えて仕事を終えられたのだ、幸運だった。このような幸運に、いつだって恵まれるとは限らない。     「......ストレスって良くないんだって」  不意にシオが湯気の向こうから俺を見る。 「ストレス、」 「そう。俺ね、本で読んだ」  シオは読書が好きである。  たまに職場で書物を借りてきて読んでいる。 「ストレスは病気を引き起こすことがあるし、精神にも良くないって。ごはんが美味しく食べられなくなったりもするって」 「なるほど、それは良くないな」  ストレスに関する専門書か何かを読んだのだろう。内容を熱心に教えてくれる。 「だから適度に発散しないと駄目だって、書いてあって......」  俺の目を見て語ってくれていた視線は、しかし、やがてぼんやりとなり、わずかに俯けられた。  どうしたのだろう。  もしかして酔いが回ったのだろうか。少ない量のつもりだったが、シオには強すぎたのだろうか。 「ストレスにはハグがいいんだって」  ぼんやりとしたままシオが言う。どこを見ているのか不明瞭だ。視線はトロンと虚ろでもあり、一点を注視している様子でもある。  ストレスにハグが良い、という情報ならば、たまに耳にすることがある。人肌が良いとか、触れ合いが良いとか、いつだったかどこかの学者も言っていた。 「そうらしいな」  返事をしつつ、あとでシオと思い切りハグをする口実ができたな、などと不埒なことを考える。本当は口実などなくとも、添い寝の時にはいつも抱き寄せているのだが。 「特にね、おっぱいがいいんだって」  ブホッ  思わずお茶を吹いてしまった。 「おっぱいの弾力とか、温かみとか、心音がストレスの緩和にいいんだって。本に書いてあった」  どうやらシオは真面目なようだ。  お茶にムセながらも、なんとか相槌をうって聞く。 「俺ね、ストレスが溜まってるんだけど」  と、人間の青年であるシオが言う。  それは、ストレスも溜まるのだろう。  遠く故郷を離れ来て、獣人ばかりのこの地区での生活にも、ようやく慣れてきた頃か。  しかし、青年の表情は、ストレスに苦悩している、というのとは少し違っているような。  どことなく目が据わっており、真剣に思い詰めるような、だけど甘く香るような。  ......これは相当に酔っているのか? 「ラグは?」  清らかな細い指が、自らの胸元を這うような妖しげな動を見せた。  そうして、ぷちん、と、一番上のボタンをはずした。  喉辺りの白い肌がほんのわずかに露わになった。 「......」 「ラグも、ストレスが溜まっているよね」  指はさらに下へ移動し、二つ目のボタンをぷちんとはずす。  淋しさは、心を蝕むことがある。  二晩一緒に眠れなかった。その淋しさはきっとストレスだったのだ。  気が付けば、シオの身体を攫うようにして抱き上げていた。そのまま大股で歩いて寝室へ行く。 「すまなかった」  ベッドにもろともに沈み込みつつ、全身で固く抱き締めた。 「二晩も部屋を空けてしまって、帰りが遅くなってしまって、すなまかった」  貪るように深く唇を重ねあわせ舌を絡める。  白い肌を見せられて、平常心でいられるほど理性が強靭なわけではない。  呼吸も熱もわずかな身じろぎも、目に映るすべてを味わい尽くして奪いたいほどに愛おしい。  唇だけに留まらず、頬や目元や耳たぶにも、こめかみにも、闇雲に口付けて身体中を撫でさする。相手の身体を潰さないように、細心の注意を払うことも忘れない。  しっとりと露わになった、胸元の肌にも手のひらを這わす。 「ラグ、ラグレイド、ねぇ、俺のおっぱい、さわっていいから......っ」  シオがうわ言のように俺を呼ぶ。  そうしながら、拙い指先を伸ばし、何故だか必死に俺のシャツの裾を捲り上げようとする。  またTシャツが欲しいのか。俺の匂いの沁みたシャツが欲しいだなんて、なんて可愛いことを言うんだ。可愛すぎて眩暈がしそうだ。  と思ったが、ちょっと違った。 「俺にもラグのおっぱいさわらせて......っ!」  乱れた呼吸で喘ぐように。  おっぱいっ!  俺もおっぱいをさわりたいーっ!  「おっぱい」を連呼しながら、黒豹獣人の毛深くて分厚い胸板を一生懸命にまさぐろうとするシオがいた。 「わ、わかった。分かったから」  口付けを中断し、急いでTシャツを脱いで半裸になった。  人間の青年はすぐさまラグレイドに抱きつくと、その胸部に顔を埋めて赤銅色の乳首にちゅうと吸い付いた。  ......おっぱい......。  胸部を吸って舐めてたくさん触って頬ずりをして、シオは幸せそうにふにゃりと笑った。  ............可愛いじゃないか。  こんなに可愛い生き物が、この世に存在して良いものなのか。(いや良い。)  シオの幸せのためならば、おっぱいのひとつやふたつ差し出すこともやぶさかではない、かもしれない。  もちろんその後は、身悶えるシオの身体を存分にまさぐり、様々な場所に吸い付いて舐めて色々と堪能した。 (生きていて良かった。)  そんな風に思う午後だった。           

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