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第1話 可愛げのない子
先輩はいつも俺のことを可愛いって言ってくれてたっけ。他愛もなく。他意もなく。
「一晩、五万ですよね」
初恋を買いに来たんだ。
「……先輩」
貴方を買いに、ここへ来た。
可愛げのない子って、いる。
損するタイプっていうか、甘えたりとかがとても下手な子って。うまく立ち回るのができない子。何かを誰かに頼んだりお願いしたりするのが下手くそで、どうしたらいいのか分からなくなるから、全部自分でやってしまう子。
俺がそれ。まさに、そういう子。
とっつきにくくて、後輩には怖がられたり、少し苦手と思われたり、先輩には「しっかりしてるよな」の一言くらいしか印象がなくて、それ以上でもそれ以下でもない奴、だった。
でも、それで良いって思ってた。
高校一年の春、先輩に会うまでは。
「うわぁ、かっわいい、一年生かぁ」
びっくりした。
「背、ちっこ!」
背、でかい。
「一年生?」
三年生、かな。あ、違う。サンダルのベルトのとこ、緑だ。二年生、なんだ。
「ね、バスケ部入らない?」
顔、いきなり近づけられた。びっくりする。でも、とてもかっこいい人だな。
「背、伸びるよ? そのままも可愛いけどね」
まただ。また、可愛いって。
「あ、あの……」
「うわ、白岡(しらおか)、なぁにしてんの? 一年生ビビってんじゃん。可哀想だろー」
「はぁ? ちげーから。か、ん、ゆ、う。バスケ部に勧誘してんの」
「ホントにぃ? っていうか、やっぱ、ビビらせてんじゃん。やだってよ? ごめんねぇ? こいつ」
「あ、バカ、俺はまだ、勧誘が」
「ほらほら、怖がらせんなよ。先輩なんだから。一年生には優しくよ? 彼女にフラれたばっかだからってかまちょすんなよー。ウザイですよー、センパーイ」
「俺は、別にっ、あ、バスケ部、今日の放課後練習あるから見にきなよ。明後日も練習してるよー。それじゃあねー」
「…………」
びっくりした。
「……」
だって、可愛いって言われたから。そんなこと言われたの初めてだったから。
それが初恋だった。
先輩が俺の初恋になった。
「あ! マジできてくれたんだっ!」
「! す、すみませんっ」
「なんで謝るの? ありがとねー。そこ座って見てて。あ」
あ、と何かに気がついてコートに戻ろうとした先輩がピタリと止まって振り返った。俺は、やっぱり見に来ちゃいけなかったのかと、それともここで見ちゃいけないのかと、その場でカチカチに固まった。
「っぷ、リアクション、可愛い」
「……」
「わり、えっと、そうそう、時間、帰る時間、好きに帰っていいからね。一声とかかけなくて平気。帰らないといけない時間になったら、そのまま、サーっと帰っちゃっていいからさ」
先輩は、白岡先輩はそう言うと手をヒラヒラと振り、再びコートへと駆け戻った。
俺はまたびっくりしたんだ。
言われたままに体育館に来てみたはいいけれど、でも、どうしたらいいのか分からなくて。これが上手な子、つまり甘えたりが上手な得する子は「あのーすみません、見学に来たんですけど」ってちょうどその子の前を通り過ぎる先輩に声をかけたりできるんだ。
でも、俺はその声をかける相手を見つけるのすら難しくて、体育館の出入り口でじっと見てしまう。どうしたらいいのか分からなくて。その分からないと戸惑っている時の顔が無愛想だから、親しくしてもらえることはほとんどない。
けれど、白岡先輩が見つけてくれた。
見つけてくれて、それで、可愛いって言ってくれた。
「わっ」
ホイッスルとともに始まった、なんだろう、ステップの練習? かな? その瞬間、掛け声が体育館にこだまして、無骨なバスケットシューズがそのステップの度に小気味良い、キュキュキュって音をさせた。
「……」
白岡先輩の黒に赤いラインの入ったバスケットシューズはとてもかっこよくて、俺は他の見学に来ている一年生に話しかけもせずにただ見惚れていた。
「平気? もう七時になるけど。最後までいたね」
「あ、すみませんっ」
「んーん」
こう言う時、早めに帰るべきだったのかな。練習の最後まで見学しちゃった。そういえば、他の一年生はもう帰ったんだ、っけ。あんまり注視してなかったから分からないけれど。
ずっと体育館の指定された場所でじっと練習風景を眺めてた。
いや、練習風景と言うか白岡先輩を、かな。
その白岡先輩はクールダウンし終えると、俺のところにやってきて、どかっと床に座り、靴紐を解いてた。
「いや、なんか帰るの悪いなって思ってここにいたら悪かったなぁって思って」
「い、いえっ!」
すごいな。バスケットシューズって、あんなに硬く紐結ぶんだ。それを少し苦労しながら解く白岡先輩の髪が汗で濡れていた。最後、試合みたいなのをやってた時も大活躍で、コートの中を行ったり来たり、すごい走り回ってたから。
「た、楽しかったです」
「そ? ならよかった。うち、どこ?」
「あ。えっと、近いんです。すぐそこの仲町なので」
「ちっか! 俺、ここまで電車」
「そうなんですか?」
なんかすごいな。
「片道四十五分よ」
「わ……」
先輩と話してる。
「なら、帰り平気?」
「あ、はい」
「気をつけてね。送ろうか?」
「い、いえっ」
片道四十五分の電車通学の先輩に、徒歩十分かからないのに送ってもらうなんて到底お願いできるわけがない。慌てて首を横に振って自分で帰れると頭を下げた。
「そ? じゃあ、気をつけて。あ」
また先輩が何かに気がついたように「あ」と声を上げて。今度は俺がピタリとその場で足を止めた。
「明日も練習あるよ。見学でもいいし、体育着あればそれ着て来てもいいよ」
明日も練習、あるんだ。体育着でもいいんだ。
「今日は来てくれてありがとね」
「あ、いえ」
はい、と、いえ、しか言えてない俺にも先輩は笑ってくれた。笑って、手を振ってくれた。俺は頭を下げて、体育館を後にしながら、少しだけ落ち込んでたんだ。
緊張のあまり笑えてなくて、またいつもの仏頂面をしてしまったって。ろくすっぽ答えられず、会話を弾ませることもできずで。
もう少し笑って、それで話しを弾ませられたらよかったのにって、反省しながら、帰り道に転がる小石を蹴飛ばした。
「代金は先払いがいいですか?」
目印にとあらかじめ伝えておいた、白のコートとブラウンの鞄をちゃんと右手に持って、支払いはいつがいいのかと尋ねた。
先輩はどんな気持ちで、バスケ部の同窓会に出ていたんだろう。この後入っている「仕事」に気分が滅入ってしまっていたのだろうか。
俺は――。
俺も、バスケ部の同窓会なんて気もそぞろだった。この後、買い物があるからと、そのことばかりが気になっていた。
「一晩、五万ですよね」
「……」
「先輩を買うの」
買い物のことばかりが気になっていた。
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