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精一杯のおねだり

 翌日は、時間をもう少しずらして祐次が部屋に帰ってくるくらいの時刻に見舞った。もう既にベッドに移った祐次の傍で鮎原が見守っており、誠也が入るとにこやかに挨拶をした。 「市村さん、いいですねえ。毎日来てくれるお友達なんて、初めて見ましたよ、私」  今日は水分が控え目になっている粥を口に運びながら、祐次は赤面して頷いている。 「応援して見守ってくれる人がいると、回復が早いんですよ。それに市村さん自身も凄く頑張っておられるし」  これは誠也に向けて言っているようで、誠也はしっかりと目を見て頷き返した。  それじゃまたあとでマッサージに来ますね、と言い置いて、鮎原は退出して行く。それを見送ってから、誠也は昨日と同じ位置に椅子をやって腰掛けた。 「今日は祐香ちゃんは来てないの?」  問うと、ん、と頷いてからこくんと粥を飲み込んだ。 「朝一番に母さんと来たけど、おれが落ち着いているようだから付いてなくてもいいよねって観光に行ったみたい。午後にまた覗きに来るって言ってたけど」  それだけ喋ってから、ふうと吐息して休憩する。声の調子は随分しっかりしてきているけれど、続けて喋るのは疲れるのだろう。  そう、と頷いてから、誠也は考えた。  観光したくなるくらい心に余裕が出来ているなら、母親も落ち着いているのだろうか。それとも娘に誘われて渋々付いていったのだろうか。  どちらにしても、誠也にとっては誰も居ない方が緊張しなくて済むのだけれど。 「祐香は仕事があるし、もう夜には帰るって。母さんはもうしばらく居るみたいだけど」  言ってからまた食事を再開するのを見守りながら、言ってみてもいいのかなと、以前から考えていたことを口にしてみる。 「あのさ、着替えとか洗濯して持ってくるだけなら、俺にも出来るけど……駄目なのかな。俺じゃあ任せてもらえないんだろうか」  誠也も祐次同様アパートに一人暮らしの身だ。市内に実家があるのだが、不規則な勤務だし夜中の出入りで両親も安眠妨害だと苦情を申し立てる始末で、別に仲違いしているわけでもないのだけれど、自立しろとあっさり放り出されたのである。  実家は勤務地から遠いのもあり、誠也も嬉々としてそれを受け入れ、自転車で通勤可能な場所に部屋を借りているのだった。  最近の病院は完全看護で、余程幼い子供が親を恋しがるなどの理由でなければ泊まり込みは出来ないし、スタッフが介助も全てやってくれる。  勿論やりたいと言い出せば、このように食事など席を外してくれもするので、病院側からしたら洗濯や生活用品を揃えるのが誰でも口出しはされないだろう。  実際、お金さえ払えばクリーニングも買い物もスタッフに任せることが可能なので、そうしている人も多いらしい。  だが、祐次の親族の感情は判らない。  遠方から足を運んででも家族のことは家族内でという拘りがあるかもしれない。でも成人男性なのだから、別に毎日親が来なくてもいいのではないかとも思うのだ。ただ、行き来が大変だし金銭的にも時間的にも楽だから、ずっと母親がこちらに居るのかもしれない。こればかりは誠也には推し図れないことだった。  叶うならば、息子である祐次からそれとなく言ってくれるのが穏便に済むだろうと考えているのだけれど。  言われた祐次の方は、少しだけ首を傾げてバナナの皮を剥いている。段々と食べるものが固形に近付いているようだ。  まだ震える指先でそれでもそろりそろりと丁寧に剥いてそれにぱくりとかぶりつくのを見ていたら、なんだかあらぬ妄想が浮かんできて、誠也はついっと視線を逸らせた。  んむんむと咀嚼して飲み込む喉の動きすら艶めかしい。  ああ、もう俺終わってるかも、なんて思いながら、どうしようもない我慢しろとひたすら心の中で己を戒める。辛い。 「どうしたの、誠也」  いつの間にか全部食べ終えて野菜ジュースも飲み終えた祐次が、明後日の方向を向いている誠也を不安そうに見つめていた。 「や、あ、ああ……ほら、洗濯のことについて考えてた」  慌てて取り繕うのに騙されてくれたようで、ほっと息をついて「そう」と首肯する。 「今日、また来た時に言ってみるな。おれも、来てもらう理由が出来るなら嬉しいし」 「理由なんて要らないだろ。俺が好きで来てるんだから。会いたいから来てるんだよ。だったらついでに荷物を持ち帰ってまた持ってくるくらい出来る。寧ろさせて欲しい、是非。そう伝えておいてくれないか」  真剣に語る誠也を見詰めて、どぎまぎしながら祐次は微笑んだ。  ベッドより椅子の方が低い位置にあるから、目線が変わらないのも嬉しいのだろう。それからちょっと俯いて、一旦視線を外してからまたちらりと誠也を見た。  なんだか恥ずかしそうというか、もじもじしている。 「祐次? もしかしてトイレとか」  ハッと気付いて立ち上がろうとすれば、違うと即座に否定されてまた腰を落とす。 「じゃ、なくて」  ちらりと視線で食器が空になったトレイを示し、それからまた誠也を見つめる。 「ぜ、全部食べたんだけど」 「ん、お疲れさん」  偉い偉い、と続けようとして、ようやく誠也は気付いた。  これはもしかしてもしかしなくても。  強請られてる?  道理で恥ずかしそうにしているわけだ。自分からは言い出せなくて、でも誠也からじゃないと出来ないから、どうにかしてそれとなく伝えようとしているんだろう。  そう思った途端に、蕩けるような笑顔を向けて、それに見惚れた祐次の頬に手を添えた。 「ごめん、ご褒美な」  うっとりと目を伏せる祐次の唇を吸い、それから深く口付けた。  角度を変えて深く貪っていると、もう既に種火が燃えているところにボッと鈍い炎が灯る。甘い疼きも甘受して、どうにもならない切なさを精一杯の気持ちを込め、培った技巧を駆使して、こんなに想っているよと伝える。  言葉では語り尽くせない。それでも言わなければ伝わらないことも多い。  だけど。  こうして肌を触れ合わせて音じゃなく熱で伝えられることも多いと思うのだ。  今はこれ以上無理だから、せめて。  もう他の誰とでも満足できないくらい気持ち良くさせてやる──。

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