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墓前の誓い〈完〉
翌日、家族は皆仕事で出掛けるという事で、日も昇らぬ内に一番に家を出る父親に家事を済ませてからの母親、そして兄妹と続き、一人ぽつんと残った祐次を迎えに行ってから、誠也は市村家の墓に向かった。
朝食だけはホテルのサービスに含まれていたから、簡単に洋食で済ませてある。祐次は時間を掛けて和食を食べ、食器も自分で洗ったんだと誇らしげにしていた。
だが、病院と違いあちこちに手摺りなどがないため、何をするにも手探りで時間が掛かるという。
墓は、市内の山の上にある広大な霊園の一角にあった。春先には山全体が桜色に染まると教えられ、それはさぞ見事だろうなと、見晴らしの良い駐車場から霊園全体を見下ろした。
盆に参っている人が多いのだろう。人気はまばらで、木陰に居ないと日差しがきついが吹く風は心地良い。
段差になっている縁の手摺りまで行って遠くを見渡している誠也の麻のジャケットが、風を含んではためき、一歩後ろから祐次はそれを眩しそうに見詰めていた。
「ここからだと遠い?」
振り向いた誠也に問われて、祐次は夢から覚めたように瞬きした。
「階段を少し下りるだけだから」
首を振ると、誠也は近くにある共用の手押しポンプ式の井戸水を桶に汲み、柄杓と一緒に片手に提げてから反対の腕を祐次に差し出した。
「ありがとう」
肘の辺りにそっと手を絡ませて、もう片手でしっかりと杖を固定してゆっくりと歩き出す。
いつまでこうして自然に寄り添っていられるのかなと思った。
健常ならば、こんな風に堂々と腕を組むことなど出来ない。今だけ、期間限定で、誰の目も気にしないで隣にいることが出来る。
情けないと共に、嬉しくもあるのだ。
けれど祐次だっていつまでもこの状況に甘んじているわけにはいかないから、リハビリに手を抜いてはいなかった。
人の目を気にして大っぴらには出来なくとも、治ればもっともっと色々なところに誠也と行って、様々なことを一緒に楽しむことが出来る。その方がどんなに素晴らしいだろうかと、ちゃんと解っているから。
それでも、これはこれで幸せな時間だなと思う気持ちは偽れないのだけれど。
参った墓には父方の親族が軒を連ねて入っているらしく、その中で祐次が認識できるのは、成人後に亡くなった祖母だけだ。祖父は物心付く前に病死しており、母方は少し離れた場所に祖母が存命だ。そちらは色々あってきちんとした墓はないのだと聞いていて、祐次は一度も墓参りしたことがなかった。
働き出してからは、まともにこちらにも来られなかった。無沙汰してごめんねと言いながら、綺麗に整えられた区画の中、墓石の上から柄杓で水を掛ける。
普段から綺麗にされているのか、昨日今日で参った人が居るのか石も綺麗で花も枯れていない。隙間に追加するように持参した花を差し込み、昨日の土産の中から持ち出した餡菓子を半紙の上に置いた。
しゃがんでバランスの取り難い祐次を、誠也は支えながら見守っている。
蝋燭から火を移した線香の束を、祐次に続いて誠也も供えた。
「ばあちゃん、この菓子な、誠也が買ってくれたやつ。美味しいよ。食べたことあるかもね」
合掌しながら話し掛ける祐次の後ろで、誠也は瞑目した。
「おれ、これからは誠也と二人で生きていくから……そりゃ今までだってあんまりこっちにはいなかったけどさ、今度は本当にたまにしかこっちには来られないから。でも頑張るから、見守ってて下さい」
そこまで言って、「あ」と少し慌てて付け足した。
「あ、しまった。そうだ、誠也はね、おれの一番大事な人。ごめんね、びっくりさせて。それともずっと空の上から見てて知ってたかな。仏壇から、応接間の声聞こえるもんな。うん、多分知ってたよね。それできっと、そっちに行きかけたおれのこと、追い返してくれたんだよね、ありがとう。
まだまだそっちには行きたくないんだ。だから、またここに話に来るから、そうしたら聞いてやってな」
ぽつぽつと話し続ける祐次が口を噤んだ時、静かに誠也も口を開いた。
「祐次が生きていてくれて良かった。同じ墓には入れないけど、いつかそちらに行った時には、笑って受け入れてもらえるように、精一杯生きていきます。曾孫がお見せ出来なくて申し訳ありません。祐一さんと祐香さんに期待していてください」
写真だけは、祐次の実家の仏壇に焼香したから見ていたけれど、誠也にとっては見ず知らずの人だ。人柄すらさっぱり判らないままに、それでも祐次が可愛がってもらったというから、一緒に挨拶をした。それもけじめだ。
実際、誠也の方の両親はそう先祖供養に力を入れている人たちではなく、自分たちも墓には入らないから無宗教の葬儀だけして後は骨も残さず焼いてくれと言われている。祖父母の墓はあるけれど、そんな両親だから子供たちが幼い頃に型どおりに参っていただけで、今は家族揃ってはお参りしないから、誠也ももう何年も参ってはいなかった。
個人的には、何処にいようと生きている人がその人の事を思い出せばそれでいいと思っているのだ。
だが世間一般並みに供養をする人たちを軽んじているわけでもないから、祐次の方にはきちんと付き合うつもりだった。今後もずっと。
軽くなった桶を持って車に戻ると、シートに腰を下ろして足はまだ車外に出したままの祐次が、支えている誠也の首に腕を回して引き寄せた。
「ありがとう、誠也」
何が、と微笑む唇に祐次からそっと重ねて「何もかもが」と囁いてまた唇を寄せた。
「昨日、あんな風に言ってくれるなんて思ってもいなくて、夢見てるみたいにふわふわしてて。
今だって何だかもう死んでるんじゃないかって言うくらいに現実感ないんだ。
おれ、こんなに幸せでいいのかな」
誠也は桶をアスファルトの上に置いてから、中腰のまま祐次を抱き締めた。
「俺たちは、今ここに居る。夢じゃないし、これからもっともっと幸せになろう?
まだ全然足りないよ、俺は。ここが頂点じゃない。何処まででも、もっともっと幸せ感じさせてやるから。俺にもくれよ、祐次だけが、俺にくれることが出来る」
「わ、解んないけど……解った。ていうか、了解。おれに出来ること、教えてよ。誠也のためだったらなんだって出来るから」
意味解って言ってるのかな。
誠也の苦笑が、祐次の耳をくすぐった。
そんなに変なことを言っただろうかと目をパチクリさせていると、今度は誠也から唇を重ねた。貪るような激しい口付けに、二人は酔いしれた。
ここが霊園の駐車場だとか。
太陽は中天で、開け放したドアからは初秋の生温い風が吹き込む戸外だとか。
もうどうでもいいから。
まだまだ足りないけれど、これよりもっと凄いことまでしたい胸の内は曝け出さないままに、二人は互いの熱を共有したのだった。
〈第二部 Endless Happiness Fin.〉
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