2 / 45

蓮華の人よ ①

「どうしてあの男と寝たの?」 ボロい集合住宅の一室で俺をベッドに押し倒し、下半身に乗り上げてスイは言った。憂いを帯びた澄んだ瞳が俺を見下ろす。手首は両方ともシーツに磔にされてびくともしない。 「お前がアイツの気を引けって言ったんだ。で、そっちは上手くいったのか」 スイは、詐欺師だった。 物心ついた時から生きるために必要なモノー食べ物だったり薬だったりその日の宿だったりーを得る為に嘘が上手くなっていったらしい。ヤツにとって人を騙すのは農家が種を撒いたり狩人が矢を射るのと同じ事だ。 |水《スイ》という呼び名はよく言ったものだ。水が注がれた器の形になるように、スーツを着ればフレッシュな会社員に、つなぎを着ればベテランの作業員のような風貌に、ブレザーの制服を着れば純朴な高校生へと自在に姿を変える。 そうやって金を稼いで、俺の働く横浜の風俗店に来て、俺の売り上げや指名率を伸ばしていった。摘発の手を逃れ、スイと俺が日本から中国に渡ってきたのが去年のこと。客船に乗り、偽のパスポートで堂々と入国した。スイが日本にいた時にちまちま貯めた金でしばらく遊び歩いて、様子見しながらまた仕事を始めたところだった。 「時間稼ぎするだけでよかったのに」 スイは眉根を寄せる。夫を亡くしたばかりの未亡人を騙くらかしてウン百万も毟り取った男の顔とは思えない。まあその女もカレシに貢いでて、そのカレシの気を引くのが俺の役目だったわけなんだが。 「ちゃんと時間稼ぎになっただろ」 「浮気はダメだよ」 「お前どの口が言ってんだ」 ヤツは呼吸するように嘘を吐くし、それで他人が傷つこうが闇の底に堕ちようが気に留めない。肉食獣は獲物を食う時にいちいち謝ったりしないだろ。 他人を食い物にすることにまったく抵抗のないスイの顔は、チベットで修行した僧のように清廉で、双眸は山脈に水をたたえる湖のように澄み渡っている。 そのやたら綺麗な目から、ぽたりと雫が滴り落ちた。それらは俺の頬や額やデコルテにポツポツと降り注ぐ。唇に落ちたそれはしょっぱかった。 え、もしかしてコイツ泣いてる?! スイは俺の手首を離してのしかかり、肩に顔を埋める。空耳じゃなけりゃグスッと鼻をすする音も聞こえた。 「レンは僕の恋人でしょ」 「おい、待て。いつからそうなった」 「違うの?」 いや、確かにセックスはしたさ。でもそんな艶っぽい関係じゃなくて、コイツとは相棒って感じで 「レンは、僕の、恋人でしょ」 少し口調を強めて、スイは首筋にキスしてきた。 次は、多分うつ伏せにされる。俺の長い髪を解いて、背中にキスの雨を降らせて、獣の交尾みたいに頸を噛まれながらーーーーー 何度も繰り返されてきた行為は身体にも記憶にも刻まれていて、勝手に想像が湧き出て中心が疼いた。 でもスイはまだ俺の上に乗っかったままだ。スン、とスイの鼻が鳴る。 「いつまでメソメソしてんだよ、ったくお前いくつだ」 「・・・じゅうはち」 「28?いい大人が」 「違う。18」 「は?!お前年下だったのか?!まだガキじゃん!」 俺より背え高いし、胸板の厚さや肩幅もそこそこあるし、パッと見て二十代半ばってとこだ。 それこそ詐欺じゃねえか。 ああでも歳をきくと、ちょっと赤くなった目元が少し幼く見えないこともない。 「関係ないよ、レンはもう僕のだから」 腕を持ち上げて、うつ伏せにひっくり返される。唇の感触を待つ背中にスイの指が伝うと期待に小さく震えた。スイはぐっと身をかがめて、俺の耳元で囁く。 「もう、次にすることわかるよね」 腹の中で燻る欲望は見透かされていた。というか、そうなるようにコイツが仕向けてきたのだろうか。 俺はポニーテールをほどく。背中に黒髪がさらりと広がった。 綺麗、とスイは嘆息し、服を捲り上げ背中にキスの雨がーーー もう許してと懇願しても、スイは俺を責め立てるのをやめなかった。篠突く雨のように後から腰を叩きつける。 「浮気はダメだよ」 「わかっ・・・わかったから・・・」 快感に振り回されて何もかも吹っ飛びそうなのに、四つ這いにされた俺のすがるものはシーツしかなかった。ぺらぺらのそれを拳で握り込み下半身から全身を貫く衝撃に耐える。  「もう他の人とセックスしないで」 声が出なくて、必死にこくこくと頷く。腕がガクガク震えて上半身が崩れ落ちそうになるけど、スイはそれを許さず俺の髪を引っ張った。 「レンは僕の恋人なんだからね」 溶け切った思考に混ぜ込むように、スイは耳元に吹き込む。何度も何度も。俺が喘ぎの合間に肯定の返事をすると、やっとベッドに倒れ込むことが許された。それでもスイは俺の中に居座っている。感じる場所を激しく突かれても、射精にはいたらない。何かが、足らない。 「スイッ・・・」 振り向いてスイを見れば、ヤツはニコリとして頭を撫でてくる。違う。俺が欲しいのは、それじゃない。 「・・・噛んで」 スイは満足そうに微笑んで、頸に唇を寄せる。 焦らすように舐めあげて、歯がゆっくり食い込んでいく。待ち望んでいた刺激に背筋がゾクゾクした。身体がスイの逞しい腕に絡めとられる。 逃げられない。 肉の楔を何度も打ち付られ、アイツの形を刻み込まれる。俺はスイの腕の中に囚われたまま果ててしまった。 それからスイは別の件で1か月ほど姿をくらましていた。今回はいたいけな大学生から留学の費用をぶん取る手筈になっている。 ボロアパートに帰ってきたスイは、こともあろうかキスマークをつけていやがった。 「お前なあ!俺には浮気すんなとか言っといて」 「ごめんね」 スイは微笑んで、スーツケースを開いて荷解きを始める。 は?それで終わりか? 「ふざけんなお前!お前は俺の」 ハッとして口を噤めば、スイは目を細めて「俺の、何?」って首を傾げる。 腹立つ。絶対分かって言ってやがる。下手したらキスマークつけてきたのもわざとだ。 スイは嬉しそうに俺の手を引いて腕の中に納めた。スイの匂いがする。勝手に身体から力が抜けていく。 「ねえ、僕は、レンの何?」 見上げれば澄んだ目が待っていた。それに吸い込まれるように、ヤツの望む言葉が唇から零れ落ちる。 薄々思っていたけど、コイツの都合のいいように作り替えられていっている気がする。心も身体も。 でも、そんなの今更だって思う程には後戻りできなくなっている。 「愛してるよ」 スイは媚薬を垂らすように愛の言葉を落とした。そんな嘘かホントかわからない言葉いるかよ。 せめてもの抵抗とばかりに、俺は噛み付くように恋人の唇を塞いでやった。 end

ともだちにシェアしよう!