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彷徨う番犬 中編
注意事項
・クロ視点
・女性との絡み有り
豪奢な部屋には香が焚かれていて、甘ったるい匂いが充満していた。流麗な草花の模様が描かれた壁紙や絨毯、傘付きのランプや磁器に活けられた花と相まって、部屋中花に埋め尽くされているような錯覚を覚える。バスタブほどあるデカイ水槽にも水草が茂り、悠々と赤いアロワナが泳いでいた。
あの女は俺と腕を組んだまま、天蓋付きの寝台に連れて行く。
マットレスに投げ出され、あの女は俺に跨った。
蕩けるような笑みを浮かべ、アイシャドウのラメと縦長のピアスが妖艶に煌めく。細い指が俺の首筋から鎖骨を撫であげた。
「何のつもりでしょうか」
木里は俺のデコルテに彫られた刺青をなぞりながら「イイコトヨ」と目を細める。
溜息が出た。何言ってんだコイツ。
「アンタ、ホントは男嫌いなんでしょう」
切れ長の目が、長い睫毛ごと見開かれる。
初日からずっとしょうもない嫌がらせばっかしやがって。腕を組んだ手を締め上げたり爪を立てたりピンヒールで足を踏みつけたり。挙句連れ回しまくって休憩も取らせずほとんど飲まず食わずだ。スタッフにも客にも表面上は愛想よくしているが、女性スタッフにはゲロ甘い癖に男性スタッフには素っ気ない。
「ソーネ、でも男の子を虐めるのは好きヨ?」
グロスを塗った唇が酷薄な形に引き延ばされる。
右の頬を一閃する傷跡が歪んだ。男嫌いの原因は怨恨ってとこか?この部屋に入った途端変な臭いがした。特に枕元の臭いが濃い。
顔を切り刻むのがお好みのようだ。
「ヤリながら殺るのが趣味なんですか?カマキリみてーな女」
木里の顔から笑みが消え真顔になる。いつもの愛想のいい表情はどこにも見当たらない。無機質な表情からは、重苦しい殺気が滲み出している。もう少し突いてみるか。
「アンタよくこんな鉄臭えとこで寝れるな。どうりで隣りにいて鼻が曲がりそうだとーーー」
ズドン、と耳の横で鈍い音がした。幅の広いナイフが枕から引き抜かれ、中身の羽毛が刃に引きずられひらひらと舞う。
「ンフッ、ンフフフ」
木里の肩が震えて、俯いた顔に前髪が陰を作る。
「元気がいいねェ・・・遊ぼォワンちゃん」
ナイフの煌めきが視界を掠める。俺は両手を下ろして木里の手を払い腰を跳ね上げる。木里の腕を引いて姿勢を崩し、脛に脚をかけるとマットレスの反動を利用して回転した。うつ伏せにして掴んだ腕を背中に回し拘束する。
「你在做什么 ?!」
「そこでしばらく寝てろ」
飾り編みのシーツを木里に被せベッドを飛び出す。
気配が薄明かりの中で動く。無線のスイッチをオンにした。
「殺し屋が出た!」
無線の向こうが騒つく。
やっぱり、あの女の殺気に紛れて部屋に忍び込んできていた。木里をわざと揺さぶって隙を見せたらのこのこ出てきやがった。
私室に出ればアカシア材のドアが閉まったところだった。立ち止まり、左右に目を動かす。殺し屋の標的は俺ではない。
後方で動く気配がした。支給されていた拳銃を取り出し振り向きざまに撃つ。
歩み寄りながら発砲を続けるが、最初の一発目で視界から消えた。銃を投げ捨て寝室に戻る。最初に見えた人影に蹴りを入れる。ソイツは前に倒れるが手をつきバク転で距離を取られた。
アタリだった。
木里じゃない。ここの制服を着た黒服だ。長髪を頸のあたりでまとめ、眼鏡を掛けたオッさんだった。糸目の顔は一見柔和そうだが佇まいに隙がない。木里の位置を確認しようと一瞬気を逸らした瞬間また視界から消えていた。
首元がヒヤリとして、バックステップでかわせば細身のナイフが空を切っていた。連続して襲いかかってくる剣撃を避けながらベッドまで追い詰められる。シーツを引き剥がして視界を遮る。マットレスの隙間に手を滑らせれば思った通り武器が隠してあった。掴んだマチェットナイフをすかさず振り下ろせば相手の得物とぶつかりキンと高い音を鳴らす。
しかし、このままでは殺られる。こっちは最初っから本気でかかっているが相手はどんどんギアを上げてくる。
でも、まだ死ねない。殺してやりたいヤツらはごまんといる。くだらねえ後継者争いに巻き込んでくれたヤクザのオヤジや母親や、俺を嬲ってきたヤツらや、ーーー俺をイヌに堕としたベニヒコとかな。今は従順な犬を演じているが、それで終わるつもりはない。
ギィン、と金属音を響かせまた刃がぶつかり合う。
ナイフの動きを追うのが難しくなってきた。集中力が途切れ、視界が白くフラッシュする。ヤバイと思った瞬間、視界がクリアになり刹那の間にナイフの軌道を読んで防ぐ。それの繰り返しだ。
目に入る映像の処理が追いつかず脳の神経が痺れてくる。たまにゆっくりに見えるけど身体の動きが追いつかない。
くそっ、手を出さねえとラチが開かない。
バクチに出るか。
わざと持っているナイフを大振りで左に薙ぎ、右側に誘いこんで回し蹴りを繰り出す。ヤツは身を低くして避け、下から剣撃が来るが遠心力に引っ張られた身体は反応が一瞬遅れる。
死ぬなこれは。
発砲音がして、殺し屋が俺から飛び退いた。
見れば木里がリボルバーを構えていた。チャイナドレスのスリットからホルスターが見え、銃口からは煙が細く立ち昇っている。
「ワンちゃん"伏せ"!」
もう一発飛んできて身を屈める。
頭上に弾幕が出来た。乾いた発砲音が飛び交い、耳を塞ぐ。それでも空気がびりびりと震え頭がガンガンした。
音が止んだころに顔を上げれば、殺し屋の姿はなかった。心臓が跳ねる。まだか?まだおわっていないのか?五感を総動員して探そうとするも、まだ頭の芯が痺れている。耳鳴りがして何も聞こえない。自分の乱れた呼吸音だけが響いている。
部屋の入り口を見れば、黒服達が短機関銃や散弾銃を手にしていた。
殺し屋が纏っていた服と同じものだ。黒服達と殺し屋の姿が重なる。
ーーーーーー殺らなきゃ殺られる。
気づけば、ナイフを手に黒服の集団に躍りかかっていた。
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