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ファイトクラブ 前編
※前後編ともに女性との絡み有り
ベニヒコはスマホで誰かと話していた。珍しく日本語で喋っている。
通話が終われば「お前をご指名だと」と俺に顔を向ける。
「そろそろ殺られるかもな、お前」
ベニヒコは愉快そうにニィッと笑った。
去年債務者を逃がしてからめちゃくちゃ機嫌が悪かったくせに。
それだけで不快だったのに、俺を呼び出したのはあの 镰木里 だった。
裏で売春を行うクラブを一任されている女だ。顔にデカい傷があるものの、物凄い美女でスタイルもいい。いかにも男好きしそうな容姿だが、本人は男嫌いでセックスしながら相手を切り刻む偏執的な嗜好を持つ。
あの女は最悪だ。散々嫌がらせを受けた挙句殺されそうになったんだぞ?
だが、こっちは断れる立場じゃない。ベニヒコは別の依頼があるらしく、一人でクラブの入っているホテルに向かった。
エグゼクティブフロアに足を踏み入れあの女の自室に向かう。中華小花の壁紙が貼られシノワズリの花瓶なんかが飾られた廊下は東洋的かつ優雅な空間だ。内装がこの前と変わっている。ひと騒動あったからな。
飾り彫りが施されたアカシアのドアの前で立ち止まった。ノブを触る前に一呼吸おいて、中の気配を探る。耳を澄ませ、鼻から息を吸って、足音や銃火器の匂いがしないか確かめ、皮膚の感覚を敏感にして殺気やら中で動く気配を感じとる。
ヤバそうな感じはしない。
ノックをする。カツカツとピンヒールの足音が駆け足で迫ってくる。
ドアが開ければ「 啊 !ワンちゃんいらっしゃい!」と镰木里に抱きつかれた。
「相変わらずかっこいいネー」
俺の顔を見上げながらするりと腕を絡ませる。
大きく胸元が空いたチャイナドレスの上に黒いファーコートを着て、多分左肩にホルスターを吊っている。左肩が少し下がっていて、香水に混じってグリースの臭いが微かにする。
「俺は何をすればいいんですか」
「デート」
語尾にハートマークがついてそうな甘ったるい声で言う木里に眩暈がした。何言ってんだコイツ。
「遊びにイコ。おいでワンちゃん」
「用心棒ということでよろしいですか」
「ンー、まーネ」
「報酬は」
「後で。ベニヒコくんから聞いてナイ?」
何も聞いてないぞあの野郎。報酬を懐に入れようものならぶん殴ってやる。
不機嫌さをポーカーフェイスに押し込めながら、木里にされるがまま腕を引かれていった。
BMWを運転させられたどり着いたのは、都心部のとあるビルだ。窓から蛍光灯の灯りを静かに落としている。
しかし、地下に続く階段を降りれば照明の熱と歓声が熱波となって俺たちに襲いかかった。
そこにあったのはリングだった。すり鉢状の会場の底に、フェンスで八角形に囲まれている。階段状になっている客席では、老若男女問わず叫びながら拳やスマホを掲げている。
木里に腕を引かれ、客席に腰を下ろす。
上半身裸の男と全身に刺青をいれた男がリングの中で殴り合っている。
「ここもね、日本のヤクザさんとやってるノ。ホテルとおんなじ」
木里はニヤニヤしながら俺の顔を見ている。
「天保組サン。知ってるでしょ?」
思わず目を剥いた。なぜなら、その組のトップが
「爸 と、あんまり似てないネ」
観客の興奮を煽るように明かりを撒き散らす照明の中、上半身裸の男がリノリウムの床の上に崩れ落ち、歓声とブーイングが渦巻いた。
客が動き群衆の潮流が生まれ、全員換金所らしきブースに流れていく。
その喧騒が遠い。
中国 に来ているのか?アイツが?
木里は相変わらずニヤつきながら俺の反応をうかがっている。
もちろん、今すぐぶん殴ってやりたいに決まっている。けれども、
「俺にはもう関係ない話です」
と言っておいた。
今アイツに手をかけたところで、下っ端もいいところの俺が生きていられると思えない。ベニヒコに全部おっ被せてやってもいいが、それに気づかないほどあの男は愚鈍ではない。短気で粗暴だが、一方で冷静に上手く立ち回る男だ。
「ワタシが手伝ってあげるって言ったらどうする?」
木里はそれはもう蠱惑的に微笑んだ。毒花が甘い香りを撒き散らす。周りに座っていた何人かの男達の視線が吸い寄せられた。
木里はもちろんそれに気づいていて、俺の耳に唇を寄せる。
「なんの後ろ盾もないし、今の立場だったら近づけもしないもんネ。ベニヒコくんも意外と慎重な人デショ?」
「何が言いたいんですか」
木里はゆったりと目を細め、睦言のように声を顰めた。
「一緒に殺 ろうよ」
俺は即答した。
「お断りします」
いいように使われて終わりだろうが。
しかし、木里は俺の返答も予想済みだったのか鷹揚に微笑んだままだ。
「じゃあ、情報をアゲルって言ったら?」
今度は、咄嗟に断れなかった。
「あのヒト、お金出さないクセに口ばっかり出して。あんまり評判良くナイネ」
「じゃあ俺じゃなくても誰かが殺るでしょうね」
「ソーネ、でもガード硬くてネー、ワンちゃんみたいに」
木里は楽しそうに俺にしなだれかかる。
「今度コッチに来るのは来年カナ?総会があるカラ。ボディーガードしてくれるナラ、連れてってあげよっか?」
「遠慮しておきます」
「そっか。デモ、貰うものは貰うカラね?」
舌打ちしそうになったが堪えた。一方的に喋っておいて情報料をよこせとか、まさしくヤクザの手口だ。
「じゃ、頑張ってきてネ」
木里は腕をほどき、俺の背中をポンと押す。
「飛び入り参加ネ、ヨロシク」
最初から仕組まれていたのか、スタッフらしき黒いシャツを着た男達に囲まれた。
「足りない分は見物料にしといてアゲル」
満面の笑みで手をひらひらと振る木里に苛つきが募る。
「・・・手加減しませんからね」
「大丈夫。殺しちゃってもここではセーフヨ」
このニヤつく顔を見ていたらよけいイラつきそうで、スタッフを追い抜く勢いで歩いて行った。
鬱憤を晴らすべく、ジャケットとワイシャツを乱暴に脱ぎ捨て黒のタンクトップでリングに上がる。八方からくるライトが眩しい。
相手は筋肉質で引き締まった身体を斜めにし、拳を顔の前で構え俺に狙いを定めている。
木里はわざわざ前の方の席に移動してきた。
「ワンちゃん、」
「黙っててください」
気が散る。さっさと終わらせたい。
「ワタシ、そっちに賭けたカラ」
思わず振り向いた。木里は、俺の対戦相手を指差していた。
正気かこの女?!何考えてんだ?!
ゴングが鳴る。
相手はすぐこちらの懐に飛び込んできた。でもこの前やり合った殺し屋よりは遅い。片足を引いて避けワンツーを打ち込む。腕でがっちりガードされた。距離を取り睨み合いに入る。
少し考える時間ができた。
要するに、俺にわざと負けろっつってんのか。マジでイカれてやがる。
何か手はないのか?電光掲示板に目をやるが、ファイトマネーよりも賞金の方が高い。それに、選手は自分には賭けられないときた。
余所見してたら頬に風を感じた。反射的にサイドステップで右によければ拳が空を切っていた。
もう考えている暇がない。
スウェーで拳を掻い潜る。こっちからはいつでも手を出せるが、木里は俺がボコられて地に這うのがお望みのようだ。
それもお断りだ。
この男も木里もどうしてくれようか。腹が立つことに、こういう時次の手を考えていたのはベニヒコだった。
あからさまに肩を押された。反則だろ。しかし周りのスタッフは何も言わない。リングの上とはいえ何でもアリのようだ。時間制限もない。棄権して仕切り直そうとするもスタッフは聞き入れなかった。リングに上がったら最後、動けなくなった方が負けということか。
ならーーーーー
今度は俺から仕掛けた。拳を構え前に出る。相手の男は腕を上げガードする。構わず撃ち込めば、顔を歪め後ろに下がった。そこそこ本気を出したから痺れるようなダメージを食らっているだろう。もう2、3発パンチを入れてガードをこじ開ける。
腕の力が緩んだ瞬間を狙って、フックで頬を打ち抜いた。
相手の男は糸が切れた様にふらりと床に倒れる。
歓声が沸いた。
耳がおかしくなりそうな騒音の中振り返る。木里は口元に笑みを貼り付け、ゾッとする様な冷たい眼差しを送っていた。
「次は俺に賭けろ。倍にしても構わない」
「你在跟谁说话」
木里はくっと顎を上げ、誰に向かって口きいてんだとドスを効かせる。
でもそれは一瞬のことで、木里は艶っぽく口角と眦を吊り上げ足を組む。
「まだ終わっテナイみたいヨ?」
後頭部に衝撃が走った。振り返ろうとすれば頬に1発もらい顔の角度が変わる。胸ぐらを掴んで引き寄せられ、ボディに拳が入り内臓に響いた。
倒れたはずの男が、口から泡と血を垂れ流しながら再び拳を振り上げる。
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