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菅鮑の交わり
今日は久しぶりにスーツを着た。
というか何年か前に、カタギの仕事の面接に一度来ていったきりだ。採用されたものの、ウリで手に入る金に比べたら割りに合わない気がして一年も経たないうちに辞めてしまった。
若さだよなー、なんて思いながらカジュアルスーツを着たスイの隣を歩く。スイは髪を後ろに撫でつけツーブロックにし、銀縁眼鏡をつけていた。知的だけどちょっとガラの悪い感じだ。
中華街の外れのボロアパートまで足を運ぶ。
清掃の行き届いていないゴミ捨て場や植えこみにねじ込まれた空き缶なんかが治安の悪さを物語る。
二階建てのアパートの一室の前に来た。
打ち合わせ通り、ノックをしてご挨拶と行くか。俺は息を吸い込み、足を上げ、思いっきりドアに蹴りを入れた。ぶっ壊れるんじゃねえかってくらい派手な音を響かせたあと
「××証券ですが。ご在宅ですよね、返済の件についてですが」
とがなりながらドアを叩き続ける。今時チンピラでもこんな取り立て方をしないが、相手に恐怖感を与えるための演出だ。多分債務者のババアはビビって息を押し殺していることだろう。
そうやって騒いで、スイとそのアパートを後にする。
「こんな感じでいいのか?」
「うん。上手いね」
スイは苦笑する。どっかのイヌどもがあんな感じだったからな。スイが不貞腐れるから言わないけど。それからもスイの指示で、数日おきに訪れていた。
この日も昼過ぎくらいに来てドアをぶっ叩いてやれば
「嘈杂!不要害怕!」
隣の部屋から若い男が出てきた。身長は俺より高くて黒い短髪を刈り上げている。顔の堀が深くて目が大きい。インドネシアとかフィリピンあたりでよく見る顔だ。
「んだよ、文句ならここの部屋の」
言い終わらないうちに胸ぐらを掴まれる。おっかねぇ顔で捲し立てられるがここでビビってちゃ仕事にならない。
「わーったよ、夜勤明けかなんかか?ならアンタのいる時間には来ないから、っと」
顔に拳が飛んできたから反射的に躱す。
あーあ、手を出されちゃしょうがねえな。もう一回フックが来たから身体を反らしながら避け足を払う。相手はその勢いのまま見事にすっ転んだ。
身体ごと突っ込むからだヘタクソ。
踵を返すと足を掴んできたけど、振り返りもせず革靴の踵で思いっきり踏みつけてやった。片足に体重をかけて回し蹴りを繰り出しながら振り向く。ヤツはちょうど起き上がったところだったが見事に頭にヒットした。ヤツは顔を押さえてよろめく。その隙に悠々と階段を降りて帰った。
この辺に住んでる連中は不法滞在とかクスリとか後ろ暗いことを抱えているから通報もされないはずだ。でも絡まれるのが面倒だから時間をちょっとずらすか。
久しぶりに、スイに仕事を任せられたことだしな。
もう何日か経って、またスイとあのアパートに向かうことになった。
今日は俺もスイもきっちりビジネススーツを着て訪れた。俺は女物を着て髪を下ろしていったけど。化粧もして清楚なOLを装う。
アパートの部屋の前まで来ると、スイがお上品にノックをし、涼やかな声音で
「××ファイナンスです」
とこの前とは違う金融会社の名前を名乗った。
「本日はキャンペーンのご紹介に参りました。お客様の見積もりを見ますと、少し負債が減らせるかと思われますが」
返事はない。しんと静まりかえっている。今日はハズレじゃねえか?と思いつつスイに目を向ける。スイは郵便にチラシを入れて、「お気軽にお声掛けください」とだけ言って引き返した。
帰り道でスイの顔を伺う。
「よかったのか?」
「ハズレの時もあるよ」
とニッコリ笑うだけだった。
「ビビらせすぎたかな」
「そうかもね、でも気にしないで」
スイは損切りという引き際が上手い。どんなに金と労力をかけた案件でも、ヤバいと思えばあっさりと手を引く。
今回もそうかなって思ってたら、三日と空けず電話がかかってきた。スイは何度か受け答えをしてから
「レン、出かけるよ」
ってニコニコしながらこの前と同じ格好をするよう言われた。カモがかかったみたいだな。
この前と同じようにスーツ姿でアパートに向かい、ドアをノックし会社名を告げる。
しばらくしてチェーンのかかったドアの隙間から、派手な髪色の、やつれた中年の女の顔が覗いた。女の格好をした俺を見て、警戒に満ちた表情が少し緩む。にっこり微笑み軽く会釈をすれば、チェーンが外された。ここに来ていたチンピラが俺だとは夢にも思っていない。
スイと俺は金融会社の社員証を見せながら(もちろん偽物だ)部屋に上がる。
カーテンレールにラメの入った生地のワンピースやレースのボレロがハンガーで吊られ、化粧品で溢れかえるキャビネットが目立つ。でもローテーブルは傷だらけで年季が入ってて、茶が注がれたコップは明らかに百均のやつだ。
スイはエクセルで作った見積もりの表だの返済のプランをまとめた冊子だのを広げる。
「現在複数の会社からお金を借りていますよね、弊社で一括返済してしまいましょうか」
一括返済、という言葉に女は目を丸くする。
「複数の会社から借りている金から出る利息を、それぞれの会社に払ってますよね。ここで一本化すれば利息がかなり減らせますよ。少しお高いと思われるでしょうが、現在借り入れしている会社の利息を合わせますと弊社の方がお安くなってーーー」
そんな調子でペラペラと冊子をめくりながら説明する。ちょっと早口で喋るものだから、利息が減るとか負担が軽くなるとか都合のいい部分や「要するに」って枕詞がついている部分を拾いがちになる。女の淀んだ目に段々と光が差してきた。
更に「××証券ですか?ああ、あそこは・・・大変でしたね」とあの澄んだ目で同情さえして見せたものだから大した役者だ。
あと
「もうすぐ年度末ですので利率が上がる前にご契約できれば、その後も低い方の利率で大丈夫ですよ」
なんてさりげなく追い討ちをかける。
なんなく女は契約書にサインと捺印をした。
「債務の一本化の手続きはこちらで行います。キャンペーン中ですので手数料は無料で。
最後に、大変心苦いのですが一部負担金をーーーーー」
これが本題だ。よくもまあこれだけのシナリオを組めるもんだ。誠実な従業員に扮したスイをカモはすっかり信用していた。
アパートから帰る時、あの男を見かけた。俺の顔を見てすれ違ったかと思えばもう一度振り向く。一瞬バレたかとヒヤリとする。でも鼻の下を伸ばしてニヤニヤしていただけだったからホッとした。
数日後、5桁の金額がいくつもの口座を経由してスイのところに振り込まれていた。
借金をまとめたのは本当だ。しかし、もっとヤバいところから大金を借りて一括で返済しただけだ。サインもヤツの銀行印もこちらにある。さらにその闇金に個人情報やら口座番号やら丸っと売りつけてんだから容赦ない。
救いの手を差し伸べると見せかけて、更なる地獄に引きずり込んだわけだ。
スイはそれにこれっぽっちも罪悪感を抱かない。
普通にアパートに帰ってきて、クッションの上でゴロゴロしてる。どういう神経してんだろ。
座椅子に腰掛けつつ溜息を吐けば
「レン大丈夫?」
ってスイがにじり寄ってくる。
「別に」
「そろそろ、やられてくる頃だからね」
スイは背中から手を回して俺を抱きかかえる。抜け出そうとするも長い足でさりげなく囲い込まれた。
「何が?」
「こういう仕事に慣れてないと、何日か経ってから病み始めるんだよ。久しぶりにレンに手伝ってもらったから」
「俺がそんなヤワな奴に見えるか?」
鼻で笑ってやった。ケンカで何人病院送りにしてやったか分からないし、ウリやらやらずボッタクリやら汚い方法で金を手に入れるなんてしょっちゅうだった。
スイには言ってないけど。コイツのことだから全部バレてる気がしないでもない。
「それに、あのババアは自業自得だろ」
ホスト通いに狂って金も家庭も捨てたとか。
「よくクズみたいなヤツ見つけてくるよな」
「そういう相手の方が、レンがやりやすいでしょ」
クズの方が、俺が良心の呵責やら罪の意識とかいうやつに苛まれずに済むと思ってんのか。
とことん甘やかされてんな。
「相手がワルだろうが善人だろうがやってることは一緒だろ」
「まあね」
「安心しろ。嫌になったら出てくだけだから」
「それはやだなぁ」
「捕まったらお前にやらされたって言っとく」
スイは声を上げて笑った。
「いいよ、そうして。でも黙っていなくなったら嫌だよ」
「どうせ探して粘着するくせに」
「うん、全部僕のせいにしていいから、そばにいてよ」
スイは俺を囲い込む手足に力を入れる。好きなんだろうなとは思うけど、やっぱり全部明け渡すのは躊躇う。俺に優しい言葉をかけてきたのは、セックスだの金だの俺をいいように使おうとしてきたヤツらばっかりだったからな。
でもまあそれが年単位で続くとなるとな。こんな可愛げのない野郎によくやるよ。だから、背中を預けてもたれかかり、手を握り返すくらいには、俺はスイを信用している。
end
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