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所有の証
クラブでの仕事も大分慣れてきた。用心棒ではなくバーテンダーの方だ。
接客業なんて無理だと思っていたがなんとかなるもんだ。少なくともここでは酒の作り方がいい加減でも愛想を振りまかなくても文句を言われない。
ただ、困っているのは客に言い寄られることだ。仕事はいつ終わるのか、休みの日はいつかとか、連絡先を教えて欲しいとか、男女関係なく聞かれる。断れば接客態度が悪いと文句を言われることもしょっちゅうだ。オーナーに聞かないと予定は分からないとかこの国では携帯を使っていないとか苦しい言い訳でなんとか躱している。
今日の相手はしつこかった。
バーカウンターを挟んで俺の正面に座るのは、フットボール選手のようにガタイが良い米国人だ。俺より年下の大学生らしく、かなり直接的な言葉で誘われた。
いつも通り、そういうサービスはしていないしその手の趣味はないと告げる。
食い下がってきたが、それは酒がなくなるまでだった。不満気に席を立つとフロアに向かってき、ようやくホッとする。だが気が滅入ることに、すぐ次の注文が入り息つく暇もない。
深夜になってクラブの営業が終わり、ようやく解放される。サイズは合っているはずだがウイングカラーシャツとベストがやけに窮屈に感じて手早く着替えた。
いい加減擦り切れてきた黒服のジャケットとワイシャツを着崩し、ビジネスホテルに向かう。
しかし、スタッフ用の通路を歩いていると木里に呼ばれた。マフィアと取引をしたりパトロンを迎え入れたりする応接室に通される。
そこのソファに座っていたのは、竹に虎の図柄の刺繍シャツを着た中年の男だった。四角いフレームの眼鏡の下からじっとりとした視線が肌を舐める。ぞわりとして顔を顰めそうになった。
対面のソファに座るよう促された。話を聞けば、男は地元マフィアの幹部らしい。俺に補佐をやってほしいと持ちかけてくる。
仕事の依頼も引き抜きの話も飼い主のベニヒコを通してほしいと告げたが、あんな野良犬の一匹どうにでもなると口の端をあげる。
こちらをとことんナメているらしく、とうとう
「做个情人吧」
俺のモノになれ、と下心がセリフから顔を出した。
要は、愛人になれということだ。
馬鹿さ加減に呆れる。アイツはちょっとやそっとで殺されるような男ではないし、他人に殺させるつもりもない。
ベニヒコは俺の獲物だ。
何のためにあんなクズの下にいると思ってんだ。
断れば少しばかり良い待遇を付加されされたが、口約束は信用ならないしそもそも俺は野郎とセックスする趣味はない。ベニヒコとは仕方なく、だ。
半ば振り切るように会話を切り上げ部屋を後にした。
さっさと帰りたかったが、ホテルの裏口に見覚えのあるヤツが待ち構えていた。さっきのガキだ。馴れ馴れしく肩を組んでくる。いくらガタイがいいとはいえ素人だ。けれども、それが数人となると厳しいかもな。ガキと同じくらい屈強な白人が俺を取り囲む。一様に下卑た視線で俺を見下ろす。
英語で触るな、と言いながら肩に乗せられた腕をどける。が、ますます強く締め上げられ裏路地を引きずられていく。ホテルの正面に停まる車の窓からさっきのオッサンがうっすら透けて見えていた。自分のモノにならないなら一発ヤろうってか。上の立場にいるが頭もアソコもお粗末に違いない。
「アラー、ワンちゃんモテモテネー」
2階から鈴を転がすような声が降ってきた。木里だ。窓を開けて煙管をふかしている。
「お楽しみならホテルの部屋貸してアゲルけど、どう?」
「結構です。それより後片付けをお願いしてよろしいですか?」
「エー?いいけどお金」
「・・・タダ働きで結構です」
「ソウ?あんまり汚さないでネー」
木里から返事を受け取った瞬間、肩を組んでいたガキの鼻っ柱を裏拳で砕いてやった。ソイツが後退り身体が自由になった瞬間、周りのガキどもに拳や膝や踵をぶち込んでいく。ヤツらは一撃いれただけでうずくまってえずいていた。
やっぱり素人でも数人を相手するのは難しい。手加減が出来なくて殺ってしまいそうだ。
うずくまっている1人を蹴り上げる。仰向けになって無防備な腹を踏みつければ鈍い音がした。サッカーボールのように足蹴にしていれば、地面を転がり血だるまになっていく。周りのヤツらは逃げ出した。
見せしめにしたガキの首根っこを掴んで無理矢理立たせる。俺と目が合えばぎくりとしていた。見せつけるように拳を振りかぶれば、俺を振り払ってよたよたしながら逃走した。
木里は一階にわざわざ降りてきてて
「もう終わりー?」
と物足りなさそうに膨れっ面を作る。
「殺したら後が面倒なんですよ」
「遠慮しなくテいいのにー」
「貴女にも借りを作りたくないので」
「ンフフフ、そんなコト言われたらサービスしたくなっちゃうナ」
木里は俺の首にするりと腕を絡ませ、鎖骨あたりに唇を寄せる。チクリとした刺激に首に手を当てるとかすかに濡れていた。最悪だ。キスマークをつけられた。
「虫除けくらいにはなるんじゃナイ?明日もヨロシクネー」
木里はパッと離れて手を振る。道路を見れば車は消えていた。それなりに効果はあったらしい。ふざけた女だがワルへの影響力はそこそこあるのだ。それはそれでイラつくけどな。この女のモンだと思われてんのも心外だ。盛大に溜息をついて帰路についた。
ビジネスホテルの部屋に入ればベニヒコはいなかった。シャワーを浴びてベッドに倒れ込めばすぐ睡魔が襲ってくる。
意識が再び浮上したのはドアを開ける音がした時だ。耳をすませば安っぽい革靴の底が床を打つ音が聞こえた。その足音からベニヒコだと分かり、また目を閉じる。
しばらくすると
「起きろ」
とベッドを蹴られた。無視して寝返りを打つ。ヤツは諦めたのかベッドに乗り上げる。が、首元に痛みが走り目が覚めた。
「何するんですか」
思いっ切り噛みやがって。
「弛んでっからだ。そろそろ躾が必要か?あ゛?」
「勘弁してください。ここは空けるので放っておいてくださいよ」
ベッドから降りようとすれば組み敷かれた。ナメられてるからだだの依頼主の言う事を鵜呑みにするなだのイチャモンをつけられ、さっきと同じところに噛みつかれる。痛みに身体が強張った。
何がそんなに気に入らないのか。理不尽な八つ当たりはいつものことだけどな。
ベニヒコが体を起こすと睨みつけてやった。
「んだよ、犯すぞ」
ふざけんな、これ以上付き合ってられるか。溜息を落としベッドから降りた。ベニヒコは横になり、俺はソファに身を沈めた。
翌朝洗面所に入って鏡を見ると、キスマークが消えていた。いや、正確に言えばキスマークが歯型で上書きされていた。刺青のようにくっきりと歯の跡が残り、鬱血して紫がかっている。最悪だ。ウイングカラーシャツの襟だけで隠せるとは思えない。
いや、もういっそーーー
その夜は「似合わない」と文句を言う木里を無視し、首輪をつけてカウンターに立った。やはり異様に映るのか馴れ馴れしく話しかけてくるヤツが減った気がする。
それでも夜の誘いを持ちかける野郎はいて、「先約がありますので」と言えば首輪を見て引き下がった。
変態野郎だとでも思われてんだろうが、観光客が大半だから二度と顔を合わせることもないはずだ。
首輪をつけることで気が楽になるなんていう日がくるとは思わなかった。でも煩わしいやりとりが減って、少しだけ過ごしやすくなったのは間違いない。
end
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