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獅子か牡丹か
獅子は牡丹の下で眠るそうだ。
獅子の体毛には小さな虫が住み着いていて、放っておけば増殖し皮膚や肉を食い荒らして死に至らしめる。
その虫の弱点というのが牡丹の夜露で、これに当たると虫は死んでしまう。故に獅子と牡丹は切っても切り離せない関係で、牡丹の花の下が獅子にとっての安住の地だそうだ。
ベニヒコの背中には、そんな獅子と牡丹の図柄の刺青がある。緑褐色の獅子が咆哮を上げ鮮やかな赤い牡丹が腰のあたりに咲き誇る。
ビジネスホテルのカーテンの隙間から、ネオンとビルの照明が混じった光が差す。月明かりに似たそれが、獰猛な獣と艶美な花をうっすらと照らしていた。それが妙に|艶《あで》やかで、ふとした時に目を奪われる。
「んだよ」
ベッドに腰掛けていたベニヒコが振り向き、紫煙越しに俺を睨みつけた。
「いつ入れたんですか、|刺青《ソレ》」
背中に視線を向ければ「覚えてねえよ、大分前だ」と煙草を口に咥えた。俺もそれ以上興味が湧かなかったから会話をやめた。
ベッドから下り浴室へ向かう。噛み跡と汗に塗れた身体を洗い、注ぎ込まれたこの男の残滓を追い出したくてたまらなかった。
後始末をした後は、ソファに倒れ込むと同時にすとんと眠りに落ちていった。
真夜中に目が覚めた。
嫌な予感がする。二度寝を決め込みたいところだが、背中に虫が這うようなザワザワとした感覚が気持ち悪く眠れない。
仕方なくタンクトップにスラックスとラフな格好のまま部屋を出る。
廊下を歩いていると、リネンの詰め込まれたワゴンを押すホテルのスタッフとすれ違った。瞬間、皮膚をピリッと緊張感が撫でる。
「|服务员《すみません》」
と呼びかけるも無視された。
そして、ヤツは俺たちの部屋のドアに手をかけた。床を蹴って一瞬で距離を詰める。ポロシャツの襟首を引っ張ってヘッドロックをかけた。締め上げればヤツは意識を断って膝から崩れ落ちる。リネンのワゴンを漁れば銃が出てきた。狙われる心当たりなんて星の数ほどある。
ヤツをワゴンの中に放り込み、シーツを手に巻き付け何発かぶち込んでおいた。そのままシーツを被せてワゴンだけエレベーターに乗せる。とりあえず1番下の階まで送っておいた。放っておいても仲間が回収しに来るだろう。
部屋に戻ってまたシャワーを浴びる。硝煙の匂いを落とすためだ。すっかり目が覚めてしまった。
俺が浴室から出てくると、ベニヒコはベッドに寝転がったまま煩わしそうに唸る。
「騒いでんじゃねえよ、寝かせろ」
それはこっちの台詞だ。殺しの仕事を請け負って、返り血もろくに始末しないままセックスの相手をする羽目になり、ヘトヘトになって泥のように眠っていたらこれだ。
そう抗議したいところだが、口でも手でも倍にして返されるから
「すみません」
と流しておくに限る。
が、それはそれとして腹が立つ。誰のおかげでお前が惰眠を貪れると思ってんだ。
「よく寝ていられますね。そのうち寝首かかれますよ」
と嫌味の一つも出てくるってもんだ。
けれども、ベニヒコはニヤリと笑う。
「お前がオレを、他のヤツに|殺《ヤ》らせるわけねえだろ」
思いがけない答えに目を見開いた。
信頼されているのか。それとも俺の腹づもりに気づいているのか。
前者なら好都合だし、後者ならーーーーいや、それでも俺は考えを変えるつもりはない。
それに、誰にも殺させない。ベニヒコは俺の獲物なのだから。
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夜中の強襲が増えた。
昼夜を問わず狙われることは前からあったが、最近では毎晩のようにやってくる。
刺客と呼ぶにはお粗末な腕前の野郎どもだが、半月も続けばさすがにクロも疲弊を見せ始めていた。仏頂面なのはいつものことだが眉間の皺が深くなっている。たまにあくびを噛み殺していた。
オレも羽虫どもが目の前を飛び交うのがいい加減鬱陶しい。
金をそこそこ持っていて俺たちに恨みを持つ人物か。心当たりがあるヤツは両手じゃ足りないくらいいる。
情報屋に探りを入れてみた。胡散臭え外国人だが腕は確かだ。すると、地元マフィアの幹部がチンピラに小金をばら撒いていることが分かった。
ああ、クロをよこせと言ってきたヤツか。木里に仲介を頼み、クロの判断に任せることにした案件だ。予想通り断ったようだが。
となると、単なる嫌がらせか、あわよくばオレを手にかけクロを手に入れようという魂胆か。
どちらにせよ、大元を叩いた方が早そうだ。
1番手っ取り早い方法は、クロをソイツに売っ払うことだった。
ヤツらが根城にしているビルは、ガワは立派だが中は年季が入っていて、見栄だけで建っているような気がした。中の事務所に入りやっすい合皮のソファに腰掛ける。
正面に座るオッさんの眼鏡の奥から、クロに視線が伸びて絡みつく。
封筒に入った金を受け取り、あっさり交渉は成立した。そう伝えるや否や、クロは立ち上がり、ソファの後ろにいた構成員の襟首を引っ張った。突然の出来事に、されるがまま上半身を倒したソイツの頭を腕で捕らえ首をへし折る。ゴキッと鈍い音がしソイツがソファに倒れた後、一瞬だけ静寂が広がり怒号が飛び交った。幹部もどういうつもりだとオレに抗議してきた。
「何言ってんだよ。クロはもうアンタのもんだ。ほら、躾は飼い主の仕事だろ?テメエがなんとかするんだな」
オレはソファに座ったまま足を組む。ソイツから銃口を突きつけられるが、すぐクロがぶん殴って吹っ飛ばしていた。
「自分の身くらい自分で守ってください」
クロが不満げに言う。オレを殺そうとしているくせによく言う。だが自分で手を下すことに固執していて、裏を返せばオレを他のヤツに殺らせるつもりはないということだ。オレに向かってくるヤツはクロが勝手に排除する。それに、オレの命を狙ってくる人間なんざクロ1人で充分だ。
騒ぎを聞きつけた他の連中が部屋になだれ込んでくる。拳銃やナイフを持ったヤツもいるが常に動き回るクロに照準を合わせることすら難しく苦労しているようだ。流れ弾は机やチェストや壁やどんくせえ構成員なんかに吸い込まれていった。
オレはというと、ソファでタバコを吸いながら獅子奮迅の活躍を見せるクロを最前席で見物していた。たまに赤い飛沫が飛んでくるがキリがないから放っておく。タバコの火が消えないようにだけ注意を払った。
それにしてもまた腕を上げたか?動きに無駄が減って、相手の急所を一発で捕らえ仕留めていく。パンチを顔面に食らったヤツなんか、顎が上と下で左右にズレていた。クロの拳はもはや凶器だ。
今のクロが本気を出したらそろそろオレもーーー
もちろん、タダでやられるつもりはないが。
背後から殺気を感じた。
身体を左にズラし振り下ろされた物をかわす。ズドン、と鈍器がぶつかったような音が拳とともにソファにめり込む。振り向き様にマカロフを取り出し撃った。立ち上がり銃を構えながら後退る。
深く息を吐き出しながらこちらを見据えるクロと目が合った。切れ長の目の中の瞳はぐらぐらと煮えるように揺らいでいた。焦点があっていない。
ヤツの凶暴性が表に現れたかのように、握りしめた拳に血管が浮かぶ。
ありゃトんでるな。
ああなったら生きている人間がいなくなるまで止まらない。そして、残っているヤツはオレだけだった。
「クロ、終わりだ。引き上げるぞ」
銃口を向けたまま言えば、ピクリと肩を動かす。
狙いを定めたまま引き金に指をかける。どさくさに紛れて手をかけられても不思議ではない。
クロが床を蹴った。オレは躊躇なく撃った。避けられた。こっちの動きを読んでいる。
クロはあっという間にオレの懐に入り、
「邪魔」
と腕を薙いで突き飛ばした。オレの後方にいた男に上段の蹴りを入れる。倒れたところに首を足で踏みつければ男はあらぬ方向に頭を向け、今度こそ動かなくなった。
クロはオレを睨みつけ舌打ちする。
「油断しすぎだ」
「なんだその口の利き方は。オレの盾になるのがお前の仕事だろ」
クロは眉間の皺を深くし、悔しそうに奥歯を噛み締めている。
「撤収するぞ」
「わかりました」
クロの口調も表情も、いつもの調子に戻っていた。まだ暴れるようなら二、三発ぶち込んでいたところだ。出番のなくなったマカロフを仕舞う。
死体で足の踏み場もない部屋を後にした。
「死体はどうします?」
「あのままでいい」
金遣いが荒く、組織の他の連中に煙たがられていたヤツらだ。放っておいても問題ない。
大体殺した後の始末を気にするくらいなら考え無しで食い散らかすな。まあ気にするようになっただけマシか。喧嘩を覚え始めた頃は暴れるだけ暴れて後はどうでもいいという態度で、オレが根回しや尻拭いしてなけりゃ2人してとっくの昔に消されてた。
ホテルに着けば、クロはオレがシャワーを浴びている間にソファーで眠りこけていた。無防備な寝顔を晒しているが、オレがお前に手をかけるとは考えもしねえのかよ。使えるうちは生かしておいてやるがな。
まったく、誰のおかげでお前が惰眠を貪れると思ってんだ。
end
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