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犬猫にも馴染めば思う
日本に来てからもう半年近く経った。
スイは相変わらずあちこち飛び回っているらしく滅多に帰ってこない。口座の残高は増えているけど。
健全にアルバイトでもしようかと立ち寄ったコンビニから情報誌を持ち帰る。
そしたらスイに見つかって、目立つ真似はするなと嗜められた。いや、コンビニや居酒屋の従業員に目立つもクソもねえだろ。
そう反論すれば
「レンは美人だから」
と大真面目に返されて呆れた。ローテーブルの前に座り、パラパラと情報誌をめくりながら人目につかないようなやつを提案してみる。
「じゃあファミレスの厨房とか清掃員とか」
「僕以外の人と会ったら嫌だ」
「んなもん無理だろ。この家から出るなって?」
「・・・できたらそうして欲しいんだけど」
「マジかよ。引くんだけど」
「うん、レンが嫌だろうから我慢してる・・・」
「だったらもっと帰ってこいよ。やることねえんだよ」
ハッと気づいた時にはもう遅く、言葉は口から滑り落ちてしまっていた。スイは星を振り撒いたように目をキラキラさせている。
「ねえ、僕が居なくて寂しかった?」
ムカつく。なに嬉しそうにしてんだ。にじり寄るスイに噛み付いてやる。
「別に。居ない方が普通みたいなもんだし」
「顔ちょっと赤いよ。あー、かわいい」
スイはご機嫌で俺に抱きついてきた。
「暇だし仕事振れよ、なんでもいいから」
「僕はレンが待っててくれるだけで嬉しいよ」
「そうじゃなくて」
「じゃあーーー」
スイに体重をかけられ、カーペットの上に押し倒される。
「今から、レンを好きにしていい?」
返事を聞く前にキスをするな。服の裾から手を入れるな。肌に触れられただけで気が緩みそうになるけど、スイの顎を手のひらで押しのける。
「セックスでうやむやにするんだったらぶっ飛ばすぞ」
「うん、ちゃんと考えておくね」
スイはニコリと微笑んだ。このビックリするほど澄んだ目で真っ赤な嘘を吐くものだから信用ならない。
まあ今のところ、俺には嘘をついている様子はないけど。だから
「・・・ならいい」
と大甘な答えを出して、スイの身体に腕を回した。
ーーーーーーーーー
レンはアルバイトを始めたみたいだ。メッセージアプリでシフト表だけ送られてきた。
土日関係なくほぼ毎日入っている。充分暮らしていけるだけのお金はあるんだけど。
会社の名前を検索してみると、中華街に卸す惣菜を作っている工場だということがわかって、惣菜をパックに詰める仕事の求人広告が出ていた。
シフトが入っている日にレンをGPSで追ってみれば、ちゃんとその会社の住所にたどり着いていたからホッとした。帰りもたまにスーパーやコンビニに寄るくらいで、真っ直ぐアパートに帰っているみたいだ。信用してないわけじゃないけど、どこで何をしているか分かると安心する。
たまには迎えに行ってみようかな。
この前はせっかく帰ってきたのに、疲れてたのか先に寝ちゃってたし。
スマートフォンで地図アプリを見ながらレンのアルバイト先へ向かえば、従業員の出入り口で若い男の人がうろついていた。
「ここの方ですか?」
声をかければ、その人は目を見開いて何も言わずに僕とすれ違った。
その後すぐにレンが出てきて「えっ」と声を上げる。ロングTシャツにスキニーパンツとラフな格好だ。けど薄い肩と細い脚が体型を華奢に見せていて、パッと見ただけでは女の子みたいだ。
「わざわざ来なくていい」
「ごめんね、どうしても会いたかったから」
「なんか用事あったっけ」
「ううん。早くレンに会いたかっただけだよ」
レンは溜息を吐いて、
「じゃ、帰るぞ」
と僕の横に並んだ。こんな些細なことに頬が緩んでしまう。甘える素振りを見せれば「しょうがねえな」って相手をしてくれる。こうしないとレンは甘えてきてくれないから。
アパートに戻って、テレビを流し見しているレンを後ろから抱きかかえながら
「困ってることはない?」
と聞いてみた。レンは顔を顰めつつ「別に」と答える。
「誰かにしつこく言い寄られたりとか」
「結局それかよ」
レンは鼻で笑うけど、僕はいつだって気が気じゃないよ。本当は誰の目にも晒したくないし触られたくもない。レンの周りでうろちょろしていた人も気になる。後で調べておこう。
「レンは僕のだからね」
「わかったわかった」
生返事を返されたのがちょっと悔しくて、長い髪をかき分けてうなじに唇を寄せた。
「あ、お前・・・!」
レンはキスマークをつけられたうなじを押さえ、振り返って僕を睨みつける。
「明日もバイトあるんだけど」
「いいよ行かなくても」
「わかった、相手してやるからもう跡つけんなマジで!」
そういうつもりでもなかったんだけど。
レンは僕の方に向き直って、でも何をしていいのか分からなくなったみたいで、首を捻ったりそわそわと身体を揺らして座り直したりしていた。それから照れ臭そうに「ん」って軽く腕を広げる。かわいくて堪らなくなって、そこに素直に飛び込んだ。
それから数日後、僕はまたレンのアルバイト先に向かった。最寄駅から離れると、暗い道に点々と頼りなく街灯が光っている。"痴漢に注意"なんて描かれた看板がますます不穏な空気を醸し出す。
工場の裏に周ると、またあの男性がいた。少し離れたところで見ていると、僕の横を黒服を着た男達が通ってその人の肩に手をかける。しばらくもみ合っていたけど、黒服たちに両脇を抱えられて車に押し込められていた。
あの人はあちこちのお店で遊んでは借金を作っていたんだって。僕がそのお店に連絡しなくても、いずれ捕まっていただろう。『帝愛妃』 にも出入りしていたみたいだ。レンに会ってどうするつもりだったんだろうね。考えただけで気分が悪くなる。自分が助かるためにレンの居場所を漏らしかねないから、そろそろ拠点を変えようかな。
そんなことを思考しながらしばらく待っていたけど、終わる時間はとっくに過ぎているのにレンは出てこなかった。電話をかけようか、思い切ってインターホンを押そうか迷っていると、建物のドアが開いた。逆光の中、両手にビニール袋を下げた人影が動く。
「遅かったね」
レンにそう声をかければ、ギョッとしつつ「またかよ」って僕のところまで歩いてきた。
「それどうしたの?」
ビニール袋の中をのぞけば、キクラゲと卵の炒め物やエビチリ、青菜と鶏肉の和え物なんかが入っていた。鮮やかな彩りが食欲をそそる。まだ温かいみたいで、プラスチックのふたが白く煙っている。
「社員割引になるから買ってきた。今日で終わるし」
「そうなの?」
「短期の予定だったし。スイが帰ってきたんならちょうどよかった」
レンはふっと表情を綻ばせた。たまにこういう顔を見せてくれるようになってきたのがすごく嬉しい。
「好きだよ、レン」
「現金なやつ」
「違うよ、レンは綺麗で、かわいくて、優しくて大好き」
レンは大きな目をますます見開いて、「お前なあ・・・」と顔を伏せる。それから「冷めるから帰るぞ」って早足で僕を追い越す。でも小柄なレンは僕より歩幅が小さいからすぐ追いついた。
帰ってご飯を食べながら
「お前よくそんな恥ずかしげもなく好きとか言えるよな」
なんてレンに言われた。本当にレンが好きで好きで仕方ないのはもちろんだけど、
「だって、僕はいつレンの前からいなくなるかわからないし」
レンの不機嫌そうな表情が弾け飛んで、箸が止まった。
「僕だって、悪いことしてる自覚あるよ?いつ警察に捕まったり誰かに刺されたりしてもおかしくないしね。
だから、僕の気持ちは全部レンに伝えているんだよ」
レンは無言のままだ。僕は齧りかけた焼豚を口に運ぶ。付け合わせのサニーレタスと一緒に咀嚼していると、レンが重々しく口を開いた。
「足、洗う気ねえのか?」
「なんで?」
「なんでって・・・いや、いいや」
レンは黙々とエビチリを食べていた。僕がいなくなると嫌だって思ってくれているのかな。そうだったら嬉しい。正直言って、レンには幸せでいて欲しいけど、その時僕以外の誰かが隣にいたら嫌だ。そうなるくらいだったらずーっと僕がいなくて寂しいって思っていて欲しい。
すっかりしおらしくなってしまったレンに、なんて声をかけようかと思っていたら
「・・・俺も・・・」
とても小さな声でレンが呟いた。もちろん聞こえていた。思わず身を乗り出す。
「ねえ、今"好きだよ"って言った?」
「さあな」
「今度はちゃんと聞こえるように言ってくれたら嬉しいな」
「わかったから食えよ」
「え、ホントに?」
「っせえな」
レンは何か言うたびに顔を背けていって、終いには飲み物を取ってくるってキッチンに逃げてしまった。でも戻ってきたら僕の分も渡してくれた。
やっぱり優しいね。
「大丈夫だよ、レンと一緒にいたいから、そう簡単にいなくなったりしないよ」
レンはコクリと頷く。
もし僕がそばにいられなくなっても、レンを手放す気はないからね。
end
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