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閑話 狡兎死して走狗烹らる①

クロがとうとうやらかしやがった。 二、三日連絡が途絶え、とうとう野垂れ死んだかと思えばクロの携帯電話から着信があった。掛けてきたのはクロではなく知らねえオッサンで、これまた知らねえ場所に呼び出された。 オレが向かったのは、北京郊外にある高級住宅地だ。整備された道路の脇に西洋風の建築が軒を連ねる。 ハリウッド映画に出てきそうな高尺の鋳物フェンスの向こうには玄関に車をつけるためのロータリーがある。そこを無遠慮に縦断し、玄関の前に立つ用心棒に声を掛ければ重厚なマホガニーの扉が観音開きになった。黒服の用心棒たちの殺気をひしひしとかんじながら扉を潜る。 鏡の様に磨かれた廊下を安物の革靴で歩き応接室に通される。ただのチンピラに大層なお出迎えなこった。 「掛けたまえ」 オレの目の前で優雅に足を組むのは、壮年の男だった。黒いスーツを纏う体躯は華奢だが、丸いサングラスの下から覗く眼光は鋭い。銀の髪を太目の弁髪に結い、剃った側頭部には龍の刺青が入っている。 名を銀龍(インロン)と言う。 この辺で幅を利かせている武器商人だ。元香港マフィアの幹部で武器の輸送をしていて、年を取ってから武器の売買に特化した華龍会という組織を立ち上げた。この世界の古株なだけあって、あちこちのワルに貸しを作りまくっていて警察もおいそれと手を出せないとか。 なかなかの大物だ。 クロは運び屋から荷を奪う仕事を請け負った。しかし、その奪い取った武器はこの怪物のとこに行く予定の物で、クロはあっさりとっ捕まった。藪を突いたら蛇どころか龍が出てきやがったわけだ。野良犬が敵う相手じゃあない。 「お招きどうも。それで、うちのイヌは?」 背後でドサリと音がした。高そうな絨毯とオレの靴の先に血痕が散る。心臓が跳ね、空気に緊張感が漲る。 振り返れば、腕を拘束され血塗れになったクロが床に転がっていた。両腕を背中に回してベルトで固定され、ボサボサの髪には乾いた血糊が絡まっている。拷問を受けたのが一目で分かった。 あーあーなにやってんだか。依頼主の言いなりになっているだけだからこうなるんだ。というか、そもそも生きてんのかコイツ。 「さて、飼い主にも責任を取ってもらわないとね」 銀龍は青みがかった茶色い目を細め、頬の傷跡を歪めた。目元も口元も弧を描くが、本心ではまったく笑っていないことが窺える。 「・・・っ・・・な・・・」 足元に掠れた声が這った。死人のように動かなかったクロは腫れた顔を上げ、銀龍を切れ長の目で射抜く。 「ベニヒコに、手ェ出すなっ・・・俺の獲物だっ・・・!」 クロは歯を剥いて威嚇する。 銀龍は吹き出した。喉を鳴らして笑いながら肩を震わせる。 「今はなかなか見ないタイプの子だね、私の若い頃に少し似ている。こんな狂犬をよく飼い慣らせたものだよ」 「それで、本題は?」 「"虫"退治かな。獅子身中の虫というやつだ」 内部に裏切り者がいるというわけか。でっかい龍の腹ワタを食い荒らす害虫が。 「私の知らないところでうちの商品が流れていっているんだよ」 「クロの依頼主も、その仲間だと?」 「君は賢いね。しかしハズレだった。依頼主も別の誰かに依頼されたようだね」 何人も仲介を挟んで、出どころを分からなくしているな。用心深いヤツだ。 「報酬は?」 「命があるだけでもありがたいと思いたまえ。だがまあ、これを持っているといい」 銀龍は小刀と拳銃を渡してきた。持ち手に龍の刻印が入っている。 「私の仲間が持っているものだよ。警察やその辺のゴロツキはよほど手を出せないはずだ。北京の××というモーテルや店でも融通を利かせてくれる」 「気前がいいこったな」 「仕事が終わったら返してもらうよ」 中を探るには仲間のフリして持っていた方が便利そうだな。 それにしてもタダ働きかよ。全部クロのせいだ。だがいつまでもここに転がして置くわけにもいかない。小刀でベルトを切り拘束を外す。クロは飛び起き、銀龍に掴みかかろうとする。 オイオイせっかく首の皮一枚繋がったってのにこの馬鹿! しかし、クロの手は空を切った。銀龍は視界から消えたかと思えば、クロの襟を掴んで床に叩きつけた。ダメ押しに背中に乗り上げ膝で押さえつける。 どうなってんだよ、初動が速すぎて見えなかったぞ。若い頃はゴリゴリの武闘派だったってのは本当らしい。 「いい子だから大人しくしていなさい。本当に死んでしまうよ」 銀龍はすっくと立ち上がると、何事もなかったかの様に立ち去った。 銀龍が言っていたホテルは、いつも使っているところより少しいい部屋だった。そこまで移動する白タクにさえ竜の代紋は通用した。こうなったらあのオッサンの威光をとことん利用してやる。 部屋に入るとクロを真っ先に風呂場に突っ込んでやった。血糊や垢に塗れて酷い有様だったからな。クロは文句を言っていたが、五体満足とは本当に運の良いヤツだ。ふらふらでも自力で歩けるならなんとかなるだろ。 しかし、次の日からクロは使い物にならなかった。熱を出し、アバラが折れているのか咳をするたび痛みに呻いていた。眠れなかったらしくずっとうつらうつらしている。呼んでも淀んだ目をこちらに寄越すだけだ。 しばらく独りで動くことになりそうだ。 いつもの情報屋の元に訪れた。この辺じゃ珍しい人種で、性格も扱いづらいが|情報《モノ》は確かだ。探りを入れると、欧州のそこそこ性能の良い銃器が入って来ているらしい。 それらは現地にいる華龍会のヤツらによって部品にバラされ、中国に来た後組み立てられる。組み立てをするのはドイツやフランスの職人たちだ。金に困った現地の人間を調達しているとか。どこの世界にもカネに汚ねえ人間はいるものだ。 これ以上の情報を得るにも金がかかるっていうんだからな。 今日はこれくらいで切り上げ、明日からは足で探すことにした。 ホテルに帰るとクロは死んだように眠っていた。 翌日になってもピクリとも動かず、生きてんのか確かめたほどだ。 ホテルは空調が整っているし、水も滞りなく水道から出てくる。放っておいても死にはしないだろ。 この日は華龍会の武器を作っている工房を探ることにした。 北京の外資系企業に華龍会の末端構成員がいるという。華龍会は会社員に屋台の店主、タクシーの運転手とオモテの仕事をしているヤツらが少なくない。 オフィス街から離れた場末の食堂で、ソイツは身を隠す草食動物のように息を潜めて座っていた。一重瞼に隠れた目は、キョロキョロと忙しなく周りを警戒している。 「会社にはバラさないでくださいよ」 そいつは日本人だった。 金属製の部品を架空の会社を通して華龍会に売り捌いている。マカオでカジノ遊びを覚えて首が回らなくなり、それで華龍会に目をつけられた間抜けだ。 コイツのように半ば無理矢理仲間にされた人間も少なくないらしい。組織に反発するヤツらが結託し、ことを起こしているセンが考えられる。 だが、オレのようなチンピラが少し調べただけで炙り出されてしまうようならとっくに組織の中で片がついているはずだ。まだ何かありそうだな。 武器の工房の場所を聞いてみるも、その場所は組織のごく一部の人間にしか知らされていないらしい。下っ端じゃあこんなものか。 情報料は口止め料と相殺した。だがまあ、同じ日本人同士のよしみだ。コイツに酒を一杯くらい奢らせてもバチは当たらないだろう。 次の日、華龍会の武器を扱っている業者に会いに駅に向かう途中、携帯電話に着信が入った。 クロからだった。 『今どこですか』 ピンピンしてんじゃねえか。飼い主を働かせておいて一番に言うことがソレかよ。 「駅に向かっている。華龍会の業者んとこにな」 『無駄ですよ、今すぐ銀龍のアジトに向かってください』 「ああ゛?テメエ飼い主に向かって」 『アンタは馬鹿か』 は?なんだコイツ。目の前にいたらぶん殴ってたぞ。 『アイツは銀龍じゃない』 スッと怒りが引っ込んだ。どういうことだ? 『屋敷にいたヤツらは皆、ただの"害虫"ですよ』 ーーーーーーーーーー そもそも、俺が受けた依頼は運び屋から荷物を奪う仕事じゃない。運び屋の護衛だ。 北京郊外の華龍会の工房に部品を運ぶ途中、襲撃に遭い荷物は全部奪われた。運び屋は始末されたのに、なんで俺を殺さなかったのかは後で分かった。銀龍の指示で俺を痛めつけてた野郎が調子良く喋っていた。 俺を、武器を奪った犯人に仕立てあげるためだ。次のターゲットはベニヒコだった。武器を横流しする裏切り者に仕立てるために。 工房には消えた武器がたんまり置いてあるはずだ。あのまま業者の元に向かっていたら工房に案内され、裏切り者として殺されていただろう。 まあ運び込んだだけならメンテの為に持ってきたとか言い訳が立つが、ベニヒコに渡された龍の刻印の入った武器は殺された運び屋のものだ。 仲間殺しとして消されていた。 そう、あの武器を渡してきた、銀龍でさえ偽物だったということだ。 「お前ナニモンだよ」 見張りの用心棒たちの死体と、血に染まった廊下を背にベニヒコは言った。 銀龍は不敵な笑みを浮かべたまま、シミひとつないスーツを纏って佇んでいる。 もちろんこの景色を作ったのは俺たちだ。黒服の1人を締め上げ、武器の隠し場所を吐かせ屋敷中に鉛玉をばら撒いてやった。 もちろんこのオッサンにもぶち込んでやろうと思ったが、スタントマンもかくやという動きで身を隠したり避けたりして弾切れまで逃げ切りやがった。 「やだなあ、君たちもよく知っているはずだよ?」 若い男の声が筋張った喉から出てきた。銀龍は顔を覆うように丸いサングラスを取り、俺たちに顔を向ける。 壮年の面差しは消えていた。 その顔の持ち主はーーーーーーーー

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