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現行犯 ① Ver.翔

夏休みが明けて実習が再開したのは、9月も中旬に差し掛かった頃だった。とりあえず、大学へ顔を出して、教授に頭を下げに行った。 児嶋との関係は、徹が投薬を断った頃から、オレも理由がなくなった、と断り、避け続けている。 すでに徹がいない今、履行する義理などない。どうやらそう思っいるのはこちらだけらしく、ことあるごとに、今度は、ストレートに口説いてくるようになった。 「まだ、彼に操だてしてるのかい?」 「違いますよ。あれは『契約』でした。彼がいない今、もう、貴方とのことを続ける理由がないだけです。」 突き放すように告げても、全く効果はなかった。児嶋は恋人にでもするように肩を組んできたり、手を握ったりしてくる。それを露骨に振り払うのに、全く懲りない。 たまに佐川と遭遇すると、佐川も露骨に 「何してんの?児嶋先生、セクハラですか?パワハラですか?実習生の男の子相手に、何してるんですか?俺の可愛い後輩に、妙なちょっかい出すのやめてくれます?」 と、助け舟を出してくれるが、それが助け舟なのか、挑発してるのか、よくわからない。そっちはそっちで下心があるから、これまた、心から喜べない。 その時は、児嶋も簡単に引き下がってくれるのだが、舌の根も乾かぬうちに、また、捕まってしまう。 「私は君を手に入れられればそれで良い、そう言ったはずだが?彼がいなくなった今、誰に遠慮する必要がある?それに若いんだ。躰だって男を求めてるんだろ?」 肩を抱き込まれ、ニヤけた顔を寄せて耳朶に囁いてくる。 あぁ、言ったさ。けれど、あんなものは合意じゃない。脅しだ。こっちには気持ちはないのに手に入れる?冗談じゃない。だから、ハッキリと返してやる。 「遠慮なんかしてませんし、児嶋先生のことも、なんとも思っていません。誤解のないようにお伝えしますが、オレは、柳田さんの命が交換条件だったので、彼の命を最優先にしたまでです。彼亡き今は契約も何もありませんので。」 ハッキリ言って気持ち悪い。この男の腕の中で、どれだけの罪悪感を感じ、どれだけ、徹を傷付けて来たのかを今は知ってしまっている。 「オレは児嶋先生のものになるつもりは毛頭ありません。どんなことがあっても、あんたのものにだけは、絶対にならなりません!だから、もう、オレには構わないでください。」 そう断っているのに、ここまでハッキリと言っているのに、それでもかなりしつこい。自分から『交換条件』を出しておきながら、そっちの方がオマケのような扱いになっている気がしてならない。 外科はまだ先とはいえ、この先が思い遣られる。世間体は気にしているのか、看護師や佐川と共に昼食をとれば、その輪の中には、入ろうとはして来ず、寄ってはこない。自然と誰かと一緒に過ごすことが増えて行った。 逆に佐川に軽く口説かれるとこはあったが…… 希望していた救命の実習は済んだ。他の科なら、自分の大学病院でも満足いく実習が受けられるだろう。徹がいない今、この病院にすがりつく理由はない。 けれど、そんなタイミングで泌尿器科が回ってくる。オレにとってはノンケの産婦人科並みの興味対象でもある。不謹慎だが、落ち込む気持ちが少しだけ浮上した気がする。 ーーごめん、徹!! 『あはは!翔らしいね。』 きっと、徹ならそう、笑って頑張ってきてね、と送り出すことだろう。 朝、意欲的に外来に向かうオレを、児嶋は見逃してはいなかった。それと同時期、大学に顔を出し、未習得の実習の残りをリストアップして、残りの科の実習を、自分の大学が所有する大学病院に戻って出来ないか、と教授に打診をしていた。

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