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第1話・①

 車通りの少ない路面沿いにある三階建ての一軒家。  広く取られた玄関には木枠にすりガラスの引き戸が設置されており。すりガラスに室内から1人の人影が映る。  室内から鍵を開ける音を立て引き戸が音をたてて開かれる。室内からは甚平を着た中年男性が箒を片手に出てきた。  甚平姿では少し肌寒く感じる風が、彼の体を撫でる。  茹でる程の暑さが連日続いた季節に終止符を打ったようで、これからは暑さとは真逆の季節へと変わる前の短い過ごしやすい季節になる。  大きく欠伸をして清々しい朝の空気を肺へと取り込む。寝具が合っていないのか、それとも寄る年波のせいなのか。持っていた箒を引き戸へと立て掛け、凝り固まった体を解すように両手を空へと向けつっかけサンダルを履いている踵を浮かせて背筋を伸ばす。  自然に漏れ出る声は仕方がない。  空へと向けた両腕を左右に広げながら下ろして空を見上げる様に首をあげる。雲一つない青い空。眩しい日の光に目を細める。  いい天気だ。布団を干せばきっといい夢が見れるかもしれない。と、考えながら立て掛けていた箒を手に掃き掃除を始める。  大量のゴミがあるわけではないが、小さい店ながらも飲食店である。店の看板と言って良い入口が汚れていては客が寄り付かない。  この店を持ったときから休業日であっても表の掃き掃除は欠かせない日課となっている。  車通りの少ないこの通路は、学生たちの通学路にも会社員たちの通勤路になっている。  聞き親しんだ元気な若い声に笑顔で挨拶をする。暗い顔をしている足取りが重い会社員に対しても労いの言葉と見送りの言葉を投げる。  従業員が自分だけの小さな店を切り盛りするには、周囲の協力が必要であり。愛想よく接していれば悪い印象を持たれる事は決してない。  朝の掃除の片手間に挨拶をするのも営業のひとつだと考えている。  自営業では客が最も大切である。店主の愛想が良ければ店を使ってくれる確率も上がる。朝には暗い顔で出勤する会社員が帰宅時に立ち寄ってくれたりもする。そうしてから、居心地が良いと感じる店を客達と作っていけば。自然と利用客は増えていくものだ。  『客は神様だ』と傍若無人な悪害しかない者たちは問答無用で叩きだすことが出来るのも個人経営の強みだろう。  そうしてやってきて、少ないが常連客を抱えている。年配者が目立つようだが趣味で作っている見た目は悪いが味は確かな新鮮な野菜や。釣りたての新鮮な魚などを『お裾分け』として頂いていることもしばしばある程だ。 「よし。こんなものかな……?」  表の掃き掃除を終えて塵取りに入ったゴミを捨て、引き戸の拭き掃除をはじめるとバイクの走行音が聞こえて来た。 「おなようございます!」  走行音が近くで止まったと同時に、元気よく聞こえてきた挨拶。少しかすれ気味ではあるが聞き取りやすい低い声に、道行く人々に愛想を振り撒いていた中年男性の彼。赤羽根 幸助(あかばね こうすけ) は口の端をヒクつかせた。 「良いお天気ですね! だんだんと涼しくなってきましたね」  低いエンジン音と共に背後から語りかけてくる声に赤羽根は小さく息を吐くと、乾いたぞうきんを手の中で握り締め振り返る。  胸元に会社ロゴが刺繍された紺色の作業着を着た青年が、中型のバイクに腰掛けたまま赤羽根の前に居た。  捲っている袖から伸びるムダ毛の薄い逞しい腕に自然と目が行ってしまうが。作業着を着ていても解るその体躯は、年齢に対して平均的である、中肉中背の赤羽根とは遥かに違い鍛えられている筋肉質の体である。  被っているフルフェイスメットのシールドを持ち上げれば、その下に、釣り上がった小さめの目が印象的な整った顔立ちが現れる。  真っすぐに赤羽根の姿を見つめる青年の瞳に赤羽根は微かに顔を歪める。 「おはよう。お仕事、頑張ってね」  微笑を無理矢理にでも作り、青年へと向ける。他人行儀だと誰でもわかる事務的な対応をする。  嫌悪感を抱かれても文句は言えない赤羽根その対応に青年は、整った顔をクシャクシャにして笑みを浮かべる。  ……行ってらっしゃい。と言葉を出し。青年の笑顔から逃げるように店内へと入った。彼から呼ばれたが、振り返ることも返事もすることなく。後ろ手で引き戸を閉めた。  バイクの走行音が遠ざかっていく。しん。と静まり返ったカウンター席のみの店内に掛け時計の針の音が響く。  赤羽根は大きく息を吐いた。握り締めていた乾いたぞうきんを、入口の側に置いてある棚へと置いてカウンター席に座った。  大人げない態度をとってしまった。と自嘲をするが若々しい青年とは違って、白髪の目立つ歳になった赤羽根には彼から真っ直ぐに向けられる好意の込められた瞳が恐ろしく感じる。  カウンターの上に手を組んでいた左手の薬指に嵌めている指輪を右手の指で感じながら、決して返ってくることは無い返答に縋る様に小さな声を漏らした。

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