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第1話・②
青年。田辺 蒼 と出逢ったのは一カ月ほど前へと遡る。
赤羽根が個人経営をしている飲食店【お食事処 幸 】は、昼は定食がメインのランチ営業を、夜はお酒を嗜むことの出来る小料理店を営んでいる。
その店内は、調理場を囲む様にしてL字型のカウンター席のみであり、10人も入れば左右の客との肩がぶつかり合う小さな店である。が、この店は赤羽根にとて落とされる訳にはいかない我が城であり。汗水垂らす仕事場であった。
その日も連日続く熱帯夜だった。
自分たちのお気に入りの場所に座っている2名の常連客が店内にはいた。
体に溜まった熱を吹き飛ばすように冷えたビールやチューハイを胃へと流し込み。店主である赤羽根自慢の手料理。揚げ出し豆腐。きんぴらごぼうへと舌鼓を打っている。
壁に掛けてある時計の針はラストオーダーと決めている時間は既に過ぎ、閉店時間が近付いている事を知らせている。
調理場に居る赤羽根は客からのおごりである焼酎の水割りを飲みながら客との雑談に花を咲かせていた。その為、時計の針に気付くのが遅くなってしまった。
ふ、と視線を時計の針へと向け『しまった』と声を漏らした赤羽根は持っていたグラスを作業台の上に置くと客席側へと移動した。
「源さん。タケちゃん。そろそろ時間だから」
常連客に声を掛けると名残惜しそうな常連客に謝罪の言葉を放つ。
いくら常連だとは言え、彼らが満足するまで店内に居座らせるとなると時間は幾らあっても足りない。
日々身を粉にして働いている人々の気の休まる場所になれば、と考えてはいるが自分自身が体を壊しては元も子もない。
名残惜しそうではあるが、文句を言わずにグラスに残った残り少ない酒を飲み干し。皿の上のつまみを綺麗に平らげる音を聞きながら引き戸を開けて表に出た。
静かな夜道の中。響くように聞こえてくる声に赤羽根は眉間にシワが寄る。声のする方へと視線を向ければ、街灯の灯りの中に浮かび上がる2人の人影。
今にも倒れ込みそうなほどに泥酔している1人の男と、彼を支えているもう1人の男の姿だった。
迷惑ごとには関わらないように。と、店名の書いてある提灯の灯りを消して折り畳んで店内の棚へと置き。暖簾へと手を掛けた時だった。
「まらぁ、やってるぅ~?」
「もう、帰りますよ」
人の支えがないとまともに立っていられない程に泥酔している赤ら顔の男が、呂律の回らない声を出す。その声にすぐさま制止するように声を出したのは男を支えている青年だ。
「ごめんなさい。もうおしまいです」
手に掛けていた暖簾を下げ、2人の男に対して営業スマイルを向ける。人、1人分ほどの距離が空いているのにも関わらず酒臭い泥酔男の息に、内心で舌打ちを零す赤羽根に倒れ込むように酔っ払いが『なんらと~』と声を出して近付いてきた。
「先輩! 帰りますよ!!」
今にも赤羽根に殴りかかろうとする泥酔男の腕を掴んだのは、彼を支えていた青年であり。彼こそ田辺蒼であった。
「まら、きゃく、いるじゃねーかぁ!!」
開け放たれた扉から泥酔の男に覗かれた店内には、帰り支度を終えて会計を待っている2人の常連客。
カウンターの上には空になったグラスが置かれており。1人は席から立っていると言うのに酔っ払いの目には、未だ酒を飲んでいる様に映るのか…… と、赤羽根は深く息を吐いた。
「あのねぇ…… そんな泥酔しきった状態で入られても困るんだけど?」
「しるかぁー! かねはだすってんだろぉ!」
「駄目です! 迷惑なんですよ! ほら、帰りますよ!」
近所迷惑になる程の声量で呂律の回らない声を出す泥酔男と。彼を止めようとする田辺。店内では心配そうにやり取りを見ている常連客の1人がスマートフォンを取り出して、それを指し示した『警察、呼ぶ?』と聞いている姿に『大丈夫』と笑顔を向けて首を左右に振る。
警察を呼んだところで今、この瞬間に来てくれるわけではない。
怒鳴る様に店に入れろ。飲ませろ。と喚く泥酔男とそれを阻止する田辺。
田辺は身長も高く体格も良いのに、ぐにゃぐにゃなくせに足に根が生えたように動こうとしない酔っ払いの力には負けてしまっているのだろうか?
火事場の馬鹿力。ならぬ泥酔状態の馬鹿力と言うやつか?
「はぁー……わかりました……でも、 一杯だけで帰ってもらいますよ」
再び息を吐いた赤羽根は泥酔男と田辺を店内へと入れることにした。
このまま店の前で喚かれたらたまったものではない。
下手をすれば警察が来る。この酔っ払いを警察へ預けるだけで済めばいいが、色々と聞かれて店の片づけをする時間を奪われてしまっては面倒でしかない。
根を生やしていたのが嘘かのように千鳥足で店内へと入り一番近い席へと座り込んだ泥酔男に常連客の2人も困惑したようだ。
「す、すみません」
いったい何処から支えて連れてきたのだろうか。疲れ切った声で謝罪の言葉が田辺から放たれた。
赤羽根の側で放たれた声にも拘らず、その声と同時に吐き出された息には酒の匂いが一切しない田辺へと憐れみの目を向けて暖簾を手に店内へと入っていった。
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