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第1話・③

 常連客2人の支払いを済ませて、暖簾を下した閉店している店内には泥酔した男と素面である青年。田辺の2人がカウンター席に座っている。 「何、飲みます?」  「れもんさわー」 「ウーロン茶。ありますか?」  ご機嫌に注文する泥酔男とは違い。田辺は申し訳なさそうな声を出して注文した。赤羽根はふたりの注文を笑顔で受け、慣れた手付きでそれぞれのドリンクを冷やしていたグラスへと注いでいく。 「良い? お客さん今回だけだからね? はい、どうぞ」  カウンターの上に並べた吸収力の強いウレタン製のコースターの上にそれぞれ置いたふたつのグラス。カットレモン入りのサワーと。ウーロン茶。 「いただきます」  何を言っているのか聞き取れないほどに呂律の回らない泥酔しきっている男とは違い、田辺のその言葉に赤羽根は感心した。  田辺はしっかりとしている。ウーロン茶を飲みながらも、何度も繰り返し聞かされているのであろう武勇伝や愚痴を零している泥酔男を気にかけながら彼に向けて返事をしている。 「タクシー呼ぼうか? その方が安全だし他の店にも迷惑が掛からないしね?」  遠回しに迷惑であることを伝えつつ、タクシー会社の電話番号が入っているスマートフォンを赤羽根が見せる。  その姿に田辺は謝罪の言葉と感謝の言葉を放った。 「おーけ、それじゃ、電話するから」  居住スペースへと続く階段のある調理場の奥へと移動した赤羽根は、慣れた手付きでタクシー会社へと電話をし。少しの雑談を交わした後に出来るだけ早く来て欲しいと頼んで、調理場へと戻ってきた。 「直ぐに来てくれるみたい」 「ありがとうございます」 「どういたしまして」  会社の先輩後輩の間柄であろう2人。先輩である泥酔男に付き合ったが為に気疲れした田辺の様子に赤羽根は多少ではあるが同情し、ふたりの前にきんぴらごぼうを盛りつけた小鉢を出した。 「余りもので悪いけど、食べれそうなら食べちゃって? コレはおごりだから」 「おっ! らっきぃー!」  カウンターに置かれたきんぴらごぼうに、レモンサワーをご機嫌で飲んでいた泥酔男が歓喜の声をあげて割りばしに手を伸ばした。 「い、いただきます」  田辺も微かに目を輝かせ割りばしを手に取り、きんぴらごぼうを口に運んだ。 「おいしい……」  自然と田辺から漏れたその声に赤羽根は満足気な表情を浮かべて、ふふ、と小さな笑い声を漏らした。 「お口にあったようで、良かった」  田辺は黙ったままウーロン茶を飲み。きんぴらごぼうへと箸を進めていた。  泥酔男の言葉に空返事をしている田辺の2人に対して横を向くようにして、赤羽根が炊事場で洗い物をしていると引き戸が開かれる音した。  引き戸へと視線を向けると見知ったタクシー会社の制服を着た。やはり見知った運転手が店内へと半歩身を乗り出していた。  運転手はカウンターに突っ伏すように背を曲げている泥酔男と、その隣の席で振り返っている田辺の姿を目にしてから調理場から濡れた手を拭いて出てくる赤羽根へと視線を向けて帽子を手に会釈する。 「竹中さんごめんねぇ。このふたり。お願いできる?」 「はぁ…… マスターも大変だねぇ」  引き戸を開けて店内へと入り込んだタクシーの運転手の背後。空き放たれた引き戸の前には後部座席の扉が開かれたタクシーが止まっていた。  田辺はカウンターに突っ伏している男の肩を揺らして『帰りますよ』と声を掛けてから息を吐いた。ゆっくりと立ち上がると突っ伏している男の背に腕を置き、膝を曲げると泥酔男の膝の裏に腕を通した。 「すいません。椅子。引いてもらえますか? 先輩。寝たみたいです」  その言葉に赤羽根は恐る恐る泥酔男の椅子を引く。力の抜けた泥酔男の体は膝を曲げている田辺の腕へと収まっていた。曲げていた膝を伸ばして田辺がゆっくりと立ち上がる。その腕の中には眠った泥酔男が抱きかかえられている。  所謂。お姫様だっこをされた泥酔男。軽々と眠って力の抜けている成人男性を抱き上げている田辺の姿に赤羽根は思わず息を飲んだ。 「お兄さん…… す、ごいね……」 「一応…… 鍛えてますから」  思わず漏れた赤羽根の言葉に照れ臭そうな笑みを浮かべた田辺は、泥酔男を軽々と抱き上げたままタクシーへと向かっていった。  運転手の手を借りる事無く。後部座席の背もたれに凭れさせるように泥酔男を座らせた田辺は再び店内へと戻ってくる。 「幾らですか?」  作業ズボンの尻ポケットから財布を取り出した田辺の声に赤羽根は『だ、大丈夫』と慌てて声を出した。 「えっと、その…… ここだけの話なんだけどね?」  キミの先輩? 彼に出したの、レモンサワーではなく。カットレモンを入れただけの水なんだよ。と、赤羽根はいたずらに成功したように小さく笑みを浮かべた。  泥酔しているのだから。酒が入っていようがいまいが同じことで。『酒だ』と言って店員から出されたものは、それが水であったとしても不思議なことに酔えるのだ。 「プラシーボ効果ってやつ? だから、お代を貰って詐欺だって言われても文句が言えないんだよねぇ」  何度も同じことを繰り返しているのか、ふふ。と声を上げて笑う赤羽根に田辺は『はぁ……』と声を出した。が、泥酔男が飲んでいたのは水だとしても、自身が口にしたウーロン茶と、わざわざ出してもらった小鉢の代金だけでも…… と言葉を続けた。 「いやいや。きんぴらごぼうは残り物だし。ウーロン茶代だけ貰っても帳簿付けが面倒なだけだから」 「いや…… でも…… 迷惑をおかけしましたし」  財布を仕舞おうとはしない田辺に赤羽根は顎に手を当て考え込む“フリ” をする。 「それじゃぁ…… 気が向いたら、また。お店に来てもらおうかな? 今日のお代はツケておくから、さ?」  今。数百円を貰うより。後々それ以上を貰った方が割が良い。と赤羽根は考えていた。 「わ、わかりました。また、お店に来させてもらいます!」  あなたに会いに。と続いた田辺の声はタクシーのクラクションによってかき消され。財布を尻ポケットへと仕舞い込んだ田辺は赤羽根に背を向けてタクシーの後部座の高いびきをかいて眠っている泥酔男の隣へと乗り込んだ。  自動で閉まるタクシーのドア。赤羽根は店先に出て運転手へと謝罪の言葉を掛け、一歩後ろへと下がるとソレが合図かのようにタクシーが動き出した。  後部座席が前を通り過ぎるとき。窓の外を見ている田辺へと営業スマイルと共に軽く手を振って見せた。  迷惑な泥酔男とではなく。友人とでも再び店を訪れ金を落としてくれることを願いながら……

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