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第1話

 大きな窓から陽が燦々と差しこんでくる。  アンティークソファで身体を丸め一夜を明かした月舘(つきだて)仁(じん)は、網膜に焼きつくような眩い外光に顔を顰め、それからゆるゆると四肢を伸ばした。このところ、神経が昂ぶった日が続いているせいで眠りが浅い。 「ふあぁ……」  欠伸とともに薄目を開けると、窓の向こうには目に沁みるほどの青空が広がっていた。  十月に入ったというのに日射しは翳ることなく、屋敷を二重三重に囲む緑も青々と葉を茂らせている。都心からやや離れた立地のおかげか、あるいは小高い山の上にあるからか、空気も澄み渡っていて酷暑を避けるには絶好の場所だ。  そんな、ポツンと建つ一軒家に暮らしてかれこれ二十年が過ぎようとしている。  ここに来たのは確か十歳の頃だったから、だいぶ時間が流れたものだ。物心つく頃には家族の中で異端扱いされていた仁は、弾き出されるようにしてこの家に連れてこられた。大人になった今も実家との接点がないわけではないが、歪なこの関係は世間一般の家族の形とだいぶかけ離れているだろう。  ソファの上に起き上がり、ガシガシと後ろ髪を掻いていた時だ。 「仁様。お目覚めでございますか」  声のした方を見ると執事の守永(もりなが)が立っていた。  まだ年端もいかぬ仁の手を取り、ここ月舘家の別邸に連れてきてくれたのが彼だ。以来二十年、実家との軋轢に辟易する仁を陰に日向にと支えてくれた。あの頃は働き盛りだった彼も今や定年と呼ばれる年齢を超え、あちこちで衰えを感じさせる。髪には白いものが交じり、声にも渋味が増すようになった。 「またこんなところでお休みになって……。お身体に障りますよ」 「大丈夫大丈夫。慣れてるって」 「そんなことをおっしゃって、冬の間中お風邪を召したこともあったでしょう」 「子供の頃の話だろ」  間髪入れぬ指摘に顔を顰める。昔から人の話を聞かない性格だった自覚はあるが、風邪をひいて弱っている時でもそれは同じで、治りかけの大事な時に無茶をしてはぶり返し、また治りかけてはぶり返しと守永を散々手こずらせたものだった。 「お懐かしゅうございますね」  それでも彼は厭味ひとつ言わず、しみじみと目を細めている。まだ十歳かそこらの仁を思い出しているのだろう。自分にとっても守永はもはや祖父のような存在だ。ギスギスとした月舘の家で仁が唯一心を許していられた相手だった。  そんな彼も歳を取った。身体は病に侵されつつある。  それでも仁の側仕えを続けたいという彼に半ば強引に暇を出したのは仁の方だ。こんなところに閉じこもっていては治るものも治らない。治療に専念しろと言う仁に、はじめのうちはなかなか首を縦にふらなかった守永だったが、しつこい仁に根負けしてようやくのことで引退を決めた。「仁様は、昔からこうと決めたら譲らない方ですから」と泣き笑いのような顔をしてみせたのが今も脳裏から離れない。  そのせいだろうか、別れが数日後に迫る今、なにを話しても思い出話になってしまう。感傷に浸るのはらしくない気がして、仁はわざと老執事を困らせた。 「なぁ。今だから聞くけどさ、なんで執事になんてなったんだ」  守永は楽しげに小首を傾げている。気の利いた答えを用意している時の彼の癖だ。 「仁様とのご縁をいただくためだったと言わせていただいてもよろしいでしょうか」 「つまんねぇな。そんなんで欺されるような子供じゃないぞ」 「ですが、わたくしは心からそう思っておりますよ」 「こんな隔離病棟でもか」  守永がわずかに眉を寄せる。それが揶揄でないことを痛いほど知っているからだ。  けれど彼はすぐにもとの表情に戻り、自信たっぷりに頷いた。 「そこがどこであろうとも、わたくしにとってはかけがえのない場所でございます」  まさに執事の鑑だ。全身からそれが彼の本心だと伝わってくる。  ───敵わねぇよな……。  土台、自分が太刀打ちできる男ではない。うれしいような悔しいような、複雑な思いに嘆息しながら仁は室内を見回した。

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