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第7話

 まずはていねいにティーポットをあたため、茶葉と熱湯を注ぎ入れる。蓋をしたら保温用のティーコージーをポットに被せ、蒸らし時間を測るための砂時計をひっくり返した。毎朝こうしてお茶を入れていると言われてもおかしくないほど慣れた手つきだ。荒々しくサーベルを突きつけてきた男の所作とはとても思えない。 「気付けのベッドティーだ。その回らない頭をどうにかしろ」  厭味とともに、ズイとティーカップが差し出された。  日頃紅茶を嗜む習慣がないので詳しいことはわからないが、華やかでとてもいい香りだ。コーヒー党の自分でも思わずほっとなる。だがカップに口をつけようとしたところでふと、彼の言葉が脳裏を過ぎった。  ───狙った獲物は必ず仕留める。どんな手を使ってでもな。  思わず、ティーカップの中をじっと見つめる。  ───もしかして、これって……。 「毒でも入っているんじゃないかと思ったか」 「……!」  頭の中を読まれたのかとドキッとなる。  目を丸くする仁に、ランツェフィードは深々とため息をついた。 「ただ殺しては意味がない。そんなことをしても魂は手に入らないからな」 「そう…、なのか?」 「魂を狩るというのは特別な儀式だ。死神自ら、冥界の剣で肉体と魂を切り離してこそ」  ランツェフィードは毅然と言い放ったが、仁はいまだ半信半疑だ。魂なんて見たこともなければ、死神という存在そのものも疑わしい。  ───とはいえ、俺も人狼だからな……。  人ならざるものがこの世に存在することまで否定することはできない。  満月によって自分が超人的な力を得たように、彼もまた人間離れした跳躍によって突然目の前に現れた。人狼の特性が色濃く出たと言われる仁ですらその気配に気づけなかった。現に、こうして対峙していても彼からは生きものの気配がまるで感じられない。  ───それって、つまり……。  あらためて気づいた瞬間、背筋がぞくっとなった。  やけに喉が渇いた気がして手の中の紅茶を一気に飲み干す。空のカップを突き返すと、それを見た執事がニヤリと口角を上げた。 「いい飲みっぷりだ」 「こんなことで褒められてもうれしかねぇよ」  ほとほと正体不明のいけ好かない男だ。  思いきり睨みつけてやるも効果もなく、顔色ひとつ変えないランツェフィードにあっという間にソファから追い立てられた。 「さっさと身支度を調えろ。この私の前でいつまでもダラダラとするんじゃない」 「わっ」  有無を言わさず床に立たされ、新しいシャツとパンツに着替えさせられる。長年適当な格好で暮らしていただけにパリッとした服がどうにも苦手だ。人前に出るわけでもあるまいしとひととおりの文句を並べたものの、「見苦しい」の一言で片づけられた。  ようやくのことで支度が終わると、執事は「朝食を用意する」と言い残して部屋を出ていく。それを息を詰めて見送った仁は、ドアが閉まるなり長い長いため息をついた。 「はー……。なんだありゃ」  想定外とはこのことだ。気づいたらすっかりペースに巻きこまれている。死神に執事職など務まらないだろうと思っていたのに、もしや誤算だったかもしれない。 「その代わり、起きるのも命懸けだけどな……」  穴の開いたソファをふり返って顔を顰める。鋲を打った黒いアンティークソファは仁の大のお気に入りだったのだ。 「絶対弁償させてやる」  固く心に誓いながら仁も続いて部屋を出る。  動きにくい服に辟易しながらダイニングに向かっていると、ランツェフィードが誰かと話しているのが聞こえてきた。  てっきりリューかと思ったがどうやらそうではないらしい。なんとなく気になって柱の陰から様子を窺った仁は思わず声を上げそうになり、慌てて口を押さえた。  ───な、なんだ。あれ…………。  ランツェフィードが掲げ持つサーベルの刀身に、映像が立体的に浮かび上がっている。それは仁が知っているホログラムよりだいぶ高精細ではっきりしており、まるでその場にいるようなリアルさがあった。  彼は己のサーベルを冥界の剣だと言っていたから、それを媒介に、あちらの世界を映し出すことができるのかもしれない。  息を呑んで見つめる仁の前で、映像の中の男性がランツェフィードに向かってなにかを訴えている。だが対するランツェフィードは冷静だ。 「まだだ。もう少し見定める」 「さようでございますか……。ランツェフィード閣下ほどの御方であればたやすい狩りでございましょうに、慎重に進められるからにはなんらかのお考えあってのことと存じます。我々にお手伝いできることがございましたらいつでもお呼び立てくださいませ」 「案ずるな。時間をかけるつもりはない」 「畏まりました。では、ザランスール様にはもう少しだけお待ちいただくようお伝えしておきます」 「頼んだぞ」  男性が一礼すると同時に映像がぷつりと切れる。  一連の出来事に呆気に取られる仁をよそに、ランツェフィードはサーベルを腰に下げた鞘に収めながらやれやれと嘆息した。 「盗み聞きが趣味なのか。呆れた男だ」 「……っ」  まさか、一瞥もせずに居場所を言い当てられるとは思わなかった。背中にも目がついているんじゃないかとさえ思えてくる。 「こ、こんなところで喋ってる方が悪いんだろ」 「人のせいにするな。ほら、さっさと行け」  またしても追い立てられ、今度は監視のようにぴったり後ろに貼りつかれて、あまりの居心地悪さに内心辟易しながら再び廊下を歩きはじめた。  ───それにしても、なんだったんだろうな。さっきの……。  今しがたの光景を反芻しながら飴色に磨かれた階段を下りる。  詳しいことはわからないが、冥界との交信のようだったから映像の男性も死神だろう。狩りに出たまま一晩経っても戻らないランツェフィードを気にかけてのことだったのかもしれない。王とやらも帰りを待ち侘びているようだ。  なるほど、こうしてみるとやはり彼は地位のある死神らしい。  今さらのようにそんなことを思いながらダイニングルームに着いた仁だったが、またも立ち止まることとなった。テーブルの上には高級ホテルかと思うようなコンチネンタル・ブレックファーストが並んでいたのだ。

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