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第6話
*
朝の光が瞼に踊る。
眩しさに寝返りを打った仁は、ドスッ! という重たい音に目を覚ました。
「な、な、な……?」
後ろをふり返ってさらに息を呑む。さっきまで自分が寝ていた場所にサーベルが深々と突き刺さっていたからだ。枕代わりのクッションなんてソファに串刺しになって見る影もない。
あまりのことに絶句していると、頭上から「チッ」という舌打ちが降ってきた。
「運のいいやつだ」
ランツェフィードの顔を見た瞬間、昨夜の出来事が走馬燈のように甦る。
───そうだった。この男を……。
腹立ち紛れと酔狂と、ついでにささやかな下心で住まわせることにしたのだった。
思い出すと同時に仁はガバッと身を起こす。
「ずいぶん派手な起こし方じゃねぇか」
「永遠に目覚めないようにしてやろうと思ってな」
「俺は愉しませろと言ったんだ」
「じわじわ嬲り殺してほしいなら期待に応えてやっても構わんが」
ソファから剣を引き抜いた死神は挑発するようにこちらに切先を向けてくる。
けれど仁が応じないことなどわかっているのか、腰から下げた鞘にサーベルを収めるとさっさと踵を返した。
「……あれ?」
ようやく違和感に気づいたのはその時だ。
いったいどこで手に入れたのか、昨夜の黒尽くめの格好から一転、ランツェフィードは見事な執事服を纏っているではないか。
白いシャツに黒のネクタイを締め、縦縞の入った濃いグレーのコールズボンを合わせている。淡いグレーのベストに重ねる黒の上着は優雅なラインを描く長い尾を持ち、長身の彼のスタイルの良さをよりいっそう際立たせていた。
手に嵌めた白手袋といい、鎖のついた懐中時計といい、どこから見ても完璧な執事だ。これで腰のサーベルがなかったらうっかり欺されてもおかしくない。
「どうしたんだ、それ」
目を丸くして訊ねると、本人としては不服なのか、ランツェフィードは「おまえが執事になれと言ったんだろう」と憮然と答えた。
「こんな横柄な執事見たことないぞ」
「勘違いするな。死神が人間ごときに傅くと思ったら大間違いだ」
そのわりに約束は守っているのだから、律儀というか、なんというか。
───いや、ただの石頭か。
やると決めたからには一切のブレを許さないのが彼の信条なんだろう。
「そうやってると似合うもんだな」
気難しい使用人そのものだ。
そう言うと、ランツェフィードは心底嫌そうに顔を顰めた。
「私がよろこぶとでも思うのか。使い魔に用意させた手前、しかたなく着ているだけだ」
「使い魔? なんだそれ?」
「まったく……そんなことも知らないのか」
「ため息つくなよ。失礼なやつだな」
呆れ顔の男を目で促してなんとか聞き出したところによると、使い魔というのは死神に仕える小間使いらしい。人間でいう使用人のようなものだろうか。
いつの間に連れてきたのかと不思議に思っていると、ランツェフィードは唐突になにもないところに向かって「リュー」と呼んだ。
その瞬間、音もなく人が現れる。
「え? え?」
まるで魔法だった。
信じられない光景に、何度もランツェフィードと交互に見やる。
───嘘だろ……!
唖然とする仁の前で、リューと呼ばれた男性がゆっくりと顔を上げた。
黄金の瞳にランツェフィードの姿を映すなり、その場に恭しく跪く。右手を胸に当て、深々と頭を垂れる姿はどこから見ても忠実な僕だ。褐色の肌に黒い衣を纏っているためか淡いプラチナの髪がよく映えた。
身長は自分より少し高いくらいだろうか。ランツェフィードとタイプこそ違うが、彼もまたずいぶんと人目を引く容姿だ。
ついぽかんと眺めてしまった仁だったが、はっと我に返るなりランツェフィードに詰め寄った。
「お、おい。どうなってんだよ!」
「喧しいやつだな」
「お騒がせいたしまして大変申し訳ございません」
顔を顰めるランツェフィードとは対照的にリューが深々と頭を下げる。
「はじめてお目にかかります。私はランツェフィード閣下の小間使いをさせていただいております、リューと申します」
「か、閣下……?」
「ランツェフィード閣下は、冥界の王であるザランスール様の右腕としてご活躍なさっておいでです。冥界第二の実力者として皆の尊敬を一身に集めておられるのですよ」
リューは誇らしげだ。
対するランツェフィードは世辞など聞き慣れているのか、顔色ひとつ変えない。
そんな主人に向き直った使い魔が恭しく頭を垂れた。
「畏れながら、御用をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「昨日言っておいたものはできたか」
「はい。こちらに」
リューが懐から巻物のようなものを差し出す。
それにざっと目を通すと、ランツェフィードは呆れたようにため息をついた。
「どこも似たようなものだな。綻びだらけではないか」
巻物を丸めて内ポケットに収める。
「ご苦労だった。下がっていい」
「畏まりました。御用ができましたら、またいつでもお呼びくださいませ」
ていねいに一礼すると、リューは現れた時と同様、音もなくふっと消えた。
「……っ」
これこそ手品だ。信じられない。なにもないところから人が現れて、そしてまた消えただなんて───。
「口を開けてぼんやりするな。馬鹿に磨きがかかって見える」
「は……はぁ?」
目を剥く仁に、ランツェフィードはこれみよがしに肩を竦めた。
「おまえがあまりに無知だからしかたなく見せてやったんだ。わかったか。私は死神で、あれは使い魔、そしておまえは余命わずかな人間だ。少しは立場を弁えろ」
言いたい放題言われてようやくのことで我に返る。
「ふざけんな。誰が余命わずかだ。おまえの思いどおりになんてならねぇよ」
「私は狙った獲物は必ず仕留める。どんな手を使ってでもな」
「おまえはこの家の執事だろ。主人を殺そうとはいい度胸じゃねぇか」
「ボンクラにトドメを刺してやるのも従者の務めというものだ」
まったく、憎たらしいったらない。
これ以上言い合っても精神衛生上よろしくないと、せめて仕事をさせることにした。
「そこまで言うんなら、少しは執事らしいこともやってみせてもらおうか」
「私ができないとでも思っているのか」
ランツェフィードが白手袋を嵌めた人差し指で空を切る。
その瞬間、彼の横にポンとワゴンが現れた。その上にはティーカップやティーポット、それにミルクポットまでもがどこからともなくポンポン出てくる。
「え? え?」
「使い魔だ」
目は口ほどにものを言ったのか、ランツェフィードが当たり前のようにそれに答えた。
「へぇ。こういうこともできんのか」
「今のはリューではない。あいつには使い魔たちをまとめさせている」
ということは、ランツェフィードはこうした便利屋を何人も抱えているということだ。なるほど、これはいい拾いものをした。
またも思ったことが顔に出ていたのか、死神が呆れたように片眉を吊り上げる。造形の整った男がやると無駄に迫力があるから厄介なものだ。
肩を竦める仁に嘆息すると、ランツェフィードは湯の入ったポットを取り上げた。
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