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第5話

 よほど驚いているのか死神はされるがままだ。困惑のあまり手も足も出ないに違いない。ならばもっと困らせてやろうと舌で強引に歯列を割り、熱い咥内へ侵入すると、ようやくのことでランツェフィードの肩がピクリと動いた。  ───へぇ。  意外な反応だ。我に返ったら突き飛ばされるだろうと思っていたのに。  さらに思いがけないことに、「こんなキスではもの足りない」と言わんばかりにランツェフィードが舌を絡めてくる。ねっとりと表面を擦り合わされたかと思うときつく吸われ、力が抜けた頃合いを見計らって敏感なところを捏ね回されて、先ほどまでとは違う高揚感が仁を襲った。  ただの厭がらせのつもりだったが、なるほど、これならこれで都合がいい。  熱い吐息とともに身体を離すと、仁は死神のゆるくウェーブした髪に指を絡めた。 「取り引きしようじゃないか。俺の相手をするって約束するなら、さっきのことは忘れてやってもいい」 「どういう意味だ」 「おまえを抱かせろ」  どうにもいけ好かない男だが、そんなやつを征服すると思えば悪くない。キスがうまい相手はベッドの中でも愉しめる確率が高いのだ。  居丈高に宣言する仁とは対照的に、ランツェフィードは呆れたように顔を顰めた。 「まったく、なにを言い出すかと思えば……」 「男同士に抵抗ないんだろ。厭がらせも通じないならそれぐらいさせろよ」 「どうやら相当な馬鹿のようだ。殺されかけておいてよくそんなことが言えるものだな」 「誰かさんが失敗してくれたおかげで命拾いしたからな」  凄みを増したランツェフィードが仁の手を乱暴に払い除ける。 「誰のせいだと思っている」 「自業自得だろ。こっちはそれでも取り引きしようって言ってんだ。わかったらさっさと覚悟決めろよ。グズグズするのは好きじゃない」 「誰がおまえなどと」 「怖いのか?」 「なんだと」 「それとも俺を満足させる自信がないとか? まぁ、おまえ鈍そうだもんな。俺は感度のいいやつが好きだからさ。はは。だったらおまえは無理かもな」  ここぞとばかりに溜飲を下げる仁を前に、死神は忌々しげに奥歯を噛み締めた。 「よりにもよって、こんなどうしようもない男がターゲットとは……」 「その男相手に手も足も出なかったのはおまえだろ」 「うるさい。人間ごときが私の仕事を邪魔するな……!」  怒号とともに折れるほどの力で肩を掴まれ、力任せに引き寄せられる。気づいた時には上から覆い被さるようにして唇を塞がれていた。 「んぅ…っ」  とっさのことに口を閉じる余裕もない。  強引に舌をねじこまれ、咥内を我がもの顔で蹂躙される。戸惑いに縮こまっていた舌を熱いそれで巻き取られ、きつく絡められて、ズキリとした痛みとともにそれだけではないなにかが身体の奥で首を擡げた。 「ん、…ぅっ……」  舌の根が抜けるかと思うほど強く吸い上げられたかと思うと、どこもかしこも征服してやると言わんばかりに咥内を舐め辿られる。歯列をなぞり、歯茎を辿り、口蓋をくすぐる熱い舌に陶酔しかけた仁だったが、油断したところを一気に喉の奥まで舌を差しこまれ、たちまち全身に鳥肌が立った。 「……っ、く…、……」  押し返そうにもランツェフィードの腕力は強く、ビクともしない。そうしている間にも力尽くで喉奥を蹂躙され、息苦しさに身体がふるえた。  嘔吐くまで続いた拷問の末、ご褒美とでもいうようにねっとりと舌を捏ね合わされる。息も絶え絶えになりながらも、いつしか深い快感を追っている自分に気づかされた。  ───なんだよこれ……。こいつ、すげぇうまい……。  キスひとつでこんなに昂ぶらされるなんて思いもしなかった。唇を合わせただけでこうなのだ、この男とひとつになったらどんな世界が見えるだろう。  想像しただけで支配欲がじわりと首を擡げる。思ってもみない心境の変化に自分でさえ驚いたぐらいだ。  ───こんなにすぐ気が変わることになるとはな。  だが、チャンスが向こうからやってきたのだ。それに乗らない手はないだろう。  ゆっくりと身体を離すと、ランツェフィードの双眼には怒りとも執着とも取れるものが滲んでいた。それをうっとりと見上げながら仁は両の口角を上げる。 「おまえにひとついい提案がある。俺の魂を狩りたいんだろう? なら、しばらくここにいるといい。この家に住むことを許してやる」  ランツェフィードは返事もせず、胡乱な目を向けてよこすだけだ。それでも耳を傾けてはいるようだと仁は構わず言葉を続けた。 「おまえには家のことから性欲処理までやってもらう。どうだ、おもしろそうだろう」 「……どういう意味だ」 「そのままさ。執事とベッドの相手、両方やってくれと言っている。仕事も行き詰まってたとこだしな。俺を愉しませられるならおまえを住まわせてやってもいい」  脳裏に浮かんだ守永が「仁様!」と目くじらを立てている。そりゃそうだろうなと内心で呟きながら仁はそっと苦笑した。  なにせ、仁を殺そうとした男だ。死神を自称する正体不明の相手と一緒に生活するなど命がいくつあっても足りないと元老執事は言うだろう。守永が守ってくれたおだやかな日々とは似ても似つかない毎日を送ることになるに違いない。  仁自身も、しばらくの間は執事は迎えられないと思っていた。誰が来ても守永と比べてしまうとわかっていたし、そのせいで心がささくれるくらいなら、いっそ誰にも頼らずに生きようと思っていた。  だが、この男ならなんの遠慮もいらないし、守永と比べることもない。このおそろしくプライドの高い死神に執事業など務まるわけがないだろう。それでも誘いをかけたのは、ささやかな楽しみを邪魔された仁なりの意趣返しだ。ターゲットを四六時中監視できるとなれば彼にとっても悪い話ではないだろう。 「死神には最高の再就職先だな」  ランツェフィードは忌々しげにこちらを睨んだものの、悪くない条件だと考えたのか、あるいは他に狙いでもあるのか、一拍置いて「いいだろう」と吐き捨てた。 「人間ごときの世話など反吐が出るが、寝首を掻くには都合がいい。加えて私がおまえに抱かれるなどあり得ないということを骨の髄まで叩きこんでやろう。私がおまえを征服するんだ。よがり殺してやるから覚悟しておけ」 「へぇ。上等じゃねぇか。譲る気はさらさらないけどな」 「それは私の台詞だ」  主導権を巡り、至近距離で睨み合う。  森の奥にひっそりと建つ洋館の中、狩るものと狩られるもの、食うか食われるかの生活が幕を開けた。

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