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●茜ちゃん。その⑤

 今夜も茜は茶の間で原稿を書いているのかと思いきや、炬燵のテーブルに頬をつけてたまま、固まっていた。 「起きてます?」 「うん、起きてます」  茜はにこっと笑って頭を上げた。 「座っても邪魔じゃないですか?」 「どうぞ。今日はもう、書き物は終わりだから」  知玄はテーブルにマグカップを置き、茜の斜め前に腰を下ろした。この時間に寝床を抜け出し、ミルクを温めて茜と二人で飲むのが日課になっている。茜は少し飲んでからカップを置き、両肘をついて顎を手で支えた。 「なんか悩みでも?」 「んー。ちょっと引っ掛かることがあって。あのさ、知玄(とものり)君。こんなこと私が言ったって、お兄さんには内緒にして欲しいんだけど」 「はい」  知玄は崩していた脚を正座に座り直した。 「生コン業界が“斜陽産業”って、どういうこと?」  茜はそういって、知玄をじっと見詰めた。 「えーっと」  つい、視線を逸らし、目を泳がせてしまう。知玄が家業のことに関して何かいうのは、厳禁だ。 「それって、誰が言ったんですか?」 「知白(ともあき)さん」  珍しいことだ。家業に関する話でもネガティブな話題は、兄ですら人前で言うのを禁じられている。兄は結構口が固いのに、よく茜にそんなことを言ったものだ。 「今日ね、」  と茜は語り出した。  今朝連れて行ってもらった現場で、茜は年配の男に呼び止められた。どこかで見たような顔だが、思い出せない。男は気さくに話しかけてくれたので、つい乗せられて家族のことや学校のことなど、聞かれるままに話してしまった。  そしてお決まりの、「お前さんは知白の嫁か?」だ。茜はもちろん否定したが、男は疑っているのか執拗に絡んで来て、言い合いのようになった。 『だから違いますってば!』  思わず語気を強めてしまい、しまったと思った。男の顔色が赤黒く変わり、こめかみには青筋が立った。 『おめぇ、“ゆりあ”でバイトしてる女だよな!?』 「それで、小説家だなんてお高くとまりやがってとか、長女なのに弟妹養うこともしねえで男と遊んで、大学で役にも立たねえお勉強で“俺達の税金”を食い潰してとか、このピーとかピーとかピーとか言われて」 「えぇ……」 「知白さんが助けてくれたんだけど、さぁ」  親より歳上の男の胸倉を掴み上げる兄の様子を、知玄は容易に想像出来てしまった。 「車に戻ったら『ごめんな』って言われて。嫌な思いさせてすまんかったって。生コン屋はどうしても下に見られるからさって。『所詮、斜陽産業だし』って。そんな文脈」  茜はテーブルの上に組んだ腕に、顔の下半分を埋めた。知玄を見上げる目には涙の膜が張っている。 「家の基礎とか、橋とかビルとかの材料作るお仕事が“斜陽産業”って、どういうこと? 私には、よくわかんない。茜には非はないよって意味で言った自虐、だよね?」  涙の膜はみるみる盛り上がって決壊し、頬をはらはらと濡らしていく。

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