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●心配で寂しくて、でもちょっとだけ楽しみ。

 喧嘩と身体の強さが自慢の兄だが、何か生まれつきの病気があるらしく、子供時代から定期的に遠くの病院に通っていたし、薬も飲んでいた。 「お兄さん」 「何?」  朝、着替え中の兄に知玄(とものり)は聞いた。 「最近は、お薬はいいんですか?」 「あぁ。あれはもう要らない」  本人はそう言うが、毎朝、母は兄に「薬は飲んだ?」と念を押すのだ。兄はいつも、飲んだと嘘を吐く。  兄は作業着を着込むと、さっさと階段を駆け降りていった。一時期、体調を崩していた兄だが、最近はすっかり良いようだ。知玄はヘッドボードの抽斗をこっそり開けた。兄が常用していた薬のシートがそこに入っていた。錠剤は半数ほどが消費されていた。シートの裏側には錠剤の製品名がプリントされている。何の薬なんだろう? 製品名を記憶しておいて、後で調べてみようか。いや、兄弟とはいえ、ひとの健康問題に立ち入るのは、不躾というものだろう。  知玄が玄関を出た時、丁度兄の運転する四トンミキサー車が配達に出るところだった。知玄が手を振ると、兄はこちらをちらっと見てニッと笑った。煙草を吸っていないこと以外は、いつも通りだ。いや、兄の禁煙はもう一月以上続いているから、もはや煙草を吸わないのが兄の「いつも通り」のはずだ。だが、知玄は何故だか慣れることができない。 「最近、知白(おにい)さんは元気?」  茜から不意に訊ねられて、知玄は一瞬答えに詰まった。 「えぇ、元気ですよ」  そう知玄は答えたものの、茜は知玄の作り笑いを見透かしたように眉をひそめて言った。 「ここのところ、全然『ゆりあ』に来ないから、どうかしたのかなぁと思って。ね、小説のネタのことで、知白(ともあき)さんにちょっと質問したいことがあるから、事務所にお邪魔してもいいかな?」 「大丈夫だと思いますよ。兄に伝えておきますね」  帰宅して二階に上がり、炬燵に当たっていると、兄が茶の間に入って来た。 「よぅ、おかえり」 「ただいまです。あ、それ」  兄が手に提げている白い箱には、見覚えがある。 「うん、ケーキ。食べるか?」  知玄は勿論と頷いた。昔、兄の通院帰りに、病院近くのケーキ屋で母がよく買って来てくれた。 「どれがいい?」  箱の中には昔と同じに六種のケーキが詰まっていた。 「僕、これがいいです」 「お前はいっつもそれな」  兄はチョコケーキを皿に置き、知玄の前に差し出した。昔、兄と母だけで出掛けてしまい、自分は母方の祖母の処で留守番というのが寂しかったが、これがあるので、知玄は兄の通院日がちょっと楽しみだった。 「この店、もう潰れたんかと思ったら移転してたんだ。今朝、配達の途中でみっけて、さっきひとっ走り行って買ってきた」  兄も昔と変わらず、チーズケーキを選んだ。 「いただきます」 「おう、食え食え」  知玄はチョコケーキを一口食べてみた。昔と全然変わらない味。美味い! と日向の猫のように目を細める兄の顔も、昔と同じだ。

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