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エピローグ
重い声が響いた。
Stop! という叫び声の後に、周りの人間が交差点を見つめている事に気が付いた。視線の先ではすでに、長髪の警官がティーシャツの男に飛び掛かり地面に押し付けていた。事件は、とっくに始まっていて、そして今しがた颯爽と解決したようだ。
ワッとあがる歓声の中、人混みをかき分けてくる壮年の警官は野次馬を整理し始める。
押し倒された男が握っているバッグは女性もののようだ。ひったくりか、それとも万引きか。それなりに距離がある為、事情はわからないが、アッシュブロンドの長髪の警官がしきりに口を動かしているのは、逮捕の際のミランダ警告だろう。
彼は見た目よりもかなり真面目なため、ミランダ警告を省略もなしに読み上げる。あの、気持ちのいい声は今、逮捕された人間の権利を繰り返している筈だった。
ふと、警官が顔を上げた。
視線が合った、ような気がした。気のせいかとも思ったが、どうやら見つかってしまったらしく、端整な顔をふわりと和らげた。
――仕事中にそんな風に笑うのは怒られないのだろうか。
誰に怒られなくても、こちらは怒りたいような気分になる。むやみに笑顔を晒すなと何度言っても聞き入れられない。自分の顔が整いすぎている自覚がないこの男が笑う度に、何人の恋敵が出来ているのか、考えたくもないというのに。
だから街中で会いたくないし、だから仕事風景も見たくない。
それでも昼は近場に行くからランチでも、と言われてしまうと断ることなどできないのだから、イカれてるのはどっちだと笑えない気分になった。
吹き抜けるような風が通り過ぎた。ブルーブラックに染めた髪は、そろそろ切った方がいいかもしれない。随分と髪も伸びた。彼も。自分も。
この分だとランチは一緒に食べれないかもしれない。仕方ないからデリのサンドイッチにしよう。彼に教えてもらった奥の通りのデリは、ドーナツは脂っぽくて食えたものじゃないけれど、ミラノサンドは絶品だ。
踵を返したブルーブラックの髪の青年の背中を眺め、警官は首をすくめた。
「……どうしたライカンス。何かあったか?」
「いや、別に。このままだと昼食くいっぱぐれるなーって思ってさ」
「仕方ないさ。昼食時に犯罪に走る馬鹿が悪い。ランチにデートの予定でもあったのか?」
「あー。ディナーデートに変更するよ。チェリーコークとジェリービーンズを忘れずに買って帰ってご機嫌をとらなきゃ」
「……聞いてるだけで砂糖を吐きそうだ」
風が吹く。いつも通り、彼はパトカーに乗り込みこれから始まる取り調べと、ランチの言い訳の事を思った。
ただそれだけの出来事だった。
終
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