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ーーなんで……なぜ、気付かなかった…… こんなに大勢の人間が自分を監視し、狙っていれば、いつもなら気が付く筈だ。 なのに、今日に限って気付かないなんて…… 気が緩んでいた。 初めての恋に浮かれていた。 それだけじゃないーーー 陽人の事を考えていると、幸せだった。 多幸感に包まれ、心が穏やかになって…… 泣きたくなるくらい、幸せになれた。 最愛の人の存在が、嫌な記憶を消してくれて…… 陽人に縋ってないと、心が粉々に砕けてしまいそうだった。 本当は気持ちに余裕なんて、なかったのかもしれない。 だから、いつもなら気付ける事ですら、気が付く事が出来なかった。 本来なら、勘は悪くないほうだ。 痴漢や変質者に時々あっていたから、無意識のうちに周りに用心するようになっていた。 そのおかげで、今までは危険を回避する事が出来てたと思う。 あの時以外はーーー 柊の時、俺の勘は外れた。 外れた、というよりは騙された、という方が近いのかもしれない。 柊は目付きは鋭いけど、顔立ちや雰囲気はすごく上品だ。 きれい目な服装で微笑んでいれば、良いところの大学に通う、良家のご子息に見えなくもない。 目立つ所にあるタトゥーは、小物なんかで隠されたらわからないし、茶髪もアッシュ系で派手な感じはしない。 半グレのリーダーだって言われなければ、誰も正体に気付かないだろう。 カメレオンみたいに、 自分を変える事が出来る。 息を吐くように嘘を吐き、 人を騙す事を躊躇しない。 冷酷な鬼畜。 柊が探してる…… とにかく、逃げないと……! 目的はわかっていた。 だから、捕まる訳にいかない。 捕まったらあいつの“オンナ”にされる。 ーーあそこなら、行けるかも…… 裏門側にある教職員用の駐車場。 外周を囲んでいた金網の一ヶ所が、確か破れていたはずだ。 自信はなかったけど、他に思い付く場所がなかった。 このまま隠れていても、いずれ捕まってしまう。それなら、捕まるリスクはあっても、逃げられる方を選びたい。 一か八か、可能性にかけてみた。 周りに神経を張り巡らせ、心を無にして自分の気配を消し去り、どうにか駐車場まで辿り着く事が出来た。 敷いてある砂利の音を立てないよう細心の注意を払い、車からはみ出ないよう体を丸め込みながら、ゆっくりと慎重に歩いた。 ーー……着いた。勘違いじゃなくて良かった… 目的の破れた金網まで、無事に到着した事に安堵する。 雑草が鬱蒼と生えて邪魔はしているものの、小柄な俺が通るのには十分な大きさの穴だった。 ーー誰もいない。急がないと。 ホッとため息をつき、もう一度周囲を見渡す。 大丈夫、どこにも人影はない。 急いでしゃがみこみ、背の高い雑草を掻き分け、穴をくぐり抜ける。手や膝が草の汁で汚れ、制服に所々ひっつき虫が付いたけど、そんな事気にならなかった。 「いい加減にしろよ、チビ。テメェのせいで、いつになっても帰れねーんだけど」 四つん這いのまま、声の方を見上げると…… どこからか現れたのか… 多分、車の物陰や木の陰に、潜んでいたのだろう。 前も後ろも、周りを何十人ものヤンキーに囲まれてしまった。ものすごく苛立っていて、一様に怒気を露にした表情をしている。 逃げようと思ってるのに、不良達の数の多さと威圧感から足が竦んで動けない。 ーー……体…動けよ………動けって! 焦れば焦るほど全身が強張り、体が言うことを聞かない。 そうしているうちに、ジリジリと追い詰められ、両腕を何人かに掴まれ荒々しく立たされた。 「ノロノロ歩いてんじゃねーよ!」 「早く行けって!この愚図!」 「ぅぐっ……」 腕を強く引かれ、周りを連中に囲まれながら歩かされた。その間も、頭を叩かれたり、背中を突き飛ばされたり、足を蹴られたりした。怒りが収まらない奴からは、怒号が飛んでくる。 民家のない木々ばかりの寂しい道まで歩かされると、ハザードを焚いたミニバンが幅寄せして停まっていた。 ◇ 「逃げられると思った?」 「思って……ません…」 「敬語使うなって」 「……すみま、ぁッ……ごめんな…さぃ………」 「ま、無理しなくていいから。喋りやすいように喋って」 柊はハンドルを握り、呆れたようにタバコの煙を吐き出すと、方向指示器を右に上げ、ゆっくりと車を発進させた。 少し深めに倒された助手席のシートに、体を預けもたれかかる。諦めたように、車窓から見える移ろう景色を呆然と眺めてた。 会話が途切れがちな車内には、耳障りな音楽が流れ、柊の香水の甘い香りとタバコの煙が漂っていた。 「腹へってる?」 「大丈夫…」 「じゃ、このまま真っ直ぐ家行くから。腹減った時はデリバリーや近くにコンビニあるし。何か欲しい物があれば、言って」 「……はい」 車は県道をしばらく走ると、住宅街の細い道に入り、高級そうなマンションのシャッターゲート前で止まった。シャッターが開くと、徐行しながら地下駐車場へ入っていった。 「着いたよ」 「……はい」 エンジンが止まった車内で、窓の外の無機質なコンクリートの壁じっと見つめたまま、シートベルトも外さずに空返事をした。 「柚希っ」 強めに名前を呼ばれ、怖くてビクつきながら声の方へ振り向いた。 その瞬間、覆い被さるように柊の顔が近付いてきて…… ーー陽人! 脳裏に陽人の顔が思い浮かび、拒否するように顔を逸らした。柊の動きがあまりに自然で素早かったから、ほんの少し遅れてたらキスされていた。 一瞬、沈黙が流れた。すぐに舌打ちが聞こえ、「さっさと降りろよ」と不機嫌に言われる。 ーーこのままじゃ、柊に抱かれる……嫌だ!……陽人……陽人に逢いたい…… 俯いて唇を噛みしめ、膝の上で両手の拳をギュッと握りしめる。 ーー隙を見て、どうにか逃げよう……部屋に連れ込まれる前に……もし、部屋に連れ込まれても、ドアを開ければ逃げられる……諦めるな、絶対諦めるな………きっと、大丈夫……! 「早く降りろって!」 いつまでも降りないで車内で考え込んでいると、助手席のドアを乱暴に開けられた。伸びてきた手が腕を強く掴んで引っ張り、車から無理矢理降ろされる。 強い力で肩を抱かれ、駐車場を引き摺られるようにして連れて行かれる。 腕の中から抜け出そうと、必死に藻掻いて抵抗してみたものの… 「……はな……し…て…………」 「今日は優しくするから」 「……かぇ…り…たぃ……」 「終わったら、ちゃんと帰すよ」 「……ちが……やだ……」 力の差に抗える訳もなく…… 「……柚希は痛いのが好きなの?この間みたいに痛くしようか?」 「………すき…じゃ……な……」 「だったら、わがまま言ってねぇで、おとなしくしろよっ!」 「ひっ……!…ごめ……な…さぃ……」 「怖がらせちゃった?ごめんね。でもさ、柚希の怯えた顔って、すげー可愛いよね。いい子にしてれば、痛くしないから」 そのままエレベーターに乗せられ、最上階の柊の部屋へと連れ込まれた。

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